⑪ 夜明けとちいさな歴史



 


「すまなかったな副団長。くく、この体たらくで挙句の果てには間に合わなかったとは。


 だがよくやってくれた。『スケイデュ』の誇りを守り、兵を無駄に傷つけなかった。

 俺ではできなかったことかもしれん。ふふ、そしてこうなったのは仕方ないとしか割り切れまい。」


 急いで旧大聖廟の丘から降りたミガシもキぺのパンチが深部にまで影響していたのだろう、大通りに出るだけで精いっぱいだった。

 そんな前線に出られず終いの不甲斐無い団長にしかし、副団長をはじめ『スケイデュ』団員は次々と駆け寄り、気遣う言葉を残して傷ついた者の介助へ向かっていった。


 そんな上意下達の兵団ではお目にかかれない「馴れ馴れしさ」が今のミガシには快かった。あの絶体絶命の状況下で民を守ろうとしたその姿に、なにか気恥しいような、面映ゆいうれしさが滲んでくるからかもしれない。


 圧倒的な自信に塗り固められたその剛腕が細身の青年ひとりに打ち砕かれても、ミガシにはこんなにもたくさんの「自信」があるのだとだから気付く。


「はっ! 勿体なきお言葉ありがたく頂戴いたします。ただしかし団長、休まれてはいかがでしょうか。

 見てのとおりこの街に危険はなくなりました。いえ、また万が一に備えて一部は警備に当たらせてはおりますが『ファウナ革命戦線』『フロラ木の契約団』『なかよし組合』共にスナロア殿を支持する組織ゆえ、警護に手を貸してもくれるでしょう。


 あとはわたしでも指揮は執れます。どうか、体を休ませてはいただけませんか。」


 根性だけで這い降りてきたことが副団長にもひしひしと伝わるほど脂汗に濡れるミガシの顔は青い。

 キぺのパンチは打撃というより破振効果のような衝撃を伴うものだったのかもしれない。となれば内臓はほぼ全般に渡って損傷、少なくともショックは被っているだろう。

 となれば指揮を執るなど狂気の沙汰でしかない。


「くく、ばかを言うな。命さえ落としたかもしれん部下がいるのにこれしきのことで長が横になれるものか。


 それにな。見ていたいのだ。いや俺とて怪しい者は見つける。だが、なんというか。」


 いつ何時「もしかしたら」が発生するか判らない。だから監視は続けるものの、しかしこの「守らなくてもいい景色」はやはりミガシにとっても絶景だった。


 他方ここまで「大手配」を連れてきた旅団員は旅団長の計らいなのか、「民衆に巻き込まれて大手配を取り逃がす」という失態をやってのけている。手を伸ばせば捕まえられる大手配たちを、流れ込んできた民衆を言い訳に手離したようだ。


 ミガシにも聞こえた「いずれ裁かせる」に任せるつもりなのだろう。

 それも保証人がやがて教皇となるスナロアだからこそ聞き入れられたのだが、彼らも見たかったのではないかな、とミガシは思う。


 ファウナ系劣等人種をはじめとする虐げられた不満分子を束ねた『ファウナ革命戦線』。

 追いやられたユクジモ人の独立を旗印にフロラ系人種をまとめた『フロラ木の契約団』。

 保守穏健派の枢老院、イモーハ教、忘れな村その他を繋いだ『なかよし組合』。


 聖都中央域にこれだけの組織が入り混じっていながら


「団長・・・いいですね。・・・すごいですね。」


 争いもなく武器も構えず


「ああ、そうだなハユ。例えうたかたの宴であったとしても、すばらしいと俺も思う。」


 ただただ喜びを分かち合う。

 そんな美しい世界が

 ここにある。


 そこへ。


「こらこら、そっちは危ないから・・・ちょっと?」


 警邏隊の男に咎められるもこちらへ歩いてくる親子らしき二人組が現れる。


「いい。俺に任せておけ。」


 そう言ってミガシは副団長と警邏隊の男をパトロールへ向かわせる。


「どうした、観光客か? すまぬが旧大聖廟周辺は危険なので立ち入りは禁じている。目当てに来たのであれば心中察するが、今はこの歓喜に沸く街を楽しんでいってくれ。」


 ミガシ遊団長、観光案内をするの巻。

 意外と流暢に接客できていたからハユもびっくりだ。


 だが。


「・・あ、れ? あれっ? か、か、カロさんっ! とノル坊!

