第23話 二つ目の夢

 シルムは少しの間考えるように上を向いた後、静かな声で答えた。


「別に嫌ってわけじゃないよ。王様になれば困った人たちを救えるし。でも本当は、一度くらい旅に出て、自由な世界を見て見たいなって思うけどね」


「そうなんだ。じゃあ、王様になる前に一緒に旅に出てみようよ」


 笑顔で提案するレゼフィーヌ。


 だけれどシルムは悲しげに首を横に振った。


「そんなことできるわけないよ。政治の勉強に剣や弓の修行もある。乗馬にマナーに、あとは絵や楽器やダンスまで、毎日毎日勉強付けだし……お父様や大臣たちや家庭教師の先生には逆らえないんだ」


「ふうん、そうなんだ。つまんなそうな人生」


 口をとがらせるレゼフィーヌ。


「でもそれは君だって一緒だろ。 君だって侯爵家の令嬢なんだから」


 シルムが不満そうに言うと、レゼフィーヌは上を向いて考えこんだ。


「まあ、そうだけどさ。でも私はやりたいことはやりたいって言うし言いたいことは言う。我慢なんかしてたらせっかくの短い人生が台無しじゃん。私は私らしく生きたいの」


 我慢せずに自分らしく生きたいと、そう語るレゼフィーヌをシルムは眩しそうな目で見つめた。


「君は強いね」


「そう?」


「うん、僕は君が羨ましいよ。僕も君みたいになれたらいいのに」


「本当? そんなこと言われたの初めてかも。私っていっつも疎まれてるから」


 余計なことをするな、余計なことを言うな、侯爵令嬢なんだから大人しくしろってレゼフィーヌはいつも怒られてばかり。


「そうなの?」


「うん。お父様も新しく来たお継母さまも、私のことを愛していないみたいなの。新しくできた妹のリリアのことばっかり。みんな私のことが嫌いなんだわ」


 この頃、レゼフィーヌの母親が亡くなり、父親が再婚してアビゲイルとリリアが来てからレゼフィーヌの生活は一変していた。


 そのことを周りの大人から聞いて薄々知っていたシルムだったが、まさかレゼフィーヌがそんな弱音を吐くだなんて予想外だった。


 シルムは下を向くレゼフィーヌを見ると、ぎゅっと拳を握りしめ、良く通る声ではっきりと言った。


「でも僕はレゼのことが好きだよ」

 

 レゼフィーヌがびっくりしてシルムの顔を見つめていると、シルムはくしゃりと子犬みたいな顔で微笑んだ。


「だから僕は君と結婚するの、すごく楽しみにしてるよ」



 そこまで思い出したところで、レゼフィーヌの目から涙が一筋こぼれ落ちた。


 パチパチと乾いた焚火の音が静かな森に響く。


 レゼフィーヌは橙色に照らされたシルムの横顔をしばらく眺めた後、肩から掛けたブランケットに顔をうずめた。


 ――私だって。


 ――私だって楽しみにしてたわ。


 レゼフィーヌの一番の夢はセラのような世の中の人の役に立つような魔女になることだった。けれど――。


 ――あなたと結婚するのも悪くないって思っていたのよ。


 一緒に本を貸し借りしたり、魔法について語り合ったり、そんな風にして過ごすのも悪くないと思っていた。


 七年経ち、レゼフィーヌはようやく自分の気持ちに気付いた。


 ――でもあなたは迎えに来なかったじゃない。


「……馬鹿」


 レゼフィーヌは声を殺して泣いた。


 あふれ出る涙は地面を濡らし、それでもなお止まらなかった。


 そして気づく。


 馬鹿なのは自分のほうだ。


 いつもいつもそう。いつも素直になれない。


 強がって自分の心を誤魔化して、素直になれないせいで大事なものをいくつも失ってきたんだ。


 大切なお母様の形見のドレスに宝石。お城に家族。そして婚約者。


 燃え盛る炎に合わせゆらゆらとルムの影が揺れる。


 レゼフィーヌはきちんと畳まれたハンカチで涙をぬぐった。


 「魔女になる」という一番の夢は果たした。


 だから――そろそろ二番目の夢をかなえるべきなのかもしれない。


 自分に素直になって、失ったものをすべて取り戻さなくては。


 ***


 翌朝、レゼフィーとシルムはいばら城へと出発した。


 帰りの道中、二人はずっと無言だった。


 レゼフィーヌは何度か切り出すタイミングを計っていたのだけれど、なかなか自分の気持ちは言い出せなかった。


 今までさんざん冷たくしておいて、いったいどんな顔をして「お嫁さんにしてください」と言えるのだろうか。


 レゼフィーヌにはどうしても素直になることが難しかった。


 そうこうしているうちに、二人はいばら城へとたどりついた。


「ただいま、エマおばさま」


 レゼフィーヌが声をかけると、エマ婦人が二人を出迎える。


「おやまあ、手紙で読んだけど大変だったね」


 レゼフィーヌはため息交じりに答えた。


「ええ、とんだ一日だったわ」


「そうかな、僕は楽しかったけど」


 シルムは呑気な顔をして頭の上で手を組んだ。


「全くもう」


 呆れた声を出すレゼフィーヌだったが、その表情はいつもより優しかった。


「疲れただろう、ご飯にするかい?」


「それより眠いから寝室に行こうかしら」


 レゼフィーヌとエマ婦人が話していると、急にドアがバタンと開いた。


 太陽の光を背に、城へ帰ってきたのはアレクだった。


「おかえり、アレク」


 シルムが飼い主を見つけた子犬のようにアレクに駆け寄る。


「ただ今帰りました、シルム様」


 だがアレクはどこか浮かない顔だ。


「おやまあ、どうしたの?」


 エマ婦人が尋ねると、アレクは口元を少し引き結び、険しい顔をして答えた。


「実は国王陛下が、シルム殿下に王宮に帰るようにと」

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