幻影遣いとトミイ

 奇術師と人形は、路上でマジックの公演を行いながら街々を渡り歩いている。

 去年も、今年も、これからも。

 花咲く春も、日差しの強い夏も、移りゆく秋も、雪の降る冬も。

 彼らの巡る旅路の中で、他の大道芸人に出会うことも多々あった。

 たとえば、魔法を使っているんだと嘯くマジシャンと、彼の作った自動人形。

 その名を幻影遣いとトミイ。

 

 幻影遣いは、その名の通り人々に幻を見せるのを生業としていた。

 別れた彼女の幻だったり、遥か遠くの国の光景の幻であったり、山盛りのホットケーキの幻であったり、はたまたかつてこの世に存在したと言われているドラゴンの幻であったり。

 彼は他人の望むすべてを、見せることができた。

 彼の口癖は、「な、魔法みたいだろう?」

 もちろん、それらが魔法であるわけがない。

 れっきとしたマジックだ。

 幻影遣いは当然、それを承知しながら自らの技を披露していた。

 トミイは彼の作った自動人形で、よく喋り、よく食べ、よく眠り、よく走り、他人を笑顔にさせるのが好きだった。

 幻影遣いがそう作ったからだ。


 幻影遣いは今日も、花の街で人々に幻を見せている。その街では、住民みなが自分の家で花の咲く植物を栽培しており、みな誇りを持ってその世話をしていた。この街の領主が花を好むからだ。

 今日の公演は、大通りの真ん中で行われた。

 幻影遣いの公演はいつどこで行われるかわからないが、必ず、街のどこかではある。住民たちはそれをよく知っていて、公演が始まるとすぐに人々の知るところとなる。

「さあさあみなさん、寄ってらっしゃい見てらっしゃい」

 ビビッドオレンジのジャケットに、これまたビビッドオレンジのパンツ。タートルネックは白――という、いささか奇抜な格好をしたその男が、幻影遣いだ。彼はエメラルドグリーンの瞳をきらめかせながら、右手を空にかざした。

 集まってきた観客たちが空を見上げると、そこにははるか上空から舞い降りてくる天使たちの姿があった。薄青い衣を身にまとったそれらは、白鳥のような羽を持つものもいれば、猛禽の茶色い羽を持つものもいた。それらの瞳はすべて光り輝いており、まるでほんものの天使のようだった。

 もっとも、『ほんものの天使』を見たことがあるものなど、この場には存在しないのだが。

 どよめく観衆に、半袖のシャツを着た快活な少年型自動人形――トミイが、

「じゃあ、天使にお願いしたいことがある人はいる?」

 と問うた。

 顔を見合わせる群衆の中から、ひとりの少年が手を挙げた。トミイが彼を引っ張ってきて、幻影遣いの前に立たせた。

「少年、お前の願いはなんだ?」

「ええと、空を飛ぶ馬に乗ってみたいです」

「よろしい。ならその姿を正確に心に思い浮かべて、このカードに触れるんだ」

と大仰に手を広げてみせた幻影遣いは、真っ白なカードを少年に手渡した。

少年がそのカードに触れると、カードには羽の生えた白い馬が浮かび上がってきた。

それだけでも驚くべき事態なのだが、幻影遣いがそのカードを手にとって、息を吹きかけると、少年の目の前に、つやめく白の羽を持った馬が現れたのだった。

「ねえ、これ、触れるの?」

「ああ、たてがみを撫でてみろ。羽は繊細だから、避けてやってな」

少年が羽の生えた馬のたてがみに手を触れると、そこには確かに、ふわふわとした毛並みがあって、皮膚からは体温すらも感じられるようであった。

「な、魔法みたいだろう?」

拍手が鳴り止まない中、トミイは幻影遣いのかぶっている帽子をひょいと取って、観客たちに差し出した。

 羽の生えた馬はいつしか空気中に溶けるように消えていった。天使たちもまた、みなが馬に興味を惹かれている間に消失していた。


 その騒ぎを遠目に見ている影があった。

 そのふたつの影は、盛り上がる観衆を横目に、近くにある建物を見ていた。

 ある年の春、ちょうど花祭りが行われているころ、奇術師と人形はこの街を訪れた。人形は花々に興味を示しており、特に白いものが好きなようで、花壇に咲いた白い花を摘もうとして、奇術師に叱られていた。人形はしばしうなだれていたが、他の花を見つけて瞳を輝かせていた。

