第4話 逆襲
無理無理無理無理!
そう思いながらも、僕は一週間耐えた。
一度神経内科にも行った。
夜中にババアが出てきて、僕を殺そうとするんです。そんなこと言っても信じてもらえないし、変なクスリをやってると思われるのも嫌だ。そう思い、最近嫌な夢ばかり見ます、おかげで眠れませんと話した。
結果、睡眠導入剤を処方された訳だけど。
この薬はやばかった。
飲んで1時間もしない内に、強烈な眠気に襲われた。倦怠感半端ない。
これならババアにまたがられても、目覚めることはないだろう。そう期待した。
でも無駄だった。
毎晩、決まった時間に目が覚めた。
ババアとの
しかも薬のおかげで体がだるくて、朝起きるのが半端なく辛い。
僕は薬を飲むのをやめた。
このままだとおかしくなる。
頭も、体も。
会社でも、社長さんたちが心配してくれた。
僕は愛想笑いを浮かべ、「大丈夫です」と答えることしか出来なかった。
でも。
もう限界だった。
引っ越そう。
なるべく近場で、同じぐらいの家賃のところに。
そう決めた。
でも、現実は非情だった。
流石に今と同じ家賃は望んでなかったけど、どこを見ても倍はする。
しかも敷金礼金あり。
どう見積もっても持ち金が全部消えてしまう。
僕は絶望した。
でも。このままこの部屋に居続ければ。
いずれ僕は殺される。
それか精神を壊されて、過去の住人のように自ら死を選んでしまうか。
どちらにしても、僕に明るい未来はない。
そう思い、ため息をついた時。
ふと頭に浮かんだ。
あのババア、何が目的なの?
いつもいつも現れて、ニヤニヤ笑いながら僕を見下ろして。
鎌を手に、今からお前を殺すとばかり振り下ろす。
でも、僕はまだ生きている。
初めて現れてから今日まで。僕はいつも、鎌が振り下ろされる時に気を失っている。
気を失っても、そのまま殺せばいい筈なのに。
どうしてそうしないの?
考えてみたらあのババア、僕に危害を加えていない。
怖がらせているだけだ。
恐らくこの部屋は、ババアにとって大切な居場所なんだろう。
調べてみたけど、他の部屋でそういう事例はないようだった。
管理人さんに聞いてみたんだけど、
「やっぱり……まだいるんですね、あの部屋に……」
そう申し訳なさそうに言って、僕に頭を下げた。
そして。他の部屋では聞いたことがない、そう言った。
僕の部屋にだけ現れる存在。
恐らく無縁仏の一人で、まだ成仏出来ずに
そして。
日本酒と
これをお供えしてみてください、そう言って。
その夜、部屋の隅に置いてみたんだけど。
朝見ると、酒にも塩にもカビが生えていた。
それだけで、あのババアが妄想なんかじゃないことは分かった。
でも。
追い出したいのなら、さっさと殺した方が早くない?
怖がらせて逃げるのを待つって、そんなに効果的?
僕のようなビビリには効くだろうけど。
でももし、僕が幽霊なんか気にしない男だったら?
ババアにまたがられても気にならず、すやすや安眠出来る鈍感だったら?
ババアの思惑通りにはいかないよね。
これってもしかして。
危害を加えないのじゃなく、加えられないんじゃない?
そう考えた方が自然なように思えてきた。
殺さないにしても、傷ぐらいつけてもよさそうじゃない。
そこまで考えてたら。
だんだん腹が立ってきた。
何で?
どうして僕が出て行かないといけないの?
墓地を破壊され、その上唯一の居場所にまで他人が入ってくる。たまったものじゃないのは分かるし、同情しないこともない。
でも。
ここの家賃を払ってるのは僕なんだよ?
僕がここに住むのは、当然の権利なんだよ?
なんで僕が、僕だけが。こんな目に合わないといけないの?
