3
師事をするのに適任な相手がいる事はもう分かっていた。彼ならば、夏海の速度なんか気にせずに訓練をするはずだ。
涼しい顔をして立つ、色白で細身の男。黒羽なら、と彼の顔を眺めながら夏海は考える。視線を感じたのか、黒羽の真っ黒な瞳がつっと夏海の方に動く。慌てて視線を逸らしたおかげで、何か言われる事はなかった。
「中断させて悪かったな。そろそろ行こう。」
「え、もういーの?」
ベンチから立ち上がった灯太に、太陽が意外そうに言った。見学と言っていたから、てっきり最後までいるものだと思っていた。
「今日はこの辺でやめとく。また必要だったら事前に言うよ。太陽はともかく、黒羽が嫌じゃなきゃな。」
「邪魔しねぇなら好きにしろ。」
訓練中の二人とはそこで別れ、灯太達はラウンジへ向かった。
「太陽、だいぶ回避の精度上がってましたね。」
「ポテンシャルは高いからな。次こそ受かると良いんだが。それで夏海、何か悩んでるみたいだけど大丈夫か?」
ずっとぼんやりしている夏海に灯太が声をかける。その声に夏海がハッと我に返った。
「ごめん! 考え事してた!」
「そうだろうな、とは思ってた。俺達で良ければ相談に乗るけど」
ほんの少しだけ考えて、夏海が灯太と風華を見る。どうせ悩むなら、早いうちに二人に話した方が良いと思ったからだ。
「あのね、さっきの見てちょっと考えてるんだけど……」
「ああ。」
「灯太くんが言ってた通り、陰峰に訓練、お願いしてみようか悩んでて……ほ、ほら、陰峰強いのはほんとだし、嫌味な奴だからやだとか、あたしが一番遅れてるのに言ってられないなって」
言ってみたものの、上手く伝わっているか不安になる。決して、二人の指導が物足りないというわけではないのだ。
夏海の話を聞いた灯太と風華が口元を緩めた。上手く伝わっていると分かり、夏海の肩の力も抜ける。無意識に緊張していたらしい。
「夏海がそう思ったなら、頼んだ方が良いですよ。」
「あの、二人じゃダメとか、そういうのじゃないから!」
「分かってますよ。けれど夏海、頑張るのは良いことですが焦るのはだめです。」
心の内を見透かされたようでドキリとした。風華の藤色の瞳が、真っ直ぐに夏海を見つめる。
「夏海は筋が良いですから、焦る必要はまったくありません。夏海のペースで訓練してくださいね。」
「うん……分かった。」
「太陽の訓練も俺達で引き受ければ大丈夫だろう。黒羽に頼むなら早いうちが良いな。」
既に夏海と太陽の訓練について考え始める灯太。快く自分の意見を聞いてくれる二人に、夏海は嬉しさで胸がきゅうっと締まるのを感じる。
「灯太くんもありがと。わがまま言っちゃってごめん。」
「わがままじゃないよ。むしろ、俺の友人を頼ってくれて嬉しい。」
はにかみながら言う灯太が本当に嬉しそうで、夏海はしばらくその笑顔を眺めていた。
「……灯太くんて大人だね」
「そんな事ないよ」
「あるよ。でもよかった、二人に相談して。陰峰を頼るってなんかすごいモヤモヤするし、今もちょっと腑に落ちないけど背中押してもらえたみたいで嬉しい!」
「黒羽は案外押しに弱いからな。折れるまで粘る方が効く。」
それは良いことを聞いた。夏海は諦めが悪い方だ。
「分かった! 頑張ってみる!」
両手をぐっと握り、夏海が全身でやる気を表現する。それをにこにこしながら見守る風華が、その笑顔のまま口を開いた。
「ところで、夏海は太陽が好きなんですか?」
「へ?」
固まる夏海。今聞くの? と目を丸くする灯太。
「あら、違いましたか? 私はてっきりそうなのだと思ってましたが……」
「え、えと、なんで」
顔を赤らめて慌てふためく姿が既にそうだと物語っているが、当の本人はそれに気づく余裕はない。そんな夏海を見て、風華がくすりと微笑んだ。
「太陽、優しいですもんね。夏海とも真っ先に仲良くなってましたし。」
「う、うん……! いつも気にかけてくれるし、教室でもムードメーカーだった! それに、さっきもかっこよかったし……」
太陽の事を話す夏海の表情はキラキラと輝いていて、正しく恋をする少女のそれだった。恋バナに花を咲かせ始めた二人の横で、灯太が風華を呼ぶ。
「おい風華、太陽は……」
「いいじゃないですか。もしかしたら、太陽の心も変わるかもしれませんよ?」
そう返されてしまっては何も言えない。太陽の心が変わるなら、本人にとってもその方が良いと灯太も思っているからだ。
太陽の初恋相手にして太陽がずっと探しているという少女、「ゆきちゃん」。灯太はその少女が今も生きているとは思えなかった。なぜなら、太陽がその少女に出会った日、日ノ出街は餓鬼の襲撃を受け、当時日ノ出街支部長であった太陽の父親は亡くなっている。
支部長までが出動しなければならないような事態の中で、行方不明になった少女が生き延びているとは到底思えない。
だから、風華の言う事は一理あると納得してしまった。けれど夏海の事を考えると、純粋に応援するのが良いとは一概に言えない。きっと傷つく可能性の方が高い。
分かっているのに、「やめた方がいい」とも言えず。
「……応援してる」
結局、曖昧な表情でそう言うしかなかった。
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