「だから、ひとの家にある花は摘んじゃだめなんだって」

 六枚の花弁を持つ小さな白い花を手に取ろうとした人形に、奇術師は言う。

「うーん、今度どこかの街の郊外の草原にでも行こう。同じ花はなくても、まあ、きっと、同じような花は、あるさ」

 約束だ、と言いたいかのように人形は奇術師に小指を差し出して、奇術師はその小指に自らの小指を絡める。人形がここまで花が好きだとは、奇術師も思ってはいなかった。


 その日、奇術師が公演を開くと決めたのは、青い花に囲まれた噴水の前だった。

 今から公演を行います、と言ったら、すぐに人が集まってきた。

「あれ、今日は幻影遣いじゃないの?」

「幻影遣いだったら、さっき天使を降ろしてたよ」

「えー、見たかったな」

 最初はあまり歓迎されていないような空気があったのだが、奇術師も諸国を回っているだけあり、観客の心をつかむのは得意技だ。最初はカードマジックから。それから、ガラス玉を用いたものや、箱を使ったマジックで大いに盛り上がった。

 人形は奇術師を的確にアシストし、誰よりも早く拍手し、最後まで拍手をやめなかった。そのおかげもあって、今回の公演の収入は平均よりも多かった。

 公演が終わり、撤収しようとしていたところで、噴水の水の上に立っているように見える人影を人形は見る。人形は奇術師の肩を叩き、その人影に指をさす。奇術師が人形の指した方角を見ると、水面の少し上には奇術師よりも少しばかり身長が低めの、帽子を被った男が立っていた。確かに、水の上に。

 いや、帽子なんかより、目立つ要素がある。

 どちらかというとほっそりとしたシルエットのその男は、ジャケットもパンツも陽光を反射して目に痛いまでのビビッドオレンジで、靴までもがその色であった。タートルネックだけが白いが、ビビッドオレンジを中和してくれるわけでもない。なんだこいつ、と奇術師が思ったところで、その姿はすぐに空中にかき消えて、