 あれ、どうしたんですか。あ、や、観光にいらっしゃったのでしょうかな?」


 密かに憧れを抱いていたカロとの再会にぴこぴこっと「少年」が顔を出すも、すぐに立場をわきまえミガシっぽい口調に訂正する。


 ミガシはもう本気で頭グルグルして気持ち悪かったがこの時ばかりはハユを抱きしめてお花畑を駆け抜けたいと思ったそうな。


「おー、ハユちんそれにあってるぞぉっ! きししし。」


 勇ましくぴしっと立つハユを試すようにノルはおちょくる。


「ふふ、そうだね。それにロクリエの花はいろいろ役に立ったよ。


 ・・・ところでミガシ団長だったかな。わたしは故あって行かなければならないのでね。通らせてもらうよ。」


 ふふふ、かっこいいねハユ、などとほんわかやり過ごそうとするも、


「いや、すまぬがそれはできぬ。ハユの知り合いか? そうか。ならば見てやってくれ、ハユもあの瓦礫にぶつかって――――」

「急ぐんだよ。」


 ぴりん、と鳴る。


「団長っ?」


 その合図に、その気配に、闘いに身を置いてきたミガシは体を任せ、


「そいやぁぁぁぁっ!」


 素早く板拳を振り抜―――


「ミガシ、きみの勘は正しいな。」


 ―――けない。


「・・・お、前も・・・か?」


 苦痛に悶えていた身とはいえ、ただの一般市民がミガシの一撃をどうにかできるはずがない。


「わたしは赤目やキぺほどやさしくはない。この場にいる者たちを相手にすることも無理ではない。だが、それが目的ではない。・・・通してもらうよ。」


 にも拘わらず、ミガシの板拳はキペの時と同じように目を瞑るコネの男に止められてしまう。


「キぺだと? ふん、なるほどだからハユも知っているというわけかっ! 


 だがなっ、なればこそ通すわけにはゆかんぞっ! ハユとハユの兄くらい守ってみせるわっ! 何を企てているのか知れぬ輩が易々と通れると思うなっ!」


 シクロロンたちはスナロアの同行もあり敵とはみなさなかったがこの男は別だ。


 たとえハユの知り合いだったとしてもそこから裏切った風読みジニがいる以上、身元の判明しないバケモノ級の邪魔者を野放しにするわけにはいかなかった。


「・・・っと。なるほど。ふふ、なら安心するといいミガシ。わたしの目的は恩を返すこと。キぺを守ることだよ。


 ハユ、詳しい話は今はできない。本当に危険かどうかも判らない。


 だけど、・・・最悪の場合はわたしも力を貸さねば収拾できないだろう。それにスナロアも恩人の一人だから。


 だから、通してもらうよミガシ。」


 ずん、とまた放たれた拳も受け止めたカロは、空いた手をするりと防具の隙間からミガシの腹に挿し入れる。


「何をっ・・・?・・・・なん、だ?」


 そしてヒトの体温では説明がつかない熱い手がす、っと抜かれる。 


「ふふ。これでいくらか楽になっただろう? 傷は癒せなくともはぐれた振動数を戻すくらいはできる。では。」


 何を言っているのだ、と訝るミガシはそこで気付く。


「じゃーねーハユちんっ!」


 めまいや貧血にも似た不調が引いていたのだ。


「えぁ? あうん。・・いや、はい。・・・団長? あの、瓦礫のケガが響きますか?」


 まさかあのキぺがミガシの自由を奪ったとは露とも思っていないハユは、そのためカロがこぼした言葉の意味は吞めていなかったようだ。せいぜい「アカメというヒトとキぺよりはやさしいヒトじゃない」くらいにしか。


