配信者編

第2話 おうちデート・手作り料理

 ラブホで服を乾かした翌日。透夜は朝一でAppleに連れて行かれて、最新のiPhoneを買わせられた。

 苺果を自殺に巻き込んだこと自体は悪いと思っているので、許容した。


 十五万なんてたいした金額じゃない。両親の遺した二千万円が口座にあって、お金に困っていないことも理由としてはあった。とはいえ、それを他人に自由にさせたら一瞬で溶かすに決まっているので許さないけど。女の子なんて特に、ブランドもののバッグや、デパコスなんか、高額なものが欲しいに決まっているし。


 東京郊外のあの田舎には、苺果は友達に会いに行っていたのだと言った。透夜は自殺のためだけに電車に乗って行った。お互いに住所を明かしてみれば、都心に近く、わりと近所であることが判明した。乗り継ぎなしで電車一本だ。


 苺果はあの日以来、透夜にLINEをよくしてくる。通話も毎日といっていいほどしてくる。やっていることははたからみたら、仲のいい彼氏彼女だ。


 苺果もどこまで本気なのかはわからないが、透夜に甘えてくるようになった。


 胸にほんのりと宿る温かさが嬉しいという感情なのか、透夜には掴めなかった。自分の感情に自信がもてない。感情を揺さぶられる生活をしてこなかったのもあるし、女性と交際することは夢のひとつではあったけれど、自分には縁がないものだと諦めていたから。


 九月第三週目の土曜日。今日は苺果が家に来る約束の日だった。


「ごはん作ってくれる人がいない? 人の手料理が食べたい……? しかたないなあ、作りに行ってあげるよ」


 そんなふうに言って、苺果が料理を作ってくれることになったのだ。


 自炊していた過去もあるので、鍋やフライパンなどの料理道具は一通り揃っている。調味料などは、めんつゆ・醤油・七味・ごまドレッシングぐらいしかないので、なにか必要だったら持ってきてほしいと伝えてある。


 問題はそれ以外のことだ。ワンルームなので布団は敷きっぱなしで、パソコンと机があるだけだが、汚いとか臭いとか思われたくない。苺果の口から飛び出る否定的な言葉を想像するだけで傷ついた。


 まずは掃除をするYouTube動画を見て、気分を掃除のプロにする。それから無心で行動だ。窓を開けて換気をし、髪の毛だらけの床に掃除機をかけ、布団にリセッシュを念入りにかけた。たぶん見ないであろう浴室まで歯ブラシで磨いた。台所はほとんど使っていないので、埃を払うくらいでいい。ちり一つ残すまいという努力で部屋はぴかぴかになった……と思う。ちょっと自信がなかった。


 そうして苺果が来るぎりぎりまで部屋の掃除をしていた。


 苺果:16時着の電車に乗るからね! 迎えにきてね!


 言われなくてもそのつもりだった。住所を知っていればGoogleマップで家まで辿り着けるけれど、それじゃあ親しい人を呼ぶのに味気ない。苺果のことは大切にしたい。透夜と交流を持ってくれる人は稀だから。いずれ飽きられてしまうとしても、今はちゃんと向き合いたい。


 最寄り駅の周りはごちゃごちゃしている。小さな居酒屋とラブホテルが多い。人が密集して歩いているのはホテル街のそのあたりだけで、少し離れれば小学校や中学校、そんなに背の高くないマンション群がある。


 透夜は16時より10分早く駅に着いた。駅の前のコンビニで、ジャスミンティーとコーラを1本ずつ購入し、駅の前でそわそわしながら待つ。

 青色の薄いシャツが風に煽られて捲れそうになるのを抑える。

 季節は10月に差しかかろうとしているが、まだ気温は夏だった。


 どういう表情で会えばいいのかわからなくて、改札から見えないように柱の陰にいき、俯いてしまう。


「お兄ちゃん、いた! 来てくれたんだ」


 元気な声が聞こえた。透夜は普段使わない表情筋が引き攣るのを感じながら、笑顔を作った。

 今日の苺果はピンクのワンピースだった。どこかのブランドものらしく、なかなか高価そうにみえる。


「来てくれてありがとう、苺果さん」


「苺果さんなんてやめてよー。呼び捨てか、ちゃんがいい。てか、なんで陰にいたの。お兄ちゃんて、石の裏をめくったところにいる虫みたいだね」


 さらりとひどいことを言いながら、しかし苺果は笑顔である。

 透夜も石の裏にいる虫というのは、自分のイメージに合っていると思った。


「ジャスミンティーとコーラ買ったんだけど、どっちがいい?」


「あ、買ってくれたの? ありがと! 私もいろいろ買ってきたんだよ」


 苺果が持っていた買い物バッグをゆすってみせる。


「持つよ」


「お、ありがとー!」


 ドラマで見た恋人の男性役みたいなことをしてみる。苺果と交流するのは、慰めに他ならないけれど、恋人という職務は形式上でも果たしたかった。とはいっても、なにをすればいいのかいまいちわからないので、なんとなくのイメージで行動をとっている。