「な、魔法みたいだろう?」

 と、同じ姿の男が――今度はきちんと、奇術師の目の前の地面に立っている――奇術師に話しかけてきた。

「魔法なんかじゃない、鏡と水面の反射を利用したトリックだ」

 きっと近くに協力者がいるはずだ、と奇術師が言えば、遠くにある石造りの建物から半袖のシャツを着た小柄な少年が走ってくる。あれが協力者なのだろう。

 ビビッドオレンジの男は走ってくる少年にこっちこっちと手を振ってから、奇術師に向かって肩をすくめて見せる。

「同業だ、仕方ない。この街の人たちにネタを割らないでいてくれたら、別に何を言ってくれても構わないさ」

「トミイもトミイも!」

 先程の少年がジャンプしながら奇術師に話しかけてきた。

 奇術師は幻影遣いに向き直って言う。

「さっきの公演も見せてもらったが――街中に小さなギミックを仕掛けているのか? 投影機のような――」

「正解。手厳しいな世に名高い奇術師さんは」

「僕はそんなものじゃありませんよ」

「そうか? 街を巡っては『奇跡』みたいなマジックを見せる奇術師、有名だぜ? さっきのもすごかったし。花の街にちなんで花を象ったカードを使うなんて、おしゃれだな」

 ああ、名乗り忘れてたけど、と、その男は言う。

「おれはこの街の幻影遣い、ゴーリイ」

 まあ、誰もおれの本名なんか覚えていないだろうけれども、と、彼は笑う。

 走ってきた少年は噴水の敷石のところに座って、

「それからトミイはトミイ」

 イントネーションを最初のトに置いて、明るく言ってのけた。

「喋る自動人形か」

 奇術師には一目で、それが自動人形であるとわかった。よくできた自動人形は人間とほとんど変わらないのだが、作る人間にはかなりの精度でわかる。

 幻影遣いは奇術師の隣で、薄いくちびるをすこし開きながら、話を聞いているんだかいないんだかわからない人形を見て、こう言う。

「逆だよ、お前の自動人形、喋らないの? さっきからずっと黙ってるし、おれのこと指さしてたけど声は出さないし。普通喋るだろ」

 その質問には答えずに、奇術師は幻影遣いに尋ねる。

「ほかの街には行かないのか? あなたの腕前なら、どこでだってやっていけるだろうに」

 奇術師は幻影遣いの噂などを聞いたことがなかった。もしほかの街を回っていたら、どこかで出会っていてもおかしくはないし、噂にだってなっているはずだ。

 幻影遣いは平静を保ちながら、言う。

「この街全体がおれの幻で、おれはこの街の幻を保たなきゃいけなくって、だから離れるわけにはいかないんだって言ったら、信じるか?」

「信じないよ」

 幻影遣いの幻は、所詮マジックだ。物理的に可能な範囲でしか、幻を見せることは出来ないはずだ。たしかに、幻影遣いはこの街全体になんらかのギミックを施しているようではあるが、この街には住民がたくさんいる。これらをすべて矛盾なく動かすというのは、かなり難があるといえるのではないだろうか。

 幻影遣いはあっさりと言う。

「そういうこと」

 理屈のまったく通っていないその言葉は、会話を終わらせるだけの役には立った。

 

 奇術師と人形は、公演が終わったあとの夕方、宿に荷物を置いて、街を歩いていた。街の様子を大雑把にでも確認して、今後の公演の時間や場所の詳細を詰めようと思ったのだ。奇術師は、公演の内容のみならず、時間や場所も重要視していた。どんなにすばらしいパフォーマンスを行ったとしても、見てもらえなければ意味がない。

 そういうわけで、奇術師と人形は街のすみずみまで調べて回っていた。この路地には人が来る。この大通りは閑散としている。この公園は夕方になると人が集まる。この広場を通る人々はみな速歩だ。

 奇術師が気付いた内容を、人形がメモをして残していた。

 そのような作業を行っていたふたりであったが、先程目立ってしまったから、街では声をかけられることもあった。特に、ここまで精巧な自動人形はそうそうない。

「これ、自動人形ですよね!?」

 ひときわ高いテンションで奇術師に話しかけてきたのが、緑の上着を着た若い男だった。その男は、人形を見るやいなや、駆け寄ってきてまじまじと見つめた。人形は戸惑いながら目を伏せていた。

 奇術師はその男に答える。

「そうだけど……何か用ですか」

「はい、ぼくは人形師を目指してるんですけど、ええ、こんなにすごい自動人形、初めて見ました! 誰が作ったんですか?」

「僕ですけど……」

 この男は何を考えているのだろうか。この人形は見世物ではなく、自分のアシスタントなのに、と思っていたところ、若い男はなおも続ける。

「マジシャンなのにすごいですね! やっぱり手先が器用だからですか!? この自動人形、触らせてもらってもいいですか?」

「リューイ、どうする」

リューイと呼ばれた人形は即座に首を振った。

「だめみたいだ。諦めて帰りな」

「そうですか……」

「それに、人形の動きを観察したいなら、また今度公演に来るといい」

 もっとも、触ってみなければ人形の構造がわからないくらいの人間が、公演でよく動く人形を見たところで何かを得られるとは思えないが、とは口にせずにいた。

 そのような会話を若い男と交わしていたところ、先程出会った、少年の形をした自動人形――トミイが割り込んできた。若い男は公演の日時をメモして足早に去っていった。

「あ、奇術師さんと……人形さん?」

「リューイだ」

 奇術師が代わりに人形の現在の名称を答えてやると、トミイは、

「リューイ! これあげる!」

 差し出してきたのは、白と青の小さな花で編まれた冠だった。先程人形が欲しがっていた花とは少し違うが、これもまた、人形は気に入ったようだった。人形はそれを自分の頭に乗せ、手を広げながらくるくるとその場を回りはじめた。

 奇術師はトミイに言う。

「リューイは喜んでいるみたいだけど、どうしてこれを?」

「似合うと思ったから! 近くの草むらで作ってきたんだ」

 花で作られた冠は、人形のモーブピンクの髪と見事なコントラストを見せ、美しく調和していた。それはまるで、最初から花冠をつけるために設計されたかのようだった。これならきっと、人形が花冠を楽しむのみならず、人々も好きになってくれるだろう。

