⑥ 光の未来とハユ





「はあっ?・・なん、はあ? ちょ、御意見役っ!」


 旧大聖廟へ駆け寄っていたボロウが振り返ってクレームをつける。


「どうしたボロウ。何かおもしろいことでもあったか。」


 そんな戯れにもならないキぺとミガシの決闘に、割れるような、爆ぜるような歓声が決着を知らせるからスナロアは笑う。


「・・・っ! キぺくんが・・・あの、ただの鉄打ち見習いが・・・ミガシを一撃で沈めました。


 はは・・はははは、あっはっはっはっはっ! なんだよっ! なんなんだよっ! っくっくっく。


 大師っ! あ、ちが、御意見役っ! あなたは知っていたってことですか。あははは。


 はぁ・・・御意見役、おれもこれでようやく信じる気になれましたよ、キぺくんってものを。」


 呆れるように降参したように笑うボロウの傍では、目を疑う『スケイデュ』兵がそれを予期していたスナロアへ視線を移す。


 あり得ない話だった。


 どこからか飛んできて途中で落ちた男が、そうじゃなくても万全な者でさえ相手にできないミガシを倒したのだから。


 しかしその目で捉えたものに嘘はなかったはずだ。

 まぐれで放った一撃が急所に、といった言いがかりでは説明がつかないのだ。


 落ちてきた青年は間違いなく、ミガシの拳をすべて受けていた。身を退くこともなく泰然と受け入れながら、叱るような一閃で事を収束させた。


 こんなもの、説明されても呑めるはずがない。

 体験しなければ。

 その目で見届けなければ。


「それは結構だなボロウ。ふくく。言葉が疑われるようでは私の値打ちも大したことはないか。


 だが『スケイデュ』よ、見たであろう。

 あの男をしてまだ黒子の舞台。


 そなたらがこれから目の当たりにするのは「不可能だ」と決めつけた望みの形っ!


 ボロウっ! 先にゆけっ! 私はシクロロンと共に後で向かうっ!」


 戦や力比べにどんなに興味がなくとも「剛拳ミガシ」の名は知らないはずがない。


 そんな生ける伝説が名も知らぬ男に引けをとったと聞いても表情ひとつ変えないスナロアに、いよいよ『スケイデュ』兵は猜疑の目を洗われる。

 その身で知った「奇跡」さえ凌ぐ「奇跡」がこれから現れると放って憚らないその言葉を、もう寸分も疑う余地などなかった。


「承知しました御意見役っ!」


 そう放って傾ぐ体をうまく整えながらボロウは丘の上を目指して走る。


 あいつ足が折れてるんじゃねーの、と不思議がる者もあったが、ボロウとしては安静の先の回復よりも興味というのか好奇心というのか、疾る心に任せたいものがあったために手当てそっちのけで向かったようだ。


