増える悪役令嬢ちゃん
王子は目を疑った。部屋の中にはフィーリア、クルエラ、そしてフィーリアが居たのだ。
「フィーリア、どうして増えてるんだい?」
「なんか増えたのですわ!」
「…?クルエラ、どういうこと?」
「実演いたしますわ!ちょっとくすぐったいですわよ。」
クルエラはフィーリアの背中に手を差し込んで、左右の半身をぐいんと引き裂いた。フィーリアの断面が、なんかグツグツ煮えている。
「これは全身を複製している途中の状態ですの。完成までは少し時間がかかりますわ!」
「本当に大丈夫なんだよね?両半身とも白目剥いて死んでるかのように見えるけど…。」
「無問題ですわ!悪役令嬢は死にませんもの。さあ、そっちのフィーリアさん、こちらに来てくださる?」
「わたくしですの?」
「そうですわ。」
クルエラは白目を剥いていないフィーリアに塩をかけた。
「増えた悪役令嬢も、魔法の塩をかけると乾燥体に戻りますの。」
「ぽああ゙ああ゙ᑕᕆᐅᖅᑐᖅᑐᖓ, ᐊᐅᓲᖅ」
フィーリアは、表面がぼこぼこと沸騰しながら溶けて小さくなっていった。カタンと軽い音を立てて、彼女だったものが床の上に落ちる。陽の光を浴びて苦しむ吸血鬼のような、酷い断末魔だった。
目の前で行われている非生命への冷徹な仕打ちを見てしまったことで、王子の倫理観はダウングレードの危機にさらされていた。
とりあえず、王子は自分の頭に魔法の塩を振りかけてみた。しかし、白い粉が髪の毛に降りかかっていくだけで、その肉体が溶けたり表面が沸騰したりすることはなかった。
「本物の人間は、塩をかけても溶けませんのよ。」
クルエラは王子の行為の意味に気づいて、その疑問に答えるようにそう言った。
「つまり、僕のこの身体はオリジナルなのかい?」
「恐らくそうですわ。そして、私にもフィーリアさんにも、きっと元になったオリジナルの方がいらっしゃるはずですの。」
それにしても。悪役令嬢というものは、どれもこれも見た目が似たりよったりすぎて全く区別がつかない。今、この部屋には手入れが行き届きすぎて跳ね毛が消滅している控えめな光沢のブロンドの髪を持っている頭と、吸い込まれそうな深い水の底を連想させるアクアブルーの瞳が四つずつ存在している。
王子は彼女らに名札の着用を義務付けた。フィーリアたちには、一号と二号と三号の名を書き加えた。既に乾燥体に変化しているフィーリアが一号である。
「悪役令嬢が分裂するためには、今みたいに人の手を加える必要があるんだよね?」
「そうですわね。自然に分裂することはありませんわ。」
フィーリア二号と三号は、人の形を獲得し終え、目を覚ました。
「あっ、目が開きましたわ。大丈夫ですの?」
「…いま、何時ですの?」
「午後10時過ぎですわ。」
王子は彼女たちのやりとりを見ているうちに、頭がぼんやりとしてきた。ズキンと痛んだ。目の前の情報が受け止めきれず、知恵熱を出してしまっているのだ。
「イオーマーク様、顔色が悪いですわよ?」
「ちょっと、頭が熱くなってきた…。」
「熱があるのではございませんの?」
「私、氷嚢を持って参りますわ!」
「あっ、ありがとう…。」
フィーリアが軽く息を切らして戻ってきた。ベッドに横たわる王子の額の上に氷嚢を置き、彼の顔の側にしゃがんだ。
「他にご要望はございませんの?なにか王子様の食べたいものですとか。」
「フィーリア…。」
「なんでもお申し付けください、ですわ!」
「うん。うん、ありがたいんだけど…、ちょっと、声が頭に響くから、少し静かにしてほしい。」
三人のご令嬢は、少し悲しそうに黙り込んだ。…部屋がしーんと静かになったので、王子には少し考えを整理する時間ができた。
人間の本物がいて、悪役令嬢は本体から切り離された偽物。彼等は塩を振りかけられると溶けて縮み、乾燥体になる。よって塩をかければ目の前の相手が悪役令嬢であるかどうかを見破れる。しかし、乾燥体になった悪役令嬢は、お湯で戻されていた間の記憶を失ってしまう。
単純に相手が悪役令嬢であるかどうかを見分けられる方法はないだろうか。王子はそのことを考え始めた。
「僕から悪役令嬢を切り離すことはできるのかな。」
「無理ですわ。」
「でも、君はフィーリアを分裂増殖させていたじゃないか。」
「それはフィーリアさんが悪役令嬢だからですわ。悪役令嬢は誰にでも分裂させることができちゃいますの。」
「なるほど、僕にもできるってこと?」
「そういうことですの。訓練すれば誰にでも」
「フィーリア三号、悪いけど少し背中を貸してほしい。」
「もちろんですわ!」
「ちょっとくすぐったいよ。」
湯手袋をまとった両手で、フィーリア三号の育ちの良さを感じるピンと伸びた背中に、ピトンと片手の掌をくっつけてみる。ぐっと押してみると粘土みたいに動く。粘土を半分に割るのと同じ要領で、フィーリア三号の背中を左右に引っ張ってみる。切れ込みがぱっくりと入った。あんまり力を入れないうちから、彼女は半分ずつになって、白目になって断面が沸騰しはじめた。
「フィーリア、僕の声は聞こえていますか?」
「聞こえていますわ。」
「その状態でも話せるんだ。白目剥いてるのに。」
「私も驚いていますわ。」
ボコボコと沸騰しているところに両手を入れた。見た目ほど熱くはなかった。