 自分が、自分だけが人形を『人々から愛される』ための機構にできるのに、といった感情が胸の内から湧き出ていることに、奇術師は気付かない。

 その代わりに、人形にこう言った。

「ありがとう――ほら、お前もちゃんとお礼をしてやれ」

 くるくると回っていた人形は動きを止め、トミイを見て、公演終わりのように優美な一礼をした。

 トミイも仰々しく礼をし、ふたりは目を見合わせて笑った。

 そこに、幻影遣いが顔を出してきた。またビビッドオレンジを着ている。さしもの奇術師も慣れてきてしまった。

「あー、お前こんなところにいたのか。探したぞ」

 トミイは自慢げに、幻影遣いに言う。

「リューイと遊んでたんだ」

 お前はそれでいいんだよ、と幻影遣いはトミイに言って、楽しげにしているトミイと人形を眺めている奇術師に向き直る。

「へえ、あの人形、リューイって言うんだ。さっき教えてくれたってよかったのに」

「テンポラリーネームですが」

 幻影遣いはテンポラリーネームってどういうことだよ、と思い、少し首を傾げたあと、

「ま、いいか。トミイと遊んでくれて、ありがとうな。こいつ、あんまり同年代の知り合いいないし」

 行くぞトミイ、と幻影遣いはトミイを呼び寄せて、ふたりは大通りへと歩いていく。

 そして奇術師と人形がその場に残された。

「お前はこれで、楽しかったか?」

 大きく頷く人形を見て、奇術師は、

「ならいい」

 とバッグを持って歩き始める。人形もそれについて歩いていく。

 大きな夕日が輝いており、人形の花冠をきらきらと輝かせ、ふたりの行く先を照らしていた。

 

 夜、奇術師と人形は宿屋に教えてもらったレストラン――酒屋に近いのだが――に行くことにした。人形は固形物を分解する器官を持たないため、食べる必要がないのだが、奇術師が何かを食べているのを見るのは好きだった。それに、奇術師もひとりで食事を摂るのは、あまり好きではなかった。

 広い木製のテーブルに通され、どのメニューにするか思案していたところ、

「あの奇術師さんと人形さんじゃないか」

 と聞き覚えのある声が聞こえた。目を上げると、相変わらずビビッドオレンジの服を着ている幻影遣いが立っていた。中に着ているのがタートルネックからポロシャツに変わっていたが、オレンジの印象が強すぎてそれほど目にはつかなかった。幻影遣いの横には、当然トミイがおり、パーカーを着てトミイだよ!と言っている。少年の形をしているが、自動人形なので酒場にいても問題はないだろう。

 奇術師は幻影遣いに答える。

「まともな食事処はここしかないんだから、仕方ないだろう」

「旅行客から見れば、そう見えるんだろうな」

 あっせっかくだから一緒にご飯食べようよ! 仲間なんでしょう? とトミイが言うので、しょうがないなと幻影遣いは笑い、しょうがないっていうのはこっちですよ、と奇術師は思う。

「仲間じゃないな」

「仲間ではないね」

 幻影遣いも奇術師も同じようなことを口にしてしまい、目をそらす。

 テーブルはちょうど四人がけだったので、向かい合って座っていた奇術師と人形が奥に詰め、奇術師の隣に幻影遣いが、人形の隣にトミイが座ることとなった。すぐに店員が来て、四人分の水が提供される。

「お、幻影遣いさんだ。今日もすごかったな。お隣は……ああ、今日来たとかいう奇術師さんだね。花の街を楽しんでいってくれよ」

 気さくな店員が話しかけてきて、幻影遣いはいつもありがとうな、と言い、奇術師はそうですね、と苦笑いする。

「それにしたって、地元のひとも来る店なら、きっと、おいしいはずだ」

 だいたい、観光客用の店というのは、料金だけ高くてたいしたことのないことが多い。幻影遣いたちは、どうやらこの街のマジシャンのようだから、わざわざそんな店に入ることはないだろう。

 席に座ってメニューを眺めている幻影遣いは言う。

「推理のできるいい子のために、ここのおすすめを教えてやろう」

な、トミイ、と幻影遣いがトミイに言うと、

「鶏肉のトマト煮込み!」

とトミイは間髪入れずに答える。

「正解だトミイ」

 こいつはこの街のあらゆるレストランに精通しているからな、と幻影遣いはトミイの頭を撫でる。トミイは子供じゃないんだからね! と言いつつもされるがままになっていた。

 奇術師はトミイのおすすめ通り鶏肉のトマト煮込みを注文した。幻影遣いはサラダとチキンのセット、トミイは塊ステーキ。それから人数分のワインを。

 奇術師は喉が渇いていたのでコップの水を飲もうとしたが、トミイがまくしたてるので、飲む暇がなくなってしまい、そのままコップを持っていることになってしまった。

「ちなみにほかの店のおすすめはね、牛肉のステーキならハシクラ、豚肉のソテーならキューイ、野菜炒めなら……」

 トミイが続けようとしたら、幻影遣いが遮った。

「なあ、奇術師。お前はどうして人形に喋らせないし、食わせないんだ? 技術的には可能なことだろ?」

 現状、自動人形は人間とほぼ同じ性質を持つことが可能である。ただし、人形は経年変化を基本的には行わないため、パーツの交換が必要となる。人間には自然治癒力があるが、自動人形にそれは存在しない。