「ぐぁ、っく・・待て・・待てっ!・・・ハユは、渡さぬぞ・・・」


 大人に劣る体躯であった頃以来、こんな激痛は覚えたことのないミガシが気力だけで声を絞る。


「あなたは『スケイデュ』のヒトなんでしょう? ハユを受け入れてくれて、そしてこんなにハユのことを思ってくれて・・・。


 殴ってごめんなさい。でも、きっと聞き入れてくれないと思ったから。」


 そう言いながらもキぺはぐったりしているハユに近づく。


「なにを・・・企んでいる・・・ハユは・・ハユを、巻き込むな・・・」


 這いつくばるなど、それもこんな細身の若い兵に追いすがるなど思ったこともなかった。


「だから言ったはずですよ。僕は家族を取り戻したいだけなんです。」


 ふれて、抱き寄せて、まだ生きているのだとキぺは感じる。


「・・・ぬかせ外道がっ・・・た、頼む・・・っく・・・ハユだけは・・・」


 悔しくて、立つことさえできない自分が情けなくて、悔しくてミガシは拳を握る。


「・・・ハユは、いい道を選んだみたいですね。


 ふふ、あなたのような方に会えたのは幸運だったと思いますよ。村に戻すこともせず・・・・・・いなかったから、今ハユはこうして生きているんですから。」


 あたたかくて、柔らかくて、懐かしくて、愛おしくて。

 大好きなハユが、こんなおっかなそうな男にさえ愛されていたことが誇らしくて。


「・・・? どういう、ことだ・・・本当に・・


 いや違うっ! 落下も、俺の板拳も、・・・無事でいられるなら、ハユが「守りたい」などと言うはずが、ない・・・」


 まじめでやさしい。あと弱い。


 それだけがハユのくれた兄・キぺの特徴だった。


 だが同時に「強くない」からこそ、その兄を守れる強さを求めて『スケイデュ』へハユは志願したのだ。


「ふふ。色々あったんです。・・・だからかな、いつの間にかいろんな事がわかるようになって。


 ゆっくりに見えるんですよ。

 だからどう体を動かせば痛みを少なくできるか、安定した体勢が取れるかもわかるし、それに応じた動きも反射的に取れるようになって。


 砕けそうな木片や宙に浮いた瓦礫を蹴って速度を落とすとか、関節に衝撃を逃がして着地の負担を減らす方法もなんとなくわかったんです。


 あなたの板拳もそう。強くてもゆっくりだからそれに合わせて抑えていけば止められるんです。僕の筋肉も変に膨らむから思いのほか簡単でした。


 そして僕には音をある程度操る力もありますから。わずかに鳴る破振効果も「ウラオト」で帳消しにできるんです。それだけですよ。」


 旧大聖廟衝突も、体全体を使って衝撃を分散させ最小限に抑えることができた。


 ミガシのパンチもブロックする、というよりブレーキをかける、といった要領で拳の軌道に合わせて徐々に勢いを削いだだけだった。


 理屈ではどうとでも説明できるそれらも、情報の処理と体への運動指令に普通のヒトなら時を費やしてしまう。ゆっくり流れる時の中を歩めなければ果たせるはずがないのだ。


「・・・バケモノだな・・・だが同じ血がハユに流れていれば、こう引っ掻き回されるのも道理か・・・」


 近くで、抱き上げられた顔のすぐ近くで聞こえる声が、

 案じ求め続けたやさしい声が鳴り続けていたからだろう。


 だから、目覚める。


「・・う、ん?・・・うわ、誰・・・?・・??」


 目の前には暗足部の装衛具を纏う長髪の男の横顔があって、


 それがこちらへくるりと振り向く。


 そして


「・・・ハユ。おはよう。」


 どこか抜けたようなタレ目の、でもやさしくて、懐かしくて、怒ることもない柔らかな眼差しがそこにはあって、いつものように当たり前のように自分を呼ぶ。


「に、いちゃん?・・・兄ちゃんなの?」


 もう、瓦礫の当たった頭と背中の痛みなど吹き飛んでいた。


「うん。・・・うん。ハユ、・・・ハユ。よかったぁ、ふふ、よかったあ。」


 すでに困っていたような目はさらに困ったように垂れ下がり、でもそこにはうれしさだけが詰め込まれていて、


「にいちゃ・・・兄ちゃああああんっ!」


 それが伝わるハユはだから、苦しくて、うれしくて、せつなくて、どうしようもない。


「うんっ、ハユ。よかったぁハユ。・・・・・・ああ、よかったあ。」


 がばっと抱きつくハユを、キぺは気持ちの分だけ強く抱きしめる。


 やっと会えたこと。


 無事だったこと。


 村の惨事から逃れられたと耳にしていても、

 見るまでは、ふれるまでは言い聞かせていたに過ぎないのだから。


「・・っく。・・く、ふふ、あはは、兄ちゃんどーしたんだよその恰好っ!

