【真】自殺未遂して地雷系彼女と結婚することになった話【改稿版】
凪紗夜
プロローグ
第1話 苺果との出会い
人生、味のしないガムみたい。
それが
真下には暗闇がひろがり、ざあざあと激しい川の音が聞こえてくる。
――ここから落ちれば死ねるだろうか。
等間隔に並んだ街頭の下で照らされるのは、人のいないコンクリートの歩道ばかりで、透夜の救世主は現れそうになかった。
――だれか、助けてくれ。狂いそうなんだ、この日常に。
透夜の頭の中で誰かがそう叫んでいる。毎日、虚無感でおかしくなってしまう。冷えたスーパーの半額弁当。ごはんを作ってくれる人はいない。一緒に夜勤で働いている外国人のワンさんとのコミュニケーションをどうしたらいいかわからない。そういう困りごとを相談できる人も、日常の些細な出来事を共有できる人もいない。アパートに帰れば、真っ暗な部屋が透夜を待っている。
小学六年生のときに両親が事故で亡くなり、以来、親戚の家を転々としてきた。十八歳になってすぐに東京へ出た。元々埼玉に住んでいたので、ものすごい労力がいるわけではなかった。ただ両親や親戚の思い出としがらみから抜け出したくてそうした。
待っていたのは、自由と、どこまでも果てがみえない独りきりの寂しい人生だった。
生きていても仕方ない。こんな毎日なら、終わってしまおう。
実は過去に自殺未遂をしたことがあった。親戚の家に厄介になっているときに、わざと車道に出て、撥ねられたのだ。腰の骨を骨折するだけで、命はとりとめた。そのとき親戚に「面倒なやつがさらに面倒をかけるな」と怒られて、自分の命すら自由にできないことに怒りを感じながらも、嫌々生かされていた。今は怒る人もいない。怒ってきた親戚も自分の管轄下で問題が発生するのを嫌がっただけで、本質的には僕の人生に興味がないに決まっている。
頭痛がする。はやく死んでしまおう。
吸い込まれるように、上体が、欄干から滑り落ちる。
「待って! お兄さん、待って!」
女の子の軽やかな声が聞こえた。幽霊かと思った。近くに人間がいるとは思っていなかったから。
落ちる足を掴まれた。あ――と思っているうちに、体が橋から落ちた。一瞬の浮遊感ののち、冷たい水に包まれる。川底は深く、足がつかない上に、水を吸った服が重いのでなかなか浮かない。反射的にばたついてしまったのと、まとわりついてきたものが気になった。
たぶん声をかけてきた女の子も一緒に落ちた。
人殺しの趣味はない。
体が水によって急速に冷えていくのと同時に、頭の奥が焦りによって回転しだす。
激流に揉まれながらなんとか水面から顔を出し、360度顔を回転させて女の子を探す。
暗くて視界が悪い。街頭の灯りにかろうじてぬらぬらと反射する影を見つけ出した。幸いなことに女の子も顔を水面に出して、空気を求めて喘いでいるようだった。
体は重いけれど必死で女の子のほうへと泳ぐ。暴れる体にだきついて、川縁へと斜めに向かって泳ぐ。川で溺れて岸辺へと辿り着きたいときは流れに対して斜めに泳ぐのがコツだと、水泳教室で教わった。
なんとか、女の子とともに石が転がる浅瀬へと辿り着いた。
半身を川に浸したまま透夜は肩で呼吸をした。女の子も半死半生みたいに反応がなくぜえぜえと呼吸しているだけだったが、おもむろに彼女は膝立ちになった。
濡れた衣服が身体に張り付いて、凹凸のある肢体の輪郭が露わになっている。闇の中確認しにくいが、全体的にピンクでまとめられており、黒のレースが彩っているようだ。女の子の髪の毛は、脱色して染めた淡いピンク色で、格好すべてに統一感がある。いわゆる地雷系というやつだ。
中肉中背の透夜とは違い、SNSで見るようなインフルエンサーを連想させる美少女だった。
そしてぼうっとしている透夜の頬を、美少女は平手打ちした。
「……、なにすんの」
人と深く話すのが久しぶりで、なにを言えばいいかよくわからなくてまごついてしまった。
「ばか!!!」
叫ぶ声が大きくて、耳が痛くなった。透夜は咄嗟に耳を塞いでしまった。
「……あなたがいなければ、僕は今頃死ねたかもしれないのに」
「何言ってるの! 自殺は誰だって止めるでしょーーーーっがっ!」
美少女の声が大きすぎて、怖い。
「自殺とか大声で言うなって……」
「なに怯えてんだ、自殺志願者のくせに。
「勝手なことを……僕は頼んでない」
「クールぶらないでいいって! そこはこんな目にあわせてごめんなさいでしょうがっ!!! ほら、スマホもダメになってるよ!!! 弁償して!!!」
苺果はわざとらしく画面をこちらに見せた。可愛らしいスマホケースに入ったiPhoneは物言わぬ文鎮となっている。
「なんで僕がそんなこと……」
「100お前のせいだから! っていうか自殺未遂の理由も聞くよ! 苺果に話して! できるかぎり解決に向けて協力するし!」