「いや。・・・・ハユ、旧大聖廟の入口までは行くか。」


 中に連れていけずとも、ミガシも気になってしまう。


「はいっ!」


 旧大聖廟の先にあるものが。


「・・・。なるほど、ねぇ・・・」


 そうして駆け出すミガシとハユの後をげっそりと瘦せ細った老翁が一人ニヤけながらついて行ったことにしかし、目を向ける者はいなかった。



 とったったったった。


「はぁ。しかしなんでまた教皇候補が来ちゃうんですかねぇ?

 キぺ君がどう、ってのにしても穏やかじゃない雰囲気が充満してるっていうのに。」


 もはや危険を冒すべきではない立場に自ら追いやった男が傍で走っている。

 事実の顛末が知りたければ戻ってきた者に聞けばそれで済むはずだろうとハクは思う。


「・・・共に行くのだから全てを話そう。簡潔にな。


 ジニとヒナミはユニローグへ向かい、シペたちはそれを阻止するため後を追ったのだ。


 ユニローグとは存在を拒む存在。


 それゆえに《ロクリエの封路》なる《膜》に守られていると推測される。

《膜》、つまり《ロクリエの祈り》と同様に植物や菌類などによって侵入を遮断されているはずだ。


 だがジニは《六星巡り》の完遂と、その受け皿となるハユを用いて突破を目論んだ。

 結果的にハユを手放すことになったが、あの男なら己の身を差し出してでも「賭け」に出るだろうな。」


 そんな歯切れの悪い説明にはだからこそまだ何の確証も得られていないことが伺える。

「失敗してくれたら」と「成功してしまう」が同じ可能性を孕んで見えるのだから焦るのは当然だった。


「あのスナロアさま、私は以前、風の神殿前で毒のある《膜》と内部で金色の世界へいざなう《膜》に出会いました。


 前者はどうやら〈契約〉によって無効化できるようでしたが、後者は例外を許しませんでした。肉体に及ぼす前者と精神に及ぼす後者は異なる《膜》だと思います。


 ただどちらにおいても問われるのはそのヒトそのもののはず。抗体を取り込んだ肉体、屈することのない精神、どちらにおいても。


 スナロアさま、私には《六星巡り》なるものでそのどちらかを、あるいは両者を掌中にできるとは思えないのですが・・・。それは、何なのですか?」


 かいつまんだ説明だったのもあり風の神殿での出来事を理解していたつもりのスナロアはそこではた、と気付かされる。


「なるほど。二種類の《膜》か。・・・ふくく。一人では解けぬと諸手を挙げた謎も二人、三人と寄れば解けるものなのかもな。


 これも簡潔に話そう。

《六星巡り》とは[打鉄]屋がこしらえた神像に六つの神官の血を含ませ「生き神像」としたものを、「生き霊像」の代わりとして用いる儀式のことだ。


「生き霊像」とは神殿内の水路祭壇にて、霊像が神官の血と共に《膜》に棲む植物や菌類を取り込んだ状態をいう。そしてそれが神殿を守る《膜》の保持には不可欠となる。


 それから一般に《六星巡り》は損失・喪失した霊像を補う保険と考えられている。大仰な儀式に仕立てるのも神官の血を大量に奪うのも、大事な霊像を失うことへの警告や訓戒と捉えれば頷けなくもない。


 だが我々はこの《六星巡り》による「生き神像」こそが《ロクリエの封路》を拓く解であると結論付けた。


 誰も試したことがないためにそれをまた翻す理屈もなかったのだ。


 しかし「生き神像」の扱いについてはお手上げだった。この先にある祭壇の間の水路に置けばそれでいいのか、あるいは「生き神像」の中で混じり合う六神官の血を飲めばいいのか。