 だから、自動人形は当然話すことも、食べることも、できる。

 だけど、奇術師は、その能力を自分の人形には与えていない。

 幻影遣いには、それがずっと、気にかかっていた。

 ましてやあんたほどの技術を持つ人間なら、と、幻影遣いは続けた。

 奇術師はコップを置き、幻影遣いに答える。

「――レーンはみんなに愛されるためにある。ほら、僕には愛嬌がないから。公演を成功させるためには、技術だけじゃ足りない。観客を引き込まなきゃ。僕の代わりに、みんなに愛されてもらう存在が必要だ。そのためには、この人形をみなが自分のものだ、と思えなければならない。だからそういう機能は制限したんだよ」

 そうだろう、と奇術師は人形の方も見ずに頭を撫でる。奇術師の手が離れたあと、人形は水の入ったコップを持って、飲むふりをする。そうすればより人間らしい振る舞いができると知っているからだ。

 幻影遣いはお水のおかわりお願いします、と店員に言ってから、

「てかその自動人形に対して、さっきと違う名前呼んでるじゃん。ちゃんと名前もつけてないんだろ――自分だけの自動人形じゃない、って言い訳のつもりか」

 奇術師は先程テンポラリーネームと言った。幻影遣いはそれが気に食わなかった。その場しのぎの名前を与えて、ある会話の場面をやり過ごせば、もうその相手に会うことがなければ、問題がないだろうと考えているその性根が。

 所有しているならば、所有するものの責任がある。

 奇術師はむっとして答える。

「言い訳? 僕は最初から、こいつを、僕にできないことをするものとして、愛情をみんなから受け取るものとして作ったんだ。僕の『モノ』じゃない」

 もし今の人形と同じ役割を持てる人間がいたなら、それでよかったのだろう。だが、そんなものはどこにもいない。いるわけがない。だから自分ができないことだけを詰め込んだ人形を作った。それだけのはなしだと、奇術師は認識していた。

「へーっ、その割に、お前花冠被ったこいつ見て、嫌な顔してたじゃん」

「何の話ですか」

「嫌っていうか何? 不服そうな顔してたぜ」

 奇術師にとってそれはまったく覚えのないことだった。あのとき? どんな顔してたかなんて覚えてない。僕は花冠を被った人形を見て、幸せそうでいいな、と思っていたはずだ。 この話を傍から聞いている人形は、不安げな目で奇術師を見ている。

 ほら、あんたの言葉はこいつを不安にするだけだ。

 だから奇術師は幻影遣いに食って掛かる。

「それとこれとに何か関係があるんですか」

 わかりたくないならいいけど。そう幻影遣いが飄々と言ったところで、料理と飲み物が到着する。

 食事をするときには、口論をするべきではない。

 それは、奇術師も幻影遣いも、承知していた。

 奇術師の頼んだ鶏肉のトマト煮込みは、評判通りの味だった。トマトの酸味のお陰で鶏肉がさらにジューシーに感じられ、ワインにも合う。

 やわらかい肉の甘みを堪能していると、今までの話を忘れてしまうような気がした。

 このときばかりは、人形にも一緒にご飯を食べてほしかったな、と思う。このおいしさを、共有できないのは、なんか、なんかーーなんだろうか。

 そんなことを奇術師がぼんやりと考えていたところ、山盛りのサラダをむしゃむしゃと食べながら、幻影遣いはさらに続ける。

 幻影遣いは、まだ奇術師を追及するつもりのようだった。

「それからさあ、できるのにやらないのって、おれには怠慢に見えるけど。だって、今日の最後の手技だって、もっと派手にできるだろ」

 最後の、というのは、小さな箱を使ったマジックのことだろう。小さな箱が手元で消えたり現れたりするそのマジックは、地味ながらも技術が必要なものだ。今回はそこまで大規模な公演ではなかったから、これがラストでよいと、奇術師は考えていた。

