第5話 和解


 勝利の朝!

 目覚めは最高だった。





 ババアはいた。確かに存在した。

 この部屋に住み続けている悪霊。

 でもそれだけだった。ただここにいるだけだった。


 あいつは僕に何も出来ない。そう思うと本当、心が軽くなった気がした。

 恐れることは何もない。僕の新生活は今日、今から始まるんだ。

 僕は微笑み、いつものように部屋を見渡した。

 昨日と何も変わらない、殺風景な部屋。ババアのおかげで出来てなかったけど、そろそろ住みやすいように整理しようか。そう思った。


「……ん?」


 部屋の隅に、あのババアがいた。

 膝を抱えて丸まっている。まるで叱られていじけてる子供みたいだ。

 どういうこと?

 このババア、出て来るのは決まって丑三つ時、深夜2時だった。

 寝る前、時報サービスを流しっぱにしたおかげで分かったことだ。

 それなのに、こんな朝っぱらからいるなんて。

 僕は立ち上がり、ババアの元に進んだ。

 僕の動きに気付いたババアが、不安そうに僕を見上げる。両手をかざし、目をつむり拒絶する。


 ああそうか、そういうことか。


 これは僕の勝手な推測なんだけど。このババア、姿を消すことが出来ないんだ。

 いつもは屋根裏とか壁の中とか、そういうところで過ごしてたんだろう。

 そして夜になったら姿を現す。だってその方が怖いから。

 明るい内から、と言うか日常的に姿を見せてたら、ありがたみもクソもない。

 演出として下の下だ。

 でも僕に正体を知られてしまい、何も出来ないことがバレてしまった。

 だったらもう、隠れても仕方ない。こんな狭い部屋の中、息苦しい思いをする必要がなくなったということだろう。

 それにこれは、ババアに限ったことじゃない。

 ババアは僕に何も出来ない。でも、それは僕にしても同じなんだ。

 ババアには実体がない。昨日ババアの腕をつかもうとしたけど出来なかった。

 僕が高名な陰陽師とかなら話は変わるけど。残念ながら僕はただの人間だ。ババアに指一本触れることも出来ない。

 そういう意味で、僕らは何も出来ない者同士。この部屋でけん制し合うことしか出来ないんだ。

 それが分かったから。ババアは隠れるのをやめたんだろう。


「……ま、いっか」


 僕はババアの足元に置いてあるさかずきを取り、洗って新しい酒を注いだ。

 塩も新しい物に交換した。

 ババアが驚きの視線を僕に向ける。


「いや、その……昨日は怒鳴って悪かったね。でもあんたも悪いんだよ? 僕の安眠を妨げて、怖がらせて追い出そうとしてたんだから。だけど……あんたに同情しない訳でもないんだ。あんたからしたら、僕らの都合なんて知ったことじゃないだろうからね。

 安住の地を更地にされて、その上にマンションを建てられて。唯一の場所にも知らない人間が入ってくる。あんたからしたら迷惑な話だよね。

 でも、僕にだって事情があるんだ。ここで生活しないといけない理由があるんだ。それは分かってほしい。だから……

 よかったらここで、一緒に生活しない?」


 僕の言葉にババアが目を見開く。


「これが僕の出せる精一杯の譲歩。僕にとってもあんたにとっても、ここは大切な場所。お互いが権利を主張して争っても、いい結果は生まれない。だったら一緒に住むしかないと思うんだ。お互い干渉せず、プライバシーを尊重しながら、共に生活する。言ってみればルームシェアだね。

 僕はあんたに危害を加えない。約束する。霊媒師とかを引き連れて、あんたを強制的にはらうなんてこともしない。あんたも僕の睡眠の邪魔をしない。どう?」


 ババアはうなずき、両手を合わせて安堵の表情を浮かべた。

 その顔を見て。変なんだけど、生まれて初めて友達が出来たような気がした。胸がぞわぞわする。


「と言うことで、これは僕からの気持ち。酒と塩、これでいい?」


 ババアは嬉しそうに何度もうなずいた。

 そんなババアの様子に、何だか僕まで嬉しくなった。





 こうして、僕とババアは共に生活することになった。

 長い長い、苦悩の日々の終わりだった。





「いってきます」


 別に声をかける必要はない。お互い干渉しないと言ったばかりだ。

 でもなぜか、言いたくなった。

 ババアは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み、手まで振ってくれた。

 不気味な笑みだったが、でも嬉しかった。

 僕は鼻歌を歌いながらドアを開けた。


「……え?」


 廊下に出た僕の視界に、強面こわおもてのおっさんが飛び込んで来た。

 そのおっさんはドアに鍵を差し、部屋に入ろうとしているところだった。

 僕の隣の部屋に。


 やっと会えたお隣さん。ようやくミッションコンプリート、挨拶が出来る。

 そう思うと同時に、僕の中にあの時の絶望が蘇ってきた。


 学生時代のいじめ。この人からは、僕をしいたげてきた彼らと同じ匂いがした。


「……あん? なんやおどれ、いつから住んどるんじゃ」


 低く重い声でそう凄み、おっさんが近付いてきた。





 嘘嘘嘘嘘! この人がお隣さん?



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