「行こう」


 二人並んで家に向かう。透夜が住んでいるのは駅から歩いて10分ほどの距離にある、単身者用のマンションの一室だ。



 〈フラワー三丁目〉という白い壁ばかりが目立つマンションに入り、鍵でオートロックを開錠。奥にあるエレベーターで五階まで昇る。

 ちなみに五階が最上階だった。


「そんなに綺麗にしてないけどあがって」


「お邪魔します」


 苺果を玄関にいれる。

 部屋に入るとほぼ同時に壁際にかけられたリモコンをいじって、クーラーをつけた。


「一人暮らしなのにきれいにしてるんだね」


「いつ死んでもいいように整理してる」


「なるほど!」


 遺品を整理する親戚に余計な情報を与えたくなかった。

 本一冊たりとも個人の嗜好を知られたくない。本を読みたいときはKindleか図書館を利用していた。音楽も電子データだ。

 だから透夜の部屋には個性がない。置いてあるのはどれも無個性な既製品ばかりで、部屋から透夜自身の嗜好を見出すのはとても難しいだろう。

 クローゼットにしまってある衣類も青や黒や灰色などの、清潔感だけを重視しているような無個性に近いものを揃えている。

 窓際のカーテンはニトリで買った安物の遮光性が低いもの。

 当然、ぬいぐるみや推し活グッズなどの主張の激しいものは置いていない。ゲーム機もない。パソコンは現代人には必須なので置いている。


「なんか白い箱みたい。自殺志願者の部屋って感じ!」


 部屋全体を見た苺果はそう評した。


 苺果は買い物バッグからさまざまな食糧を取り出すと、単身者用の小さい冷蔵庫に詰めていった。途中、いますぐ使うものとそうではないものを選り分ける。


「今日はなに作ってくれるの?」


「できてからのお楽しみってやつでしょ。コーラ飲んでいい?」


「どうぞ」


 ジュースをおいしそうに苺果は飲んだ。

 透夜もジャスミンティーに口をつける。


「じゃあキッチン使わせてもらいます! 冷ご飯はあるんだよね? 使うね。じゃあ待っててね。あ、扉閉めてもいい?」


「いいよ。自由に使っていいから。なにかわからないことがあったら聞いて」


 フリルがたくさんついた薄ピンクのエプロンを着けた苺果は、こちらに手を振って、その姿を最後に扉が閉まった。


 お茶を飲んでから気づいたが、外の暑さで喉が渇いていた。人によってはこの時間帯は夕方かもしれないが、夜勤をしている透夜にとっては、じゅうぶん昼間にあたる。やはり昼間の活動は体力を消耗するなと思いながら、透夜はパソコン机の前に座り込んだ。


 YouTubeで音楽を聴きながら待ってた。三十分ほどして、扉が開いた。


「完成しました!」


 苺果が持っているお盆の上には、丁寧に皿に盛りつけられたオムライスがあった。

 鮮やかな黄色の卵の上には、ケチャップでハートマークが描かれている。


「苺果スペシャルラブオムライスです」


「あ、ありがとう」


 少したじろいでしまったのは、オムライスの上にハートを描くという習慣がなかったためだった。


「もうなに引いてるの? メイドカフェでは普通のメニューなんだけど?」


「だよね……でもメイドカフェ行ったことないから……」


 あんな金を搾り取られるだけの場所、行くわけがない。同じ理由で透夜は水商売の店や風俗にも行かない。金は心の安定。人との交流が薄い透夜が縋れるのは、もう口座の二千万円だけだった。


「そうなんだ。まじで女の子の手料理、食べたことないんだね。かーわい。ほらほら、冷めないうちに食べてよ」


「いただきます」


 ご丁寧にスプーンも添えられてあったので、そのスプーンで、すぐにいただこうとして――


「あ、ちょっと待って。はい、ほら、あーん」


 スプーンを奪われて、苺果にあーんされてしまった。


「……ひ」


 変な笑いが出そうになったが、苺果は至極当然といったふうなので、透夜も心を決める。


 ぱくっ


 一口頬張ると、ふわふわの卵とケチャップライスの独特の酸味が合わさった旨味が味蕾を刺激した。ケチャップライスにはベーコンと玉ねぎとコーンが入っていて、食感のアクセントになっていた。


「……おいしい!」


「よかったあ」


 苺果はほっと安心したように、顔を綻ばせた。


「自分の分も作ったんだ。一緒に食べてもいい?」


「うん、もちろん。テーブル出すからそっちで一緒に食べよう」


 小さな折り畳みテーブルを出して、布団の横のスペースで二人一緒に食べた。


 手作りの料理は味がして、いつものスーパーで買ってきた弁当とは大違いだった。

 生きてる感じがちょっとする。


「作ってくれてありがとう。家に来てくれてありがとう」


「また作るよ。リクエストとかあったら教えてね。あんまり手の込んだものは作れないけど、できるだけ努力するから」


「ありがとう」


 苺果の顔を見ていると、恥ずかしくなってきて目を逸らした。


「あの……さ」


 苺果が切り出す。

 彼女はぐねぐねと胸の前で指を絡める。


「なに?」


「頼みがあるんだけどいいかな?」


「言ってみたら?」


「配信者のオフ会があるんだけど一緒に来てくれないかなーっ!?」


「なんで僕が?」


「オフ会には男性も来るから、後つけられたり、言い寄られたりしてトラブルになったらやだなーって。彼氏がその場にいたら防げるからね。あと、帰りたくなった時、帰りやすいから!」


「行けるときなら……いいよ。料理のお礼しなきゃいけないから」


「ありがとーーーー!!!!!」


 苺果がスススス……と近寄ってきて、抱きしめられてしまった。柔らかい感触と女の子らしい甘い匂いに包まれて、 弾んだ心音が苺果の耳に届いてやしないか気になった。

 この感情の正体が透夜にはわからない。

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