 実際大いに盛り上がったことではあるし。

 奇術師はナイフとフォークを置き、幻影遣いに向き直る。

「今日初めて会っただけで、よくそんなことが言えるな」

「言えるさ。こう見えてもおれはここで十年以上やってるんだよ、大規模な幻専門でな」

 しれっと言ってのける幻影遣いに、奇術師は苛立ちを覚えた。

 奇術師は自分のマジックに誇りを持っていた。それなりに。自分の見せているものがマジックであったとしても、観客に一時の夢を見せて、楽しませられるのが、自分の生業なのだと。だからこそ――

「――それを言うなら、あなたは自分のやっていることを魔法って呼ぶじゃないか。マジックだってわかっているのに。それは嘘だ」

「嘘をついて何が悪い」

 幻影遣いは奇術師をまっすぐに見て、言う。

「おれの嘘はやさしい嘘だ。死んだ母親の幻を見ている奴に、そいつは死んでいると教えるのがやさしさか? 体温だってあるし、触れるんだぜ? その瞬間は、ほんものだって信じられる幻だ。だったら、魔法にしたほうがいい。当然、観客だってバカじゃない。これがマジックだってのはわかってるんだよ。でもあいつらは、おれたちに騙されたくて来ているんだ。綺麗な夢を見たくて来てるんだ」

 幻影遣いは、自分が嘘つきであることは自覚している。うまい嘘つきであることを。だからこの仕事を選んだ。だからトミイを作った。だからこの街にずっといる。

 みんなを騙して、一時の幸福を与えるために、ここにいる。

 幻影遣いはトミイのほうを一瞬見やる。それから、奇術師に答える。

「なら、夢を見せてやることくらい、するさ」

 奇術師はひとつ息をつき、

「意外と熱いんですね」

 奇術師は、幻影遣いは口先だけの人間なのではないかと思っていた――まあ、見ていてわかった通り、マジックのテクニックは、すごいけれども。だが、そうではないようだった。この一見軽薄な男は、自らの信念を持って軽薄なのであった。

 幻影遣いはワインを煽って笑う。

「お前も大概同類だろ」

 それから、奇術師の隣に座っている人形を見る。

「ほら、お前の人形もニヤニヤしてるぜ」

 その言の通り、人形は笑いを堪えるように手で口を覆っていた。何がそんなに面白かったのだろうか。

 奇術師はなんとか言い返せないかと思って、

「あなたの人形はずっと肉食べてますけどね」

「おれのトミイはそれでいいの」

「トミイはトミイだからね」

 トミイは、そんな小さな体によく入るなというくらいの肉を食べつづけている。

「冷えないうちに食えよ」

 サラダとチキンを一緒に食べている幻影遣いが奇術師に言うと、

「冷える原因を作ったのはあんたでしょうが」

 奇術師は再びナイフとフォークを持つ。

 

 途中で多少険悪な瞬間があったものの、最終的には和やかに終わった夕食であった。奇術師も人形も幻影遣いもトミイも、みなそれぞれが満足することになった。人形は、みながおいしく食べていれば、それで幸せだった。