 だからジニはそのどちらも試す方策を取るだろう。


 真然体・・・いや、とにかく途方もない血を継いでいると思われたハユであれば六神官の血を受け取れると信じて。もちろんそれで叶わねば自分で試すだろう。


 破れかぶれにも聞こえるだろうが、ジニはそれほどに執着している。」


 ユニローグという禁忌にジニが触れ、あるいは到達したからすぐにこの世界が終る、というものでは決してない。


 しかし〔光水〕や〔ろぼ〕を作り上げ、アゲパン大陸をこのような形に変えた神器さえも扱える技術が神代にあったのは紛れもない事実だ。

 それらを、あるいはそれに勝る秘密を危険な思想家が手に入れることはどんなことがあっても避けなければならない。


「ったくあんさんらは意味のわかんねーことをごちゃごちゃとよー。


 あのよー、単純に考えてよぉ、血に棲む菌がそんな簡単に順応すっかっつの。


 いーか? 毒っつのは簡単に言やぁモノだ。な? イガイガしたモノがぶつかるからケガすんだ。な? だから血に乗って当たるトコ当たりゃぶっ壊れんだよ。


 んでも菌は違うっつの。生き物なんだぞ。早ぇーの遅ぇーのあっけど、繁殖するなり乗っ取るなりしてくうちに壊してくんだ。それが病や「毒の菌」の仕組みだっつの。


 んで受け入れるだのなんだのってのぁ順応のことだっぺ? 定着・同化・順応の順応だ

 ぞ? 病の菌だってよっぽどじゃなけりゃ飲んですぐに順応はしねぇーっつの。


 それに六人の神官の血を単純に混ぜたモンが要なら陶瓶にでも詰めればよかっぺな。


 それをなんで外気に触れるわ温度も湿度も無管理だわって像に含ませる必要があんだ? 外気にゃ強い菌だっているんだぞ? 


 おいらにゃそーしなきゃならねー理由があるよぉに思えるんだがなー。なんだ、それともこりゃナス麿の割愛した説明ン中に入ってんのけ?」


 おまえは、おまえはっ!とポカポカポカポカシーヤを殴るハク。


 難しい話に首を突っ込めたことにもポカポカやりたい理由はあれども、あれだけスナロアの威光を見せつけられてあれだけ周りが「スナロア、スナロア」って言ってて、今でも横で「スナロア」って言ってるのにまだ正しい名前を憶えようともしないあたりに根源があるようだ。


「・・・? それは、血の、・・・血同士の、順応というのか反応というのか、それを促す働きが神像にあると言いたいのかシーヤ?


 ・・・なぜ。


 ・・・なぜ《六星巡り》を巡る順序が決まっている? なぜ神像でなければならない? ニビの木の原木では為せないのか? 神像と霊像の違いはなんだ?


