第7話 理不尽な存在


 結局、5万円分の商品券を買った。


 正解のないこの問題、どうするか真剣に考えた。

 僕の給料を考えたら、1万円が限界だった。と言うか、引っ越しの挨拶で1万円も使うこと自体、滅茶苦茶だ。

 でも、おっさんは言った。


「誠意みせろや」


 リアルであのセリフを聞くとは、思ってもみなかった。ここで半端な金額を渡したら、またおっさんの怒りを買ってしまう。そうなれば詫びだの何だの言いがかりをつけられて、それ以上の出費を余儀なくされてしまう。

 それなら最初から、向こうの想定以上の金額にするしかない。そう思い、泣きながら5万円を銀行からおろした。

 おかげで読みが当たったのか、おっさんは、


「なんか気ぃ使わせてしもたみたいやな。わしが催促したみたいやないか」


 そう言ってニンマリほくそ笑んだ。

 でもとりあえず、これで挨拶は済ませることが出来た。

 後はなるべく接触せず、静かに生活するようにしよう。

 そう思った。





 ゴミ袋の中には、色んなものが入っていた。と言うか滅茶苦茶だ。

 あのおっさんの中には、分別という概念がないのだろうか。

 でもこれを終わらせれば、とりあえず元の生活に戻れる。

 そう思い、手袋とマスクをした僕はゴミの分別を始めた。


「……」


 隣でババアが、興味津々な顔でゴミを見ている。

 暇なんかな、このババア。

 でもまあ、仕方ないか。話し相手がいる訳でもなく、ずっと一人で暮らしてきたんだから。


「痛っ……」


 指に何かが刺さった。痛みに顔をしかめ、袋の中を確認する。

 そこにはなんと、針のついた注射器が入っていた。それも何本も。


「マジか……」


 使用済みの注射器を普通ゴミで出す、その神経が理解出来なかった。こういうのって、業者に回収してもらわないといけないんじゃないの? あのおっさん、元気そうに見えるけど、糖尿病とかなんかな。

 と、そこまで思考を巡らせて、僕は固まった。


 いやいやいやいや、違うでしょ!


 あのおっさんが何の仕事をしてるのか、当然僕は知らない。

 でもどう見ても、真っ当に生きてる人には見えなかった。

 シャツの隙間から、変な絵が見えてたよね。あれって俗に言う、紋々もんもんってやつだよね。

 危ない仕事をしてる人が、日常的に注射器を使用している。

 つまりこの注射器は……そういうことなんじゃないの?


 そう考えると身震いがしてきた。刺さった所、大丈夫なんかな。

 この注射器どうしよう。このまま捨てたら、僕も証拠隠滅とかで捕まるんじゃない?

 そんなことが脳裏を巡ったが、結論として、とにかく関わりたくないという気持ちが大きくなり、僕は見なかったことにした。

 これからの新生活……本当に大丈夫なんかな。





 って勿論、大丈夫な訳がなかった。

 あれから事あるごとに、おっさんは僕の部屋のドアを叩いてきた。

 その度に怪しいゴミ袋を渡されたり、銀行に行きそびれたから金を貸せと言ってきた。


 いやいやいやいや、コンビニのATMは24時間動いてるでしょ!


 そう思ったけど、とにかく怖かったから。こういう人種を前にすると、何も言えなくなるから。僕はただ、おっさんの言うがままに金を渡した。ゴミ袋を受け取った。


 ゴミ袋の中には、血のついた服なんかも入っていた。

 僕は震える手でそれをつかみ、何も見なかったことにして処分した。


 でも……もう限界だった。


 管理人さんに話しても、


「まあ……あの人はそういう人なんですよ。でも家賃も遅れず入れてくれるし、管理会社としては何も言えないと言うか……とにかくあまり関わらないようにしてください」


「いやいやいやいや、僕だって関わりたくないですよ。でも向こうから来るんだから、しょうがないじゃないですか。隣同士だし、逃げたくても逃げられないし」


「まあ、そうですよね……でも法的に問題ない以上、こちらとしても」


「問題大ありですって。注射器のことは知ってますよね? あとたまにまぎれてる、血のついた服とか」


「ああ、それは……確かにあのことは、こちらでも何度か問題になったことはあります。ですがあれを警察に訴えて、万一犯罪として処理されたとしても……多分ですが、大した罪にはならないと思います。それより訴えることで、逆恨みされるリスクの方が高いと言いますか……」


 そう言われ、確かにその通りだと思った。

 仮におっさんが逮捕されたとして、それで何年刑務所に入る? 

 1年? 2年?

 執行猶予にでもなったらどうする? 間違いなく逆恨みされて、とんでもない報復が待っているだろう。

 そう思ったら。僕に残された選択はひとつしか残ってなかった。

 おっさんにたかられて、既に10万なくなっている。このままだと枯渇して、ますます身動きが取れなくなってしまう。

 動くなら今しかない。





 ――引っ越そう。



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