 帰り際に、幻影遣いは奇術師に向かって、こう言った。

「ねえ、おれたち、一緒に公演やったらぜったいに盛り上がるって」

「それにしては、僕達の守備範囲は近すぎるのでは?」

 ふたりともマジシャンだ。マジシャンはあまり組まないものだ、同じ畑を食い荒らさなくともいいだろう、というのが奇術師の見解だった。

 今回花の街に来たのも、幻影遣いがここまで派手にやっているとは知らなかったからだ。近いうちにこの街を去ることになることはわかっていた。

 幻影遣いはまず奇術師の胸に指をさし、それから自分の胸を指し示す。

「近いからだよ。おれが空に大規模な幻――ユニコーンとかグリフォンとかそういうのを見せるから、あんたの手元でホログラムの蝶とか出しなよ」

 きっときれいだぜ、と言う幻影遣いに対して、奇術師は、

「今日あんなこと話してて、よくもそんな提案、できますね」

「嫌じゃないって面してるけど?」

 人の心にずけずけ入り込んでおいて、組もうだなんて虫の良い、と思うのだが、たしかに、その提案は魅力的ではあった。

 同じマジシャンであっても、担当範囲が違う。

 ならば、だからこそ、もしふたりで協力することができるのならば。

 それはきっと、今までにないものを、生み出すことができるだろう。

 奇術師は言う。

「まあ、機会があれば」

 その言葉に対して、トミイがぴょんぴょん飛び跳ねながら、

「トミイもやりたい!」

 人形もトミイと一緒にジャンプしていた。わりと身長が高めの人形と、小柄なトミイが意気投合しているように見える様は、奇術師にとってなんだか微笑ましかった。

「とか言って、お前の技術を盗むだけだったりして」

 と幻影遣いはおどけて見せる。

「は?」

「おれって嘘つきだから」

「何の答えにもなってませんよ」

 自称嘘つき、幻影遣いのことはなんとなくわかってきた。嘘の中に真実があることも。そしてこの嘘は、たぶん、気まぐれだということも。

 二組は店の前で別れた。奇術師と人形はその日の宿に戻った。奇術師は、幻影遣いの提案のことを心の片隅に留め置いたまま眠った。

 きっと、いつか。今すぐにではなくたって、次、この街に来たときにでも。

 

 しかしその提案は実現することがなかった。

 花の街に、ドラゴンが襲ってきたからだ。

 もうこの世界に存在しないはずの、ドラゴンが。

 

 その次の日、街で一番高い建物よりも大きなドラゴンが、上空から舞い降りてきた。そのドラゴンは赤鉄色の鱗を持ち、伝説の通り、火を吹いた。炎によって、見頃だった花々は燃やされていってしまった。脅威だったのはその炎だけではない。地上に降りれば一歩進むたびに石造りの建物は壊れ、二歩進めば道が消失した。気まぐれに地上に降り立ったり、飛んだりしていくドラゴンによって、花の街はみるみるうちに破壊されていった。

 鐘が鳴らされる。ここ何十年も鳴らされていなかったという非常用の鐘が、鳴らされ続ける。その重い音とともに、ドラゴンは花の街を制圧しようとしてくる。敵意があるのかはわからない。あっても、なくても、存在が花の街の敵だ。

 街の護衛兵たちがドラゴンを食い止めようとしていたが、彼ら彼女らは一切、ドラゴンと戦ったことはない。伝説上の存在だと誰もが思っていたから当然のことだ。

 だからせめて、避難誘導だけでもしなければならない。

「おい、早く逃げろ! 気を付けてな!」

「子供が優先だ、避難経路はこっち!」

 護衛兵たちは必死の覚悟で人々を逃がそうとしていた。ほんもののドラゴンに、人々はパニックを起こそうとしていたが、彼ら彼女らの誘導によってなんとか落ち着いていた。

 逃げ惑う群衆の中に、噴水広場で、ドラゴンを見上げるものたちがいた。

 奇術師と人形も当然、街の外に逃げる予定だったのだが、あのビビッドオレンジだ、見間違うわけがない、彼らが逃げようとしないのを見て、思わず声をかけた。

「あんたらは逃げなくていいのか?」

「おれたちの幻であのドラゴンを引き付ける」

 今その準備をしてる、と事もなげに言ってのける幻影遣いに、奇術師は、

「はあ? 何言ってるんだ」

 意味がわからない。幻でドラゴンを引き付ける?

「だからお前たちは逃げろ」

「それなら僕にだって何かできるのでは?」

 同じマジックを使うものなんだし、と言う奇術師に、幻影遣いはどこか得意げに、

「おれたちはこの街の幻影遣いなんだよ。おれはこの街で生まれてこの街で育った。花の降る街で。お前は知らないだろうけれども、この街はいちばんうつくしい都市なんだ――少なくとも、おれにとっては。だから」

 幻影遣いは口元を上げる。

「おれは来年の花のために、花を見るみんなのために、ここで死んだって構わない」

 幻影遣いは、足がすくんでいるトミイに声を掛ける。

「――トミイ、お前はどうする」

「ついていくよゴーリイ、トミイたちはふたりでひとりだ」

 その言葉に、幻影遣いはトミイの肩を叩く。すっくと立ったトミイは、まっすぐに空を見つめている。その視線の先には、今は米粒のようなサイズのドラゴンがいる。いつまた降りてくるかは、わからない。