 答えられる唯一の生き残りは・・・


 なにか明かりが・・シペかっ?」


 いやあんたもだよ、となるもハクは言葉を飲み込む。


 もうあれほどみんなが「キぺ、キぺ」言ってるのになんでそう頑なに「シペ」で通すのよあんたはよぉ、みたいなのがもう湧き出してしようがなかったがやめておく。


 将来、教皇になるかもしれないヒトだから。


「んあ? おーっ! ポロロロンっ! スナじーさんも来てくれたのかいっ!」


 明かりの元にはヒナミ、ニポ、ボロウに肩を貸すダイーダがいた。


「万事休すだな。ふ。天下のスナロアが辿り着いたのならわたしの命運はもう尽きたか。」


 なんかこの期に及んでカッコつけてるヒナミが気に入らないシーヤは初対面なのに問答も無用でそこらの小石を拾って投げる。ハクは隣で親指を立てて片目を瞑る。


「なんだに、いや、なにカネ? アタシはもう疲れたからコレあんたにやるに。」


 あ、こいつ体力余ってんな、と思ったダイーダはすかさずハクにボロウを委ねる。


 気さくなボロウが嫌いじゃないハクはといえば珍しく不平もこぼさず気を失ったその男を自ら進んで背負ってやった。


「あのっ! あのニポさんっ! キぺさんとジニ、さん? 風読みさまはっ?」


 ただそこには悪の大魔王候補・ジニと伝説の勇者候補・キぺの姿が見当たらない。


「風読みはこの先でくたばってるさ。チペは・・・霧の、《ロクリエの封路》の中だよ。」


 その単語にやはり誰より食いついたのはスナロアだ。


「どういうことだニポ。・・・引き返してきたのは《封路》のためか?」


 毒性にしろ仮構帯への連行にしろ未知の《封路》を避けたのは立派な英断だ。

 こうして状況を後に続く者へ託すことができたのだから。


「ああ。一応ね。・・・でもあんたは行くんだろ? あたいらが尻尾巻いて逃げたそこにさ。


 けけけっ! いーね、あんたも好きだよスナじーさん。


 やっぱ戻ろうっ! ギリギリまででいい。マズくなったら引き返しゃいい。それに、帰りたいヤツぁ帰った方がいい。誰も何も保障してくれないからねえ。


 でもさ、・・・でもさ、あたいも知りたいよ。

 ユニローグじゃない、あたいの三下の未来がさ。」


 誰も何も保障しない→誰も来ない→さらに来る者は全員ユニローグに夢中→商売敵が皆無→宝はすべてアタシのもの→・・・


「アタシも行くっちゃ! 財と宝と宝と財がアタシを呼んでるんだっちゃっ!」


 なんかこう、アレな感じでダイーダはやる気を取り戻す。


「ふくく、好き、か。相変わらずモクに似てヒトの心を掴む「娘」だな。


 では応じようニポ。

 モクが夢見た真実、この私が代わりに見ずにどうして友人を名乗れようかっ!」


 それは感情の言葉。


 体温も揺らめきもない「良し」より、その時々でしれっとあちこちへ行ってしまいがちな「好き」の方が、何倍も、何億倍もヒトの心に疾らせる風をくれる。


 そしてスナロア自体もあまり使わなかったそれは、使ってもらえなかった言葉でもある。


 だから、うれしかった。


 それはまるで、「大好き」なモクに再び会えたような感覚だったから。


「わかってるなシーヤ? ボクはわかりたくもないけどねぇ。」


 ボヤくハクに、てえぃ、と蹴りを入れるシーヤ。


「あんさんが誘ったんだっぺなっ!「ありがとう」があるっつってっ! おいらぁまだまだまだまだもらってねーぞっ!


 かっはっは。大丈夫だ、役には立つっつの。・・・立たせろよ、ハクラ。」


 道具などポケットに入る程度しか備えていないシーヤもほしいのだ。


 あたたかい言葉が。「ありがとう」の一言が。

 すべてが報われてしまう、魔法の言葉が。


「さ、なかよし自慢はそれくらいにしてハク、シーヤさん。私たちも行きますよっ!」


 シクロロンの心を駆らせるのは己の意志だけはない。


 恐怖に怯んで退かせた足は再び祭壇の間へ向けられている。

 みんなと共に、だからだろうか。


「これだけいれば手に入るは金もしくは金しかないにっ! この腹に眠る本能の商魂をいま解き放つのだにっ!


