第5回

 憂喜が7歳のときのことだ。

 家で飼っていた猫が死んだ。


 憂喜が生まれる前から飼われていたメス猫で、もうかなりの老齢だった。毛布の上で一日中寝ていることが多くなり、やがて目を覚ますことなく眠るように逝ってしまった。

 大往生で、とてもいい生を生きたと思える死に方だったが、幼い子どもにはそういったことは分からない。


 いくら説明しても、死んでしまった猫を毛布ごと抱きしめてわあわあ泣くだけの憂喜に5つ年上の兄は困った顔をして、憂喜を母親の元へ連れて行った。

「ニャアが目を開けないの」

 起こして、とべそをかく憂喜の頭をなでながら、母親の桐子きりこは「ニャアは天の国へ行ったのよ」と告げた。

 天の国とは空の上にある素晴らしい場所で、そこできっとニャアは仲間たちと一緒に元気にネズミを追いかけたり魚を捕ったりしていると。

「みんな、天の国へ行くの?」

 不思議そうに訊く憂喜に、桐子は情操教育にちょうどいいと考えたのだろう。「いいえ」と答えた。


 悪いことをした人は天の国へ上がれず、地面の下にあるとてもとても怖い場所へ行くことになるのだと。だから憂喜はお父さんやお母さん、お兄ちゃんの言いつけをちゃんと守って、いい子にするのよ、と。


 その言葉に憂喜はますます目を丸くして、隣室とつながるドアのほうへ目を泳がせた。

「どっちかなの? お空の上か、地面の下しかないの?

 じゃあ…………三束みつかのおじいちゃんは?」


 そっと、声をひそめて訊いてくる。まるですぐ近くに自分たち以外の者がいて、聞かれまいとするかのように。


 憂喜の家は代々神職を務めていた。両親が事故で早世してから、桐子は巫女であり斎主でもある。80戸ほどしかない小さな集落ながらそこに住む者は全員が信心深い氏子で、集落における冠婚葬祭の一切を桐子が執り行っており、ちょうどその日も殯室には木の伐採中に事故にあって亡くなった老人、三束宣造の遺体が運び込まれていた。


 ドアは閉じられている。たとえドアが開いていたとしても向かい合った桐子の体で憂喜から中の様子がうかがえるわけがなく、ましてや白布をかぶせられた人物が三束だと判断できるはずのないことだった。


 まだ御魂遷しの儀は行っていない。


 わずかな間、桐子はそういったことについて思いを巡らせ、そしてじっと母の返答を待つ憂喜の肩に手を置き、耳元でささやいた。


「天に上がれず、地に沈むこともできない者たちは、真ん中にある地上をさまようの」


 それが自分に視えている者たちなのかと、このとき初めて憂喜は知ったのだった。



◆◆◆



 放課後。誰もいなくなった教室で、スマホを手に憂喜は悩んでいた。

 意を決してスワイプするも、アドレスを開いたところでまた手が止まる。


 霊に関して相談する相手として真っ先に思いついたのは母親だ。だが10年前両親が離婚して、憂喜は父親に引き取られた。それ以来母親とは一度も顔を合わせたこともなければ手紙や電話で言葉をかわしたこともない。完全な絶縁状態である。


 不思議と、そのことについて憂喜は1度も疑問を持ったことがなかった。


 母親がわが子と連絡を取りたがらないなんてことがあるだろうか? 記憶の中の母はいつも笑顔で愛情深く憂喜に接していて、憂喜もそんな母を慕っていたように思う。

 普通に考えれば、息子と会おうとする母親の願いを父親が一切遮断していたのではないか、という推測が成り立つが……それはないように思えた。


 それは父らしくない気がする。母に対する恨み言など聞いたことがなく、むしろ今も母のことを想っている節がある。母について話すのを聞いた覚えもないが、10年たっても再婚どころか付き合っている女性の影すら感じ取れないのは、それゆえではないだろうか。だから憂喜が母と連絡を取りたいと電話をすれば、すぐに連絡先を教えてくれるような気がしていた。


 それに、別れた当時はともかくも、中学生高校生ともなればいくらでも憂喜のほうから連絡を取ることができたはずである。それをしなかったのは、結局のところ、憂喜も母と連絡を取りたいと思ったことがなかったからだった。


 電話して、今さら何を話せばいい?

 女の子の霊にストーカーされてるんです、怖いので助けてください、って?

 自分にとって都合のいいときだけ連絡して、頼るのか?


「それって、最高にかっこ悪いよな」


 やっぱやめた。

 憂喜はスマホをズボンのポケットに突っ込み、スクールバッグを肩に引っかけて教室を出た。


◆◆◆


 あれからだいぶ時間がたった、もう校門にはいないかもしれない、との考えがなかったわけではないが、視て確認する勇気がなかった。


 学校には裏門があるんだから、わざわざしたくないことをする意味はない。

 裏門へ回り、一応周囲をざっと見渡して、少女の姿がないことを確認してからこっそり門を抜ける。バスに乗って向かった先は、神社だった。


 昼休みの出来事以来、何も手につかず、ずっとこのことばかり考えていた。

 憂喜は霊を視ることはできても祓うことはできない。どうすればいいかも分からない。だからそういうことは専門家に任せたほうがいいと思ったのだ。


 ただ、専門家といっても霊退治の専門家なんて知らなかった。ネットで検索してもそれらしい個人や団体は引っかからなかった。一応心霊研究所とか日本心霊学会とか心霊科学協会とかいうものがあったが、サイトの事業説明ページを読むとそれらの団体はスピリチュアリズム思想や深層心理学、精神論、哲学的な研究に終始していて、憂喜が求めているものからは大きく外れていた。


 憂喜が求めているのはもっと即物的なもの。漫画やアニメなどで登場する、いわゆる祓い師である。


 しかし祓い師で検索しても、引っかかるのは小説や漫画、アニメばかりだった。

(神社の神主さんかお寺のお坊さん、になるのかな、やっぱり)

 漫画やアニメでは、霊能力者といえばそういったことを生業にしている者が定番である。憂喜も真っ先に浮かんだのが神社の巫女の母親だった。しかし母親を頼れない以上、別の巫女か神主を見つけるしかない。


 やはりスマホで検索して、厄払いの祈祷を行っている神社を探したところ、早蕨という神社が一番近かった。バスで30分ほどの距離である上、ちょうどバスの時間にバス停へ行くことができそうだったことが、何やら「ここへ行くべき」との啓示のように感じられて、まずそちらへ向かうことにした。

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