第3話 事故物件


 もう駄目だ。もう嫌だ。

 翌日僕は、仕事が終わるとネットカフェに向かった。

 あの家に戻りたくなかった。





 僕の家には幽霊がいる。

 こんなの誰が信じてくれる?

 誰に話しても、「夢でも見たんやろ」と笑う筈だ。

 事実僕も昨日まで、そう思ってた。


 でも違うんだよ!

 あれは夢なんかじゃないんだよ!

 あのババアは間違いなくいるんだよ!


 汗が視界を塞ぐ。

 その度にぬぐい、僕はパソコンで検索を始めた。


「事故物件」


 あの家、間違いなく何かある。

 考えてみたらそうだ。入る前から変に思ってたんだ。

 いくら叔父さんの紹介とはいえ、敷金礼金なしの家賃3万。

 そんなうまい話、ある訳がない。

 この辺りの相場は一畳1万円。

 僕の家は八畳、半額以下だよ?


 管理人さんの言葉が蘇る。


「色々あるかもしれませんが……あまり気になさらず、新生活を楽しんでくださいね」


「色々って、何かあるんですか?」


「ああいや、深い意味はありませんよ。新しい環境で新しい生活を始めるんです。不安なことや不便なこと、不快に感じることもあるかもしれないって意味です。ですが私もサポートしますので、安心してもらえたら嬉しいです」




 っていやいや、深い意味あったやん!

 幽霊ですよ幽霊! 管理人さん、絶対知ってたでしょ!




 腹立たしくて肩が震えた。でもすぐに、これまで親身になってくれたことを思い出し、とりあえず落ち着くんだとコーラを一口飲んだ。

 管理人さんだってただの雇われ人。言えることと言えないことがあって当然だ。

 ましてやマンションの評判に関わることなんて、言える筈がない。

 管理人さんは管理人さんなりに、僕の新生活をサポートしてくれてたんだ。

 八つ当たりはやめよう。そう思った。


 こうなれば、自分で調べるしかない。あの部屋に何があるのかを。

 その上で無理だと思ったら、勿体ないけど引っ越ししよう。

 僕は事故物件のサイトに自分の住所を入れた。


「……」


 何これ。いきなりヒットしたんですけど。


 僕の住むマンション。そこは昔、無縁仏をまつる墓地だったようだ。

 20年前まであったみたい。

 マンションの建設中にも、不可解な事故が結構あったらしい。

 まあ勿論、所謂いわゆるネットの書き込みだ。憶測やデマ、誇張してることもあるだろう。

 でもそういうのを抜きにしても、次の項目には流石に言葉を失った。


 僕の部屋。606号室で。

 2年前に自殺者が出ていた。

 首吊り自殺。


「……」




 ちょっとちょっと、どういうこと?

 こういうのって、入居する前に言っておくことなんじゃないの?

 何の説明もなかったんですけど?




 僕はスマホを取り、不動産屋さんに電話した。


「どういうことですか! こんなの聞いてませんよ!」


 電話口から担当さんの失笑が聞こえた。


「いやいや、笑ってる場合じゃないですから! あの部屋で自殺した人がいること、なんで隠してたんですか!」


「ははっ、隠してるとは人聞きが悪いですね」


 この人、まだ笑ってる。

 自分の家に幽霊が出ても、そんな反応するつもり?

 あんたにとっては他人事でも、こっちにとっては死活問題なんだよ?


「申し訳ありませんが、それをお伝えする義務はないのです」


「ないって……これって事故物件ですよね! 伝える義務はありますよね!」


「事故物件には当たりません」


 僕の剣幕をぶった切るように、担当さんが冷たく言い放つ。


「事故物件なるものには、当然次の入居者様にお伝えする義務が生じます。そして勿論、それを理由に契約しないというのもお客様の自由です。権利ですから」


「だったら」


「ですがあの部屋に関しては、その後入居されたお客様が二組いらっしゃいます。事故物件とは、次に入られるお客様にのみ適用されるワードです。その後そこで生活されたお客様がいる以上、あの部屋は事故物件に該当しないのです」


「でも……それでも!」


「それでもお客様が『あの部屋は事故物件だ』と喧伝けんでんされるのであれば、それは営業妨害になります。弊社の物件をおとしめる行為として、こちらとしては法的措置を検討することになります」


「そんな……」


「過去に自殺者の出た部屋、ということで気味悪がられるお客様は確かにいます。ですがその度に、部屋を事故物件として扱っていればどうなりますか? それも未来永劫に渡って。そんなことをしていたら、住める場所はなくなってしまいますよ」


「……」


「それにこちらとしましては、それなりに誠意をもって対応させていただいているつもりです。敷金礼金なし、家賃も相場の半値以下。失礼ですがお客様も、その条件に納得されたからこそ、契約されたのではないですか?」





 何も言い返せなかった。

 こういうクレームに慣れているからか、これ以上反論出来ないよう、ぐうの音も出ないまでに叩きのめされてしまった。


「勿論、知ってしまったことでお客様がもう住めない、転居すると言われるのも自由です。それもお客様の権利ですから」


 僕の中では担当さんが平謝りして、お詫びとして別の物件を提示してくれるイメージがあった。でも、それがただの妄想なんだと思い知らされた。


 担当さんが最後に言った選択、転居。

 でも。

 仕事も決まり、やっと落ち着いてきた今の環境。

 これを手放すのは惜しかった。

 それに、引っ越しとなれば費用もかかる。

 今みたいなおいしい条件の家があるとも思えない。

 そう思い。

 僕は部屋に戻ることにした。

 明日も仕事だ。





「……」


 もう嫌だ!


 僕にまたがるババア。

 ニタリと笑うその顔、殴ってやりたい。

 でも、体はピクリとも動かない。

 目を見開き、涙を流し。

 ババアを見つめることしか出来なかった。


 そして。





 僕の意識はまた、途切れた。



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