「…………」
「ねえ、ほら、話して聞かせてよ! ねえ、ねえ、ねえ、ねえ」
あまりにも苺果が喚くものだから、透夜は耐えきれなくなって根負けした。
「寂しかったから。日常になんも味がしない。孤独だし、友達はいないし、家族もいない。だからもう終わらせちゃいたい」
「ばかー!!!」
また苺果は透夜の頬を平手打ちする。
透夜は生きるエネルギーもないし、暴力に反抗するエネルギーもない。苺果のエネルギッシュさにめまいすら覚えていた。
「それなら、苺果が、毎日お話しする! LINE交換しよう! おやすみもおはようも言ってあげる! 望むなら交際だってする!」
「……寒い」
濡れた身体に風が冷たかった。冬だったらこの寒さだけで死んでいた。はやく乾かすか帰るかしないと、身体に悪い。
「あ、ほら! 話、逸らさないで! 苺果のフルネームは、
「……伊万里透夜」
「お兄ちゃん、これから彼氏として、よろしくね!」
月の光も射さない夜に、こうして、透夜と苺果は縁を結んだ。
縁を結んだなんて自覚は透夜にはなかったけれど。なんだか鬱陶しい美少女に絡まれてしまったなあと、そのときは思っていた。
「っていうかシャワー貸してよね。もう川の水気持ち悪い。臭いし、ベトベトだよ」
「僕の家、この近くじゃない」
「ええ……苺果も、友達の家が近いから通りかかっただけなんだけど……。え、たしか少し戻ったらラブホあったよね? お湯はって身体あっためて服も乾かそう。もちろん費用はお兄ちゃん持ちで」
「……まあしょうがないか」
透夜は身体を起こした。
「っていうか、ほんとに、『どこか怪我ないの!?』とか心配しなさいよ」
「……どこか怪我ないの?」
「遅いんじゃ!!!!」
激しいツッコミを受けながら、透夜は言われたままにラブホへと向かった。水分を吸収した衣服は重量が増していて、たった数十メートルの移動ですら重労働だった。
途中、橋の上に苺果が置いていたバッグを回収した。苺果の荷物で、透夜が弁償しなければならないのはスマホのみのようだった。
田舎のラブホは、ペンション型で、汚い姿を誰にも見咎められることなく入ることができた。入る前にいちおう財布を確認したが、黒の革財布は無事だった。中のクレジットカードも大丈夫だろう。
ラブホの中はゆったりした音楽がかかった清潔そうな空間で、安心した。延長とか何時から何時まで宿泊料金でいられるのかなど詳細がよくわからなかったが、料金表を信じれば七千円で宿泊できるらしい。ラブホは初めてだったが、ダブルのベッドをピンクのライトが照らしている以外は、ふつうのホテルとそう変わりない。
「どうせ童貞のお兄ちゃんはラブホも初めてなんでしょ」
言い当てられて、心の弱い部分がびくっと震える。
「初めてだけど、こんな経験嬉しくない。あと童貞ってなんでわかったの」
「服のセンス」
「……こわ」
改めて見ると、苺果の美貌は透夜などが近寄りがたいほどだった。
まあ、美少女とラブホに来れて嬉しい気持ちは一割ある。……言い換えれば、一割しかないとも言えるが。
「風呂は交代で入ろう。ジャンケンで順番を決めよう」
「交際してくれるっていう痴女だからエロいサービスがあるのかと」
「誰が痴女じゃボケ。女の子にそんなこと言うなんてひどすぎる。先に入らしてもらうね」
その気はまったくないので軽口である。こんなシチュエーションでそんな気も湧かないのは当然だった。全身が疲労感に苛まれている。
苺果が風呂を終わらせるのを待っている間、濡れた衣服を脱ぎ、身体に清潔なバスタオルを巻き付けた。鏡に透夜の姿が映る。生まれついての茶髪。身長は160センチ。体重55キロ。痩せても太ってもいない。モテない……わけではないが、女性との交際経験はない。告白されないのは背が一般的にモテるとされる男性よりだいぶ低いことが原因だと自分に言い聞かせていた。職場の主婦に「かわいい」と言われることはあっても、「かっこいい」と言われたことがないのがその説を補強していた。顔のせいじゃない、たぶん。顔のことを考えると悲しくなる。SNSで可愛い女性を見るのは好きだが、自分がジャッジされるときには自信はまったくなかった。
まだ身体が震えている。くしゃみをする。
「あがったよ〜」
ドライヤーの音がしたあと、苺果が扉越しにそう叫ぶ声が聞こえた。
苺果は風呂を溜めておいてくれた。ありがたく入らせてもらった。見知らぬ人の残り湯でも、こんなときは嬉しい。
風呂に浸かりながら、今後のことを考える。
苺果が今はいるから、自殺をしないでおくのは、いい。
いなくなったらそのときは――
――今度こそ、自殺しよう。
そう心に決めた。
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