 いざっ! 金銀財宝盗掘の旅へっ!」


 なぜか音頭を取り「財宝を盗む」と未来の教皇の前で宣戦布告する行商人が走ると、


「ふくく。悔しいな。笑えてしまうのが。」


 大神徒と謳われた老翁が走り、


「なに言ってんだナス麿っ! 笑えなくなったらそれが病気の始まりだってんだっ!」


 少女のような医法師が走り、


「だから本当にキミは口を慎めって! ったく、どいつもこいつも・・・」


 ボロウを背負うハクが走り、


「そう言わないでハク。みんな、みんなが一つになってるの。私はこれだけでも幸せだわ。」


 それらをまとめた夢追い娘が走り、


「きしし、いーねえペロロロンっ! いい顔してんじゃないのさっ!」


 混沌とも自由ともつかぬ感情だけの女が走る。


 それぞれが微妙に違う。

 それぞれが求める形もまた違う。

 それぞれがそれぞれであるが故に明白なそれが今、


 だいたい合ってる。


 しかしそれが時代を動かし、

 歴史を築くのだ。





 すったったった。


「なんでオマエが来るんだよ。」


 すったったった。


「何事かあっては困る。・・・『フロラ』の躍進に父・・スナロアの教皇即位は不可欠だ。」


 ふー、とダジュボイは呆れたように鼻で息を吐く。


「ったくよぉルマ、もうちっと――――」 


「どこまでひねくれてるんだぁーっ! すなおになればいいだろーがぁっ!」


「うるせーなパシェっ! ヒトの背中でデケぇ声出すんじゃねぇっ!」


 走るのが遅すぎるパシェは「完全血聖」という切り札でもあるため背負うことにしたダジュボイ。パシェを犠牲にするためではなく、頼りにする時が来るかもしれないから。


「・・・父上も心配だ。だがボロ・・・フンっ! なんでもないっ!」


 兵たちの前、敵対勢力の前では強がることもいわば責任だった。


 でもここにいる他人はちいさなパシェだけ。

 それがだから、ルマの何かを緩めてしまう。


「なにビビっていいたいことゴマカシてんだぁっ! ちゃんととーちゃんいるんだろーがっ! とーちゃんだってホンネきかなきゃアンタとナニしゃべればいーかワカるわけないだろーがぁっ!」


 パシェがなぜこんなに怒っているのかそこで気付いてまうダジュボイは、だから黙るしかなかった。


 ダジュボイに子はなくとも、父と母がいた。兄もいて、愚かな甥もいる。

 全員、血を分けた者たちだ。


 自分が言い張ったり、誰かに説明する必要のない確かな血がきちんと繋がっている。


 忘れな村の民を「家族」と呼び、自分に言い聞かせるように生きてきた捨て子のパシェからしてみれば不和があろうと血は血なのだ。


「心で繋がったらみんな家族」などと間違ってない言葉をどんなに並べてみても、その孤独に耐えてきたパシェの前ではダジュボイですらも無力だった。


「フンっ! 今は血脈など細事にすぎんっ! 守りたいものを守り、分かち合いたいものを分かち合う、それだけだっ!・・・誰だっ?」


 とったったった、とその後ろを追いかけてくる足音に目を凝らす。


 ユクジモ人独特の方地覚は「視る」ことができない壁との距離感や、回廊のおおまかな造りは認識できるために火燈りなしで走れたのだが。


「カロっ、パシェちんとダジュちんだよっ。」


 背に負われたノルはどんな感覚を用いたのか、そこにいた二人を言い当てる。


「あぁ、ダジュボイか。いや、この先にキぺたちがいるのだろう? わたしたちも同行させてくれないか。」


 怪しむルマはダジュボイに目をやる。


 そしてこの親子のような二人組がどうやって旧大聖廟の厳重警備をすり抜けてきたのだろう、と疑問に思う。


「会うのは久しぶりだな虹目。とにかくオマエが来てくれると助かるぜぇ。


 ・・・でもよ、あんまり背負うな虹目。兄貴もモジャもタウロもオマエが生き急ぐことなんざ望んでねーぞ。」


 助けられた翌朝言われた事は今でもカロの中に息づいている。


 ――恩ならいつか、誰かや何かに――


 確か、そんな趣旨だった。


 タウロをはじめ、モクもスナロアも「キぺ暴走の鎮圧」で充分「それ」に、カロとノルを救った行為に報いたと言ってくれたが、カロにはまだ足りなかったのかもしれない。


 死ぬ運命にあったカロの命、それからこうして笑ってはいられなかったであろうノルの未来を根こそぎ救って変えてくれた恩義は、危険を伴ったキペの一件をしてもまだ、まだまだ足りないと思わせてしまう。


