奇術師と人形

@matsuri269

奇術師と人形

 その奇術師が見せるマジックは、魔法と区別がつかなかったと伝えられている。

 右の手のひらから赤い花びらがこぼれて、地面についた途端に炎となり消える。

 握られた左手を開くと小指の先ほどのキリンが現れ、机の上をてくてくと歩く。

 ステッキを宙に舞わすと色鮮やかな光彩が広がり、手を伸ばすと飴になったり。

 普通の紙芝居が始まったかと思えば、いつの間にかその登場人物が喋りだした。

 そう、魔法、普通に考えたら魔法でしかありえないことが起こる。

 それが奇術師のマジックだ。

 観客たちにとっては、なにもかも、魔法のように見えた。無論、大人たちはマジックであることを理解しているはずなのだが、それでも童心に返って騙されたくなることがあった。

 ひとときの夢を、見たくなる瞬間があった。

 これは魔法なのか、と問われると、奇術師はぜんぶタネがあるんですよ、と、大人たちには語った。子どもたちに対してさえも、これは魔法なんだよという嘘をつくことはなかった。その代わりに、いつかきみにもわかる日が来るかもしれないね、と言った。

 そう、タネも仕掛けもある。

 ただ、誰にも見えないだけ。

 奇術師はそう言って、いつもにこにこと笑っていた。

 そしてその奇術師の隣には、常にアシスタントの自動人形が立っている。

 その人形は、まるで生きているヒトであるかのように、帽子の中に、ハトを隠していたり、観客を用いた人体切断マジックの、ナイフを裏から持ってきてくれたり、小指の先ほどのキリンを、サバンナに帰してやったり、していた。

 そして最も重要な役目はこれだ。

 誰よりも早く拍手することで、観客に拍手のタイミングを教えること。

 自動人形、とはいっても、その人形の姿形は普通のヒトと区別がまったくつかないように作られており、人々の中にはこれを奇術師の『魔法』のうちのひとつだと考えるものもいた。もちろん、そう聞かれたところで、奇術師はそんなことないよ、と否定するのだが、人形の中身を見せてくれることはついぞなかった。

 

 これは奇術師と人形のものがたり。

 つくられた永遠の、ものがたり。

 

× × ×

 

「それでは最後、皆様に、奇跡をご覧にいれましょう」

 赤の街――赤レンガを基調とした建物が多いこの街は、いつの間にかそう呼ばれるようになっていた――の繁華街の外れにある公園、その片隅には群衆があり、その中心に立つのはふたり。

 ひとりの男――奇術師は、すらりとした長身で、黒のジャケット、黒のズボン、白のシャツ、ネクタイだけは赤という、いたってオーソドックスな出で立ちをしていた。年の頃は三十そこそこだろうか。ジャケットのボタンをしっかりと留め、かっちりとした印象を周りに与えるようにしている。清潔感があるように整えられた黒い髪に、少し青みかかったグレーの瞳が印象的だ。

 もうひとり――人形は、隣の奇術師とは対照的に、白で上下を統一していた。モーブピンクのウェーブの髪は、肩口まで届いている。ライトブラウンの瞳がばちりと瞬くたびに、人々はその輝きに目を奪われることになるだろう。外見年齢は奇術師よりも少し下に見える。いつだって少しだけ開いた唇が、隙のある印象を与えているのは、みながこの人形を愛してくれるように、と、奇術師が設計したからだ。

 奇術師はここまでに、いくつかの技を見せていた。カードを用いた簡単なものから、観客を巻き込んだ派手なものまで。すべてに拍手喝采をさらってきた奇術師と、それのサポートをする人形は、ついに最後のマジックにとりかかろうとしていた。

 奇術師が地面にすっと手をかざすと、氷の柱を地面から生えてきて、螺旋状のフラクタルを描く構造物が構築される。横に立っていた人形が真っ先に拍手して、一拍遅れて観客たちが拍手した。

 そして、最後まで拍手していたのも人形だった。

 奇術師は人形の拍手を手で押さえて、もういいんだよ、と呟く。人形は奇術師に笑いかけてから手を下ろす。

 奇術師は、ありがとうございました、と言いながら、かぶっていた黒い帽子を手に取って、地面に置き、お心をお願いします、と言う。

 観客たちは次々に硬貨や紙幣を投げ込んだ。

 観客たちとて、日頃から大道芸人に慣れ親しんでいる。

 そう滅多なものではないと、金は払ってくれない。

 だが、奇術師と人形は、どの公演も成功させてきた。

「ありがとうございます」

 奇術師と同時に、人形も一礼する。

 人形は言葉を発することはない。

 それが不可能だからではない。

 この人形が誰からも愛されるためには、言葉は邪魔だと、奇術師が考えたからだ。

 

 奇術師と人形は赤の街の中心部、駅の近くに宿をとっていた。人形はヒトではないが、ヒトと同じだけのサイズのベッドが必要なので、宿泊料金もヒトひとりぶんと同じだけ必要になったが、その料金を節約するために人形をばらばらにして保管することはしなかった。