 はは、それになんでそんなに髪伸びてんだぁ。」


 感じていたいけど、でも見たくて、その顔をちゃんと見たくてハユは離れてキぺを見る。


「あぁん、んん。ふふ、なんだか色々あってさ。


 ・・・あれ? ハユ、髪切ったんだね。凛々しくなっちゃったなぁー。

 ふふ、僕なんかよりずっと勇ましいよ。」


 いやそらねーだろ、弟甘やかし過ぎじゃねーかあの兄ちゃん、みたいに取り巻きは思う。

 でもカラまれたら命はないと思うので言わない。


「はは・・は、っく。・・・兄ちゃん・・・心配、心配したんだぞっ! オレ、ずっと心配してて、・・・


 でも、その・・・ごめん。酷いこと言っちゃったし、家出も・・・ごめん、兄ちゃん。」


 ハユがキぺを案じていたのは確かなことだったが、だからわかる。

 同じように、きっとそれ以上にキぺがハユの身を案じていたことが。


「うぅん、いいんだよ。僕もごめんだね、ハユ。

 ちゃんと気持ちを酌んであげられなかったし、・・・・それにおじいさ・・・が死んだ時に言うべきだったんだけどてね。


 ねえハユ。


 きみは僕と、そして母さんや父さん、おじいさんとも血の繋がりはないんだ。

 きみはもうそういう事が受け止められると思う。


 ふふ、だって強くて立派な『スケイデュ』の兵士さんなんだからね。」


 キぺはほほ笑む。


 翻弄され操られ、そして強くなった今のハユなら血の気の引くような冷たい現実を見せても耐えられる、そう信じて。


「・・・う、ん。・・・え、じゃあ、オレに流れてる特別な血って・・・」


 今こんな時にキペが「血」の話をするのだから、ハユが風読みたちに「求められた理由」を説明しているのだと気付く。


 でもそれは家族と呼んできたキぺたちとは無縁であるということ、使命感に燃えていた心を萎えさせるものであるということ以外のなにものでもない。


「それは事が済んだら必ず説明するから。ごめんねハユ、兄ちゃん、やらなくちゃならないことがあるんだよ。


 ふふ、もう一人で立てるね。・・・よし、強い子。ふふふ。


 ・・・あとさハユ。あのヒト誰?」


 あのヒト、とくれた視線の先にはうずくまっているミガシがある。


「なああああああっ! 団長ぉぉぉっ! どうされたんですかっ!」


 そう叫ぶハユはキペの腕から飛び出してミガシに駆け寄る。


「ダンチョー? ま、いいや。・・・あ、そうだニポ。」


 着地の際に足首を捻ったのだろう、ニポはその場に座ったまま痛む箇所を撫でていた。


「きひひ。いいのかいチペ・・・

 ってあんたっ! なんだいそのアザっ!」


 挫いちゃったんならおぶっていくよ、と寄せた顔をニポはゴールキーパーのナイスキャッチみたいに引っ掴む。時の流れを緩やかに見ることのできるキぺといえども脈絡あっての物種なのだ。


 ちなみにタチバミが血を流す場面というのはこれに近い、至近距離からの狙撃や虚を衝かれた攻撃になる。ゆっくりに見えてもその間に動かせる自分の体もゆっくりなため、「ゆっくりタイム」を発動させても必ず避けられるわけではない。


「ん? え、どこ?


 ・・・あ、と、え、・・と。


 ・・・ニポって近くで見るとかわいいね。」


 もう顔がすんごい近いから何を言っていいのかわからなくなるキぺはあっちを向く。


「・・・な・・・こ・・・・ばか。」


 おーっ!チューだっ!チューが見られるぞっ!と観衆が沸く。


 その歓声にハユは全力で振り向き視線を上げ、ミガシは呻きながら最後の力を振り絞ってその目をぐりんと向けている。


 そこへようやく辿り着いたボロウも「ほら、やっちまいなよ」みたいなウィンクをよこしている。


 たまったもんじゃない。


「えぁ、あっ、ほらニポ、えっと。ハユっ! 風読みさまはっ?」


 なんだよー、しないのかよチュー、みたいにブーイングが始まる。


 たまったもんじゃない。


「え? あっと?・・・」


「ジニはヒナミを連れて先に行ったよキぺくんっ!・・・しかしこのミガシ団長を、ねぇ。」


 ハユを遮りボロウが答える。


 見下ろすことがあるなど想像したこともない巨漢を目の当たりにして改めて感じるものがあったのだろう。


「へ? あの、あ、団長さんなんですかっ? ダンチョーって名前じゃなくて?


 あ、あの、あの、ごめんなさいっ! 


 あの、悪いのは僕なので、あの、ハユは家族ですけどハユは悪くないので、その、怒らないでやってくだ――――」

「くく、わかった。

 ・・・しかし、お前がキぺとは、・・・う・・っく!


 はぁ、はぁ。どうやらお前らも風読みたちを止めに来たようだな。

 ならば行け。俺も行きたいが、風読みを任せられるならそうしたい。


 これから俺たちは『ファウナ』と『フロラ』の面倒を見ねばならぬのでな。」


 痛みを堪え、ずんと立ち上がるミガシ。


 このまま共に旧大聖廟へ向かうより信頼のおけるキぺに任せ、団長としての責務を前線で果たす方が適当だと判断したようだ。


「あなたも風読みさまを、ってことだったんですねミガシさん。

 ・・・わかりました。あのでも、その、ハユは――――」


 この先には突破不可能と目される《ロクリエの封路》がある。


 その「道具」に選ばれたハユだが、タウロやナコハの血を継いでいない彼には危険しかないと忘れな村で学んでいた。できれば近付けることさえ避けたいところだ。


「ああ。任せろキぺ。お前が死んでも俺が守る。」


 立ち上がれば頭二つ三つ違う長身とキぺ二人分もあるガタイから漏れる声は威圧的であっても、紡がれる言葉がそれらを打ち消してしまう。


「兄ちゃんっ!」


 呼ばれればいつでも振り向きたくなるかわいい弟。


 でも今はその姿に『スケイデュ』兵を見て振り切らねばならない。


「ふふ、『スケイデュ』のハユ。


 きみはミガシさんのお世話になってて。

 ごめんねハユ、兄ちゃん勝手ばっかり言って。

 ・・・ミガシさん、頼みましたよ。


 さ、行こうニポ、ボロウさんっ!」


 そう残すキぺはニポをおんぶして旧大聖廟の中へと走り去っていった。


「くくく。・・・だそうだ、『スケイデュ』のハユ。


 俺の世話になるのがお前の兄の命。そして我ら『スケイデュ』の雄姿を見届けるのが俺の命だ。できるな?」


 兄を追いかけるな、などとヤボな言葉で片付けたくない。

 清々しいほどに敗北したこともあるが、なによりキぺの人柄が気に入ったようだ。


「はいっ!」


 よし、と頭に手を置きミガシも丘のふもとに集う『スケイデュ』の元へと向かっていった。

 内臓に響く痛みが歩を緩めても、再び燈った熱い高鳴りが止まることを許さなかったから。

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