「ほどよく暖かいんだね。」
「平熱は低い方ですのよ。」
フィーリアのもう片半身がそれぞれ固まって、部屋には合計四人のフィーリアが存在することになった。
「あれ、手が抜けないんだけど。」
王子の両腕は三号の背中の中に埋まり、がっちりと咥え込まれていた。そのとき扉の向こうから、彼にとって聞き慣れた声が飛んできた。
「イオーマーク様、お夜食をお持ちしました。」
「えっ。ノークアか。ちょっ、ちょっと待っててくれ。」
「左様でございますか。では、ご準備が整いましたらお呼びください。」
「あ、ああ、ありがとう。」
ノークア・ヴァレットは、イオーマーク王子専属の付き人である。手入れが行き届きすぎて跳ね毛が消滅している控えめな光沢のブロンドの髪と、吸い込まれそうな深い水の底を連想させるアクアブルーの瞳を持った美少女だ。
王子と彼女は幼馴染でもあり、並々ならぬ太い信頼の矢印を互いに向け合っていた。そんな彼女に今のこの状況を見られてしまえば、何かが崩れてしまうような悪い予感がした。だから彼は、三号の背中からなんとか腕を引き抜かなければならない、と焦っていた。
王子はお湯で粘土を緩ませれば抜けるのではないかと考え、フィーリアの体内に熱いものを、どくどく注ぎ込む。
「んっ…、あっ…!」
「しっ…!フィーリア…!変な声出さないで…!」
「もっ、申し訳ありません…!でも、我慢できなくて…、あっ♡」
「イオーマーク様?そこに誰かいらっしゃるのですか?」
ノークアはドアを容赦なく開けた。部屋の中を素早く見回し、彼女は一瞬にして状況を誤解した。
「ははあ。一国の皇太子ともあろうお方が、夜遅くに四人も五人も女の子を連れ込んでベッドの上ですか。この国のモラルもおしまいですね。」
「ま、待ってくれ!誤解なんだ!」
〜かくかくしかじかタイム〜
「つまり、そちらの三人は全員フィーリア様で、そちらのクルエラ様はゴミを継ぎ接ぎして作ったキメラ悪役令嬢であるということですね。」
「そうなんだよ。分かってくれたかい?」
「何を言っているのかさっぱり分かりません。」
ノークアは、床に落ちていた二体の人形を拾い上げた。それらはクルエラにも、ノークアにもそっくり瓜二つであった。
「インマーク様、なんですか、これは。」
「そ、それはフィーリアの乾燥体だよ。」
「…左様でしたか。」
ノークアは、何かを合点して様子で、些か機嫌を良くして大斧を構えた。
「でも、イオーマーク様がフィーリア様の背中に腕を突っ込んでいる理由にはなりませんよね。」
「いや、これには深いわけがあるんだよ…!」
「どんなワケがあるのですか。」
「あっ…♡イっ、イオーマーク様ぁ♡あ、あんまり動かないで…!あんっ♡」
「ごめんねフィーリア…!あとちょっとで出せそうなんだ!」
「それならそうと、早く言っていただければよかったのです。」
ズバンッ。問答無用で斧が振り下ろされ、フィーリア三号の頭は真っ二つに斬られた。刃が突き刺さった頭の割れ目からは熱くて透明なものがぶしゃぶしゃと噴き出し、部屋にあるすべてのものを濡らした。
ノークアは尚も凶器を振り回して二号と四号とクルエラの首を断った。こちらからは中から何も噴き出さなかった。当たり前である。彼女らは体内に熱いものを注がれていなかったのだから。
「これで、二人きりですね。イオーマーク様。」
「ノークア、これ以上に何をする気なんだ?」
王子は腰に差した剣に手を当てた。だが、彼がそれを抜くことはない。ノークアは彼の優しさを知っていた。怯むことなくベッドへと昇り、彼に迫り、彼女の下へと追い詰める。
「私の人形をいくつも集めて、私と瓜二つで同じお年頃の女の子たちを連れ込んでいるあなた様が、今はベッドの上に、私と二人きりなのです。何をする気なんだ?なんて、そんな意地悪をおっしゃらないでください。」
ノークアは王子のベルトを外しにかかった。幼馴染である彼女に武力での脅しが効かないことを悟った彼は、塩を掌いっぱいに掴んでノークアの目を狙ってばさっと振り撒いた!
「ᑕᕆᐅᖅᑐᖅᑐᖓ, ᐊᐅᓲᖅ!!!!」
「すまないノークア!でも、全部誤解なんだ!」
どこから陳情すれば納得してもらえるのか、王子には皆目見当が付かなかった。しかしその悩みのために頭を回す必要はなかった。なぜならノークアは乾燥体になっていたからである。王子は、とりあえず七人分の乾燥悪役令嬢たちを拾った。
頭をかち割られたフィーリア三号の人形は、首から上がYの字に分かれていた。王子は彼女の首を裁断して捨て、首を切られた人形たちを修繕し、長く付き合ってきた幼馴染が悪役令嬢であったというショックを受け止めきれないでいた。
王子は、日が昇る兆しすら見えない真夜中に、誰にも届かない涙で心を流した。凄惨な殺人、ではない。凄惨な殺悪役令嬢の現場でありながら、王子にはその場で気を失う他にどうしようもなかった。幸運なことに、血や遺体の匂いを嗅ぎつける者はいない。ただ部屋のすべてがお湯を浴びて濡れていただけである。
TAGートレーディング悪役令嬢ゲーム 藤井由加 @fujiiyukadayo
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