第11回
前へ前へと歩いていく。
誰も、追ってくるものはいないと分かっているのに、どうしても足を止めることができない。
自分の影に追われるようにひたすら前進を続けた先。石か何かにつまずいて土手の斜面に生えた草の上を転がって、ようやく憂喜は止まることができた。
むせて激しく咳き込んだ後、袖で口元をぬぐい、手を顔前へと持ち上げる。目で見て分かるくらい、震えている。震えを消そうと、ぐっと力を込めて握り締めた。
『今大きく出ているのは3人の巫女だが、もっと隠れているのは間違いない』
長谷川の言葉がよみがえる。
それを聞いて、憂喜は彼を「うそつき」となじった。怒って、店を飛び出して。だけどあれは、本当に怒りだったのだろうか? もしそうだったらどうして、こんな、逃げ出した気分で落ち込むのか。
彼はうそつきの詐欺師だ、あれは自分からうまく大金をせしめるために適当なことを言ったんだと、信じ込めたら良かったのに。
(分かってる……ほんとは、俺だって分かってるんだ)
長谷川はうそをついていない。
彼は、あの混んだ喫茶店で真っ先に憂喜を見つけてからずっと、憂喜の首から視線を外さなかった。
うなじを中心にひりつくように痛む首の赤みはじわじわと広がって、前に回り込んできていた。それでも対面に座っていた長谷川からはまだ見えなかったはずだが、まず間違いなく、彼にはこれも視えていたに違いない。
まるでひもか何かで首を絞められているかのようなこの赤い輪の先にはきっと、あの夢に出てきた7人の女たちがいるのだろう。
憂喜は直感していた。それは彼が母親から受け継いだ血、巫女の能力の発露かもしれない。
「きっとあの女たちが、巫女――うっっ」
強くのどが詰まった。まるで首に巻いたひもを強く引き絞られたように。
ひもを引き剥がそうとするが、指に触れるのは自分ののどだけだ。
――シメ
(くるし……息が、できな……)
息を吐き出す動きに合わせてキリキリと引き絞られていく。
頭が割れそうな頭痛と焼けるような肺の痛みに意識が遠のきかけたとき。
「綾乃ちゃん! あそこ!!」
頭上から声がした。
助けを求めようと声のした道のほうを見上げた先。揺れた視界に、セーラー服姿の女子高生が自分を指さしているのが見えた。
「うん、あたしも見つけた」
別の方向から、先の少女に応える少女の声がする。ざざっと斜面を下りてくる音が2方向からして、草の中で横倒れになって苦しんでいた憂喜の鼻先すれすれに少女が膝をついた。
先のセーラー服の少女が心配そうに真上からのぞき込んでくる。
「大丈夫? しっかりしてください。
どうしよう、綾乃ちゃん。すごく苦しそう」
「待って、今ほどくから」
酸素の供給が滞ってぶーんと耳鳴りのような音が聞こえる中、後頭部のほうに膝をついているらしい少女がぶつぶつつぶやきだしたと思うや、何か、小さな物を憂喜の顔にぶつけるようにばらまく。
すぐ目の前に落ちた物を見て、それが生米だと分かった。とたん、首を引き絞っていた不可視のひもが緩んで、するりと自らほどけるように退いて消えていった。
閉じていた喉が拡張され、どっと空気がなだれ込んで憂喜は激しく咳き込む。気分が悪い。四つん這いになり、猛烈な吐き気と闘った。
人前で吐くなんてみっともないまねができるかと、その一念でひたすら耐え、どうにかしゃべれるまで回復してからあらためて2人の少女を見た。
1人はストレートヘアのかわいらしい少女で、もう1人は肩の少し上で切られた茶髪があちこちでぴんぴんはねている、見るからに気の強そうな少女だった。きっとこの茶髪が憂喜に生米を投げつけたほうだ。
年は憂喜と同じくらいか。2人とも、見たことのないセーラー服を着ている。校章も知らない。きっと他県の生徒だ。
平日の昼間に、どうしてこんな所に?
「……あの。助けて、くれて……ありが……と、う。
きみ、たち……は……?」
「もう大丈夫みたいね。よかった」
憂喜の言葉にストレートヘアの少女がほっとした様子で肩から力を抜き、笑顔になった。
「綾乃ちゃん?」
「逃げた。素早いね。まあ、本気じゃなかったようだし。こんなもんでしょ」
綾乃と呼ばれた茶髪の少女も、警戒するように宙をにらんでいた目を憂喜へと移す。
「まず確認させてください。あなたは伊藤憂喜さんでよろしいですね?」
ストレートヘアの少女からの質問に憂喜がうなずく。
「自己紹介しますね。私は
「TUKUYOMI!! あんたたちもあの長谷川の仲間か!!」
憂喜はばっと跳ね起きて2人から距離を取った。
「長谷川、って、政秀さん?」
「は!? なんであんなやつと――」
知っている様子の未来の反応を見た瞬間、カッと頭に血が上った。嫌悪を示した綾乃の言葉は耳に入っていなかった。
「やっぱりだ! どうせさっきのもあんたたちがやったんだろ!! 薄汚い詐欺師たちめ!!
こんな安っぽい手に引っかかって、ありがたがって金を出すほど俺はマヌケじゃない!!!」
ぎゅっと目をつぶってたたきつけるように言い放ち、憂喜は身を翻して走り去る。
「あっ、待って! 違うんです! 戻ってきてください! 私たちは――」
「あのオッサンと一緒にすんな! 戻ってこい、このやろう!!」
未来と綾乃がそれぞれの言葉で憂喜を呼び止めようとしたが、憂喜は従わなかった。
とにかくこの場から一刻も早く立ち去ることしか頭に浮かばない。あの2人から離れろと、頭のどこかで声がする。
長谷川も、あの2人も、だめだ。
誰も信用しちゃいけない。
逃げろ。
逃げろ。
そうして――
――クルシメ
――コンドハ オマエノ バン ダ
――クルシメ
――クルシメ
――……ノヨウニ
「行っちゃった。
綾乃ちゃん、どうしようか」
追って、きちんと説明しないといけないんじゃないかとは思うが、パニックを起こしている様子の憂喜をこれ以上追い詰めていいものか、未来は迷う。
なにしろ彼は死にかけたばかりなのだ。
もちろんあの怨霊たちにその気はなく、死なない程度にいたぶっていただけだというのは未来も経験則から気付いているが、当の憂喜にそれと分かるわけもない。
「少し時間を置いたほうがいいのかも」
落ち着いたころに話せば彼も聞く耳を持ってくれるかもしれない、と思う未来の横で。
「ったく、聞いてないぞ、巫女たちだって? あいつ、一体どんな
長谷川と同類扱いされたのがよほど嫌だったのだろう、綾乃はまだ憤慨している様子でぼやきながらポケットからスマホを取り出して短縮ボタンを押す。
「とりあえずアレスタからの報告聞こ。もうそろそろそろってるころ――あ、アレスタ? 何か分かった?」
綾乃はスマホをスピーカーに切り替えて、未来も聞けるようにした。2人で『アレスタ・クロウ』と文字の出たスマホの画面を見下ろして、通話相手の話に耳を傾けていると、ふと、風に乗った何かが心に作用する。
覚えのある感覚に対する反応は、未来のほうが少しだけ早かった。
「綾乃ちゃん、今の!」
ぱっと憂喜の消えた方角を振り返って目を凝らす。
「ああ、間違いない。――くそっ。ナイトフォールが開いた」
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