そっちの事情なんて知らないよ。
大体お前、家賃払ってないじゃない。
それなのに出て行けだなんて、理不尽にも程があるでしょ。
そう思い、僕はこの夜。
怒りマックスの状態で布団に入った。
深夜2時。丑三つ時。
いつものように目が覚めた。
目の前にババアがいる。
本当に気色悪いババアだ。みっともない半開きの口、垂れて来る
おかげで毎朝、僕はシャワーを浴びなきゃいけないんだぞ?
髪の毛も汚い。幽霊は風呂にも入らないの?
ボサボサなんてもんじゃない。
僕を見てニタリと笑い、鎌を振りかざす。
僕は言った。言ってやった。
我慢の限界だった。
「……おい」
僕の声に、ババアの動きが止まった。
あれ? このババア、ひるんでる?
ひょっとして
「お前……毎晩毎晩、夜中に起こしやがって……何か訴える訳でもなく、怖がるのを楽しそうに見て……何がしたいんだよっ!」
そう怒鳴ると、ババアは後ろに転がり落ちた。
「逃げんなっ! 毎晩毎晩、いい加減にしろよ!」
そう叫び立ち上がる。
あれ?
体が動く。
これってもしかして……
そうか! 金縛りだと思ってたけど、そうじゃなかったんだ!
恐怖で動けなかっただけなんだ!
ババアの仕業だと思ってた。でも違ったんだ。
僕の中の恐怖が、勝手にババアの力を大きく見積もってただけなんだ。
そう思うと、
――この二週間の恨み、今ここで晴らしてやる!
僕はババアの前で腕を組み、見下ろした。
「僕は家賃を払ってここに住んでる。お前がここにどれだけいるのか知らないけど、この部屋の今の住人は僕だ。お前じゃない」
ババアは腰砕けになり、白濁の瞳で僕を見上げた。
状況が理解出来ず、混乱しているようだった。
まあ、それも仕方ないか。まさか幽霊に説教する人間がいるなんて、ババアも思ってなかっただろうから。
「僕は絶対に出て行かないよ。ここは僕にとっても大切な場所なんだ。気に入らないならお前が出て行けよ! と言うか出てけっ! 今すぐここから出てけっ!」
そう怒鳴ると、ババアは鎌を捨てて
――逆転ホームランだ!
今怖がってるのは僕じゃない、ババアの方だ。
僕は拳を握り締め、笑みを浮かべた。
「さあ! さっさと出てけっ!」
そう叫んでババアの腕をつかもうとした。
でも、僕の手はババアの腕をすり抜け、空で拳を握っただけだった。
あれ? このババア、ひょっとしてつかめない?
確認の為、ババアが持っていた鎌を拾おうとした。でも無駄だった。つかめなかった。
そうか。このババア、言うなればホログラム、実体がないんだ。
だからいつも、僕を殺せる状況にも関わらず、何もしなかったんだ。
いや、出来なかったんだ。
胸に
つまり。
ババアは僕に何も出来ない。
怖がらせる、それしか出来なかったんだ!
怖いって何だろう。いつも考えていた。
そして今、結論が出た。
人は未知のものを怖がる。だって分からないことだらけなんだから。
何をされるか分からないんだから。
でもそれが解明出来た時、人はそれを恐れなくなる。
僕は幽霊に勝ったんだ!
「ババアあああああっ!」
一喝すると、ババアは再び転がりながら部屋の隅に逃げた。
完全に立場が逆転した。僕はババアに勝ったんだ。
頭を抱えて震えるババアに満足し、僕は再び布団にもぐった。
「もう……起こすんじゃないよ。明日も仕事なんだから」
そう言って目を閉じた。
ババアは僕に何も出来ない。危害を加えられない。
なら、別にそこにいても問題ない。
確かに気味悪いし、見た目は怖いけど。でもそれも、見慣れてしまえばどうってことはない。
あれはただのホログラム。声も出せない出来損ないだ。
放っておいても問題ない。とにかく僕は寝る。
達成感、満足感が心を埋め尽くす。
今日は久しぶりに……よく眠れそうだ。
そう思いながら、僕は夢の世界へと旅立っていった。
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