「よく言った。ま、おれもトミイのサポートなしじゃできることもたかが知れてるし」

「それにしたって、あのドラゴンは現実、そうじゃないのか」

 奇術師は幻影遣いに言う。

 どんなによくできていたってマジックはマジックだ。戦いの手段ではない。

「おれが得意なのは大規模な幻だ、知ってるだろ? 熱も質量もある、そんな幻なら、もしかしたら」

 天使も降らせる。ユニコーンも飛ばす。死んだ母親にだって会わせてあげる。

 不可能を可能にするのが幻影遣いの幻。

 まるで魔法みたいな、幻。

 行けよ、奇術師、お前には荷が重いだろ。

 お前のやるべきショーは、他にあるだろ。

 実際、自分にできるマジックでやれることは、ここにはなかった。

 心配そうに彼らを見ている人形の手を取って、奇術師は花の街を立ち去った。

 

 その後、他の街で、奇術師が聞いたところによると、こうだ。

 空に現れたのはもう一頭の巨大なビビッドオレンジのドラゴン。街にやってきた本物のドラゴンの二倍ほどあるそれは、偽物の火を吹いて、ドラゴンを追い払うまでは行かなかったのだが、街が完全に壊されるまでの時間稼ぎをしたのだという。奇跡的に、街の人たちはみんな助かった――最後まで街に残って、幻を見せ続けた、彼ら以外は。

 

「幻影遣いとトミイ」

 奇術師は、新しい街へと向かう途中、道すがらにある草原で、ふと、つぶやいた。

「ジョニーはあいつらのこと、どう思う?」

 人形は目を伏せたあと、晴れやかに笑った。それから、頭のまわりに手をやった。なにかを被るように。

「ああ、花冠をくれたもんな。トミイが。もう枯れちゃったけど」

 人形は小さなポーチの中から、くしゃくしゃになり、すでに枯れている花冠だったものを取り出す。それは、まったく原型をとどめていなかったし、乾燥しきって色もわからなくなっていた。もしドライフラワーにすれば、色は残っただろうに、人形はその方法を知らなかった。

「捨てなきゃだめだよ」

 不服そうな顔をする人形に、彼は、わかった、鳩にしてやるからさ、と草の塊に手をかざし、鳩を出現させた。鳩は空に飛んでいくことはなく、てくてくと地上を歩いていたので、奇術師はそれを回収した。鳩は限りある資源だ。

 人形の表情が変わることはなかった。これがマジックであることを、このマジックのタネを、知っているからだ。

 予想の範疇ではあったのだが、人形が悲しんでいると、奇術師としても気が晴れない。

 何かこの人形が喜ぶものを、と、奇術師は考え、

「そっか、お前、名前ほしいか?」

 幻影遣いの話を聞いていて、そう思うようになった可能性は十分にある。

 幻影遣いは、人形にテンポラリーではない名前を与えたほうがいいと考えていた。実際、幻影遣いの自動人形であるトミイは固有名で呼ばれていたことだし。

 エーコ、ダンセイニ、ブラックウッド、うーん、どれしっくりこないなら、と奇術師かぶつぶつ呟いていると、人形は奇術師の口をふさぎ、目を合わせ、首を横に振った。

「このままでいいってことなのか……?」

 人形は大きく首を縦に振る。

 人形が望まないことは、しない。それが奇術師にとっての、人形への愛情の示し方だった。

 草原をざわざわと風が吹き抜け、人形のモーブピンクの髪を揺らす。人形は耳元を押さえて、髪が口の中に入らないようにする。やがて風はやみ、草原は静寂を取り戻す。


奇術師がぽつりと言う。

「あのドラゴンが幻だったらよかったのにね、ジョニー」

 晴れ渡る青空の下、あのとき出てきたほんもののドラゴン。

 空というのは、幻影遣いにとってかっこうの大きなキャンバスだったであろう。平時であったら。

 なら、と奇術師は考える。

「もしかしたら、幻のドラゴンを出して、あの街を救うことによって、英雄になろうとしたんじゃないかな。だから、ほんとうは彼らは生きているんだ。今も、あの街で」

 あの『ほんもののドラゴン』すらも幻だったとしたら、僕たちはまんまとしてやられたことになる。でも、彼らがあの街を愛しているのは、本当のようであった。

 あれは、あの言葉は、きっと、嘘じゃなかった。

 だからこれは、ただの気休めだ。そのことを、奇術師はよく理解している。

 奇術師は、左の手のひらを開いて、オレンジ色の蝶を出した。

 蝶はぱたぱたと羽ばたきながら、青空へと飛んでいく。

 そのさまはまるで、魔法のように美しかった。

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