 世の自動人形所有者の中にはそのような扱いをする者もいると聞いてはいるが、奇術師はそれにはあたらなかった。

 奇術師が人形を分解するのは、リペアするときだけだ。

「なあニック、今日の公演も上手くいったな」

 ステージ衣装から着替えて――とはいっても、ラフな上下黒なのだが――奇術師は人形に語りかけた。人形は奇術師のほうを見て、ぱちりと瞬きをして、微笑みかけた。

 ニックというのは人形の名前ではない。誰からも愛されるみなの人形に、固有名は必要がないと奇術師が考えたからだ。

 それでも人形は、今奇術師の口から発されたニックというのが自分の名前だと認識することができる。

 なぜなら、奇術師は誰の固有名も呼ばないからだ――人形に対して以外は。

 だから、何であれ,人名が奇術師の口から発されたのならば、それは人形のことを指す。

「お前のおかげだよ」

 人形は首をかしげる。人形としては、自分の任を正確に果たした、それだけだった。

「だってさ、お前以外に僕のマジックについて来られるやつなんか、いないんだ」

 自嘲気味に発される言葉は、人形に受け取られはするが、言葉による返答が戻ってくることはない。

 奇術師がそう作ったからだ。

 人形が奇術師のマジックを的確にサポートできるのは、奇術師がそのように設計し、訓練を重ねたからである。

 人形も、そのことを承知している。

 だからといって、人形は、奇術師の今の発言を自画自賛だとは思わない。

 奇術師はいつだって別の自動人形を作ることができるはずだ。なのに、この人形を修理しながらも使い続けていた。

 ならば、自分には、ここに存在するだけの理由があるのだと、彼の横に立つだけの価値があるのだと、そう思っていた。

 このように、奇術師は人形に自由意志を許していた。設定していた、と言い換えてもいい。誰からも愛される人形が、自分の考えた構成要素だけで成り立つことなどありえないと考えていたからだ。

 あるいはこう言い換えてもいい。

 自分が作ったモノ、そのモノが単体で愛されることなんかない。偶発性が必要だ、と。

「お前は早く寝ろよ」

 奇術師はそう言いながら、マジックの道具の整理を始めていた。黒いトランクの中には、どうすればこれだけの量が入るのがわからないほどのマジックの道具が入っている。それらをベッドの上に並べ始めた。杖やハンカチといった小さくて用途がわかりやすいものから、黒くて四角い、一見何に使うのか全くわからないものまで。

 奇術師に寝る気がないのは明白だ。人形はそれを手伝おうとしたが、手で制された。

「リリーはいいよ」

 奇術師は、人形に対してまた違うコンテンポラリーネームを使っていた。彼がころころ人形のテンポラリーネームを変えるのは、だいたい、気が立っている時だ。

 奇術師が他人に道具を調整させることはなかった。たとえ、人形でさえも。


 次の日の昼過ぎ、今度は赤の街の別の区域の公園で、奇術師と人形は公演を行うことにした。そこには赤いレンガづくりの噴水があり、ふたりはその近くを公演にぴったりの場所だと位置付けた。

 最後の大掛かりなマジック――観客をステージの近くに連れてきて、機械の中で空中浮遊させる、というものだ――が無事に終わり、観客からの歓声を浴びたあと、長いスカートを履いたひとりの女性が奇術師に駆け寄ってきた。

「どうされましたか?」

 奇術師が冷静に問うと、女性は必死に捲し立てる。

 たまに、こういう面倒なファンがいる。ファンのあしらいなら、慣れているはずだった。

「わたし、あなたたちのこと、子供の頃に見たことがあるんです!」

「それは光栄です」

 涼やかに返す奇術師だが、女性は眉間に皺を寄せている。

「昔は別の街に住んでたんですけど、その時もこんなすごいマジックを見て、でも、あなたも、その横の方も、まったく、同じ姿、でしたよね?」

「別の街、ってどこですか?」

「ええと、青の街ですね」

 青の街。確かに行ったことはあるはずだ。きらびやかな青いタイルに覆われた街。いつだかはわからないけれども――旅をしていればどこにいつ行ったかなんてあいまいになるものだ。

 奇術師はその女性に尋ねる。

「見間違いじゃないですか?」

「じゃあ、もしかして、ほんものの」

 魔法使いじゃ、ないんですか?

 魔法使い。この世界に存在するとはまことしやかに言われているが、実在は確認されていない、奇跡を起こす存在のこと。

 そう言う女性に、奇術師はなおも冷静に答える。

 その会話を聞いている人形は横で少し口を開けて笑っている。

「もし僕が本物だとして、どうするんですか?」

「どうするって、そりゃあ……」

「魔法なんて、あるわけないんですから。というか、あるとは証明されていないんですから。でも僕のマジックは違う。すべてにタネも、仕掛けもある。あなたにはそれが、見えないだけで」

 そう言うと奇術師は、右手を広げて見せて、裏返し、次の瞬間にはハートのエースのトランプを持っていた。

「今のはサービスです。言いたかないですが、マジックは技術、なんですよ」

 行こうかトラヴァース、この街に来ることは二度とないだろう。

 人形は頷いて、荷物をまとめた奇術師についていく。

 女性はその背を見ながら、それでも自分の記憶を疑えずにいた。

 わたしは見た、見たはずだ、黒の奇術師と、白い人形を――


 奇術師と彼の作った自動人形は彼女の視線をものともせずに、次の街へと歩いていく。

「なあジャック、今度のマジックの大ネタなんだけど――」

 そう語る奇術師はわくわくしているようで、人形は奇術師が楽しく物事を語るのが好きだった。


 これは奇術師と人形のものがたり。

 つくられた永遠の、ものがたり。

 彼らのつくった永遠の、ものがたり。

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