「ふぉ・・そ、そのこえはっ・・・いつぞやはありがとうございましただぁっ! ウチのさんしたなんぞにきをつかっていただいてもうことばもありませんずらぁっ!」


 シオンで置いてきたことに引け目があったようだ。

 だのでパシェは背中からダジュボイもろとも頭を下げさせて熱い礼をカロたちに向ける。


「ふふ、いい子だねパシェ。だけどこれはわたしが、わたしたちが好きでしていることだから気にしないでいいんだよ。


 ふふふ。本当にキぺはおもしろいね、ダジュボイ。資料や道具や実験材料では測れない不可思議を持っている。


 それとタウロの言葉はわたしにも残ってはいるけど、ふふ、ただ単純にキペを放っておけないだけなんだよ。きみだってそうじゃないか、ダジュボイ?」


 何か、未知の何かを秘めた存在であるカロとキぺ。


 そんなカロとは異なる変遷を経たキぺは、それだけで研究対象たりえる稀有な試験体と言えなくもない。もちろん、そう思ってしまっている自分も否定できない。


 しかし、それもあるがあの純朴というか脳天気というか、もう、ばかと言うしかないあの青年をダジュボイも見届けたいのだ。


 見ていたい。

 そして知りたい。      


 ユニローグの顛末より、ふれてしまったが最後、どうにも魅了されるあの青年を見続けたかった。


「くくく。・・・だな。だがよ虹目、ハラぁ括ってんだろな?」


 知る者だけが知っている「いれぐら」のいわば超然能力は「もしも」の時の最後の防波堤になる。


 だがその力の代償には命の覚悟も含まれる。


「・・・ノルは嫌がるだろうな。いや、わたしだって嫌だが、その覚悟なしにこの決意は語れないよ。拾われたこの命、意味あるものに捧げられるなら本懐じゃないかな。


 それにこの先には守らねばならない者がたくさんいる。


 そして次代へ繋ぐのはきみとスナロアの任務だ。・・・モジャはいないからね。


 ダジュボイ、きみこそその覚悟と決意はあるかい? ふふ、聞くまでもないかな。」


 苦しくなる。


 何を言ってるのか、何を見通してこの二人が話しているのか見当もつかないルマはなぜか、胸が苦しくなる。


 どこか老いた者を「呆けた時代遅れ」と蔑んで遠ざけてきた自分には想像もつかない、何か、見えない何かが背負わされているようで、そしてそれを自分たち若者に課さないようにと痩せこけた老人が手を尽くしている姿が、とても苦しくて、何も言えない。


「くくく、なら言うまでもないな虹目。オマエはオマエの、オレはオレの演じる役ってモンがある。ジャマはしねーしジャマはするな。くく、それだけだろ?


 心残りは、犠牲になるのがオレたちジジイばっかじゃねーってことだな。・・・くそっ。」


 望んで選んだ自己犠牲なら誇れても、それは望まぬ者に強いて誇らせるものではない。

 それでも危険な道を歩ませるしかできない無力が心の正義を打ち鳴らす。


「あっ! オカシラだあああぁっ!」


 そうして逡巡するダジュボイたちは進む一歩が止められないまま《ロクリエの封路》前で立ち往生するニポたちと合流する。


 今は見守るしかできない自分を恥じながら、果たせる責務を、それがどんな残酷なものであってもその手で選び、その足で歩む決意を胸に抱いて号令を待った。


 霧の先の、《ロクリエの封路》の中をゆく青年の


 すべてを変える、合図となる号令を待った。

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