第49話




「‥‥どこに行く」




上映が終わっても一向に起きず、完全に寝る姿勢に入ってしまった時雨に何か掛けるものを取りに行こうと離れた瞬間、強い力で手を掴まれ引きとめられた。





「部屋」


「は?」


「ブランケットがあったから持ってこようかと。病み上がりでしょ、仮にも」


「要らない。ここにいろ」


「ならせめて、部屋に戻って寝れば?」


「‥‥めんどくせぇ」


「だから持ってくるって言ってるの」


「‥‥うぜぇ」


「うざいなら尚更部屋に行くけど?」


「分かった。ただし10秒で戻れ」



いや、鬼か。物理的に無理だろ。




「馬鹿じゃないの?」


「馬鹿はお前だろ」


「は?」


「いつにも増して突っかかってくるな、お前は」



寝込んだせいで頭がどうかしたのだろうか。言葉とは真逆で愉快そうに笑う時雨の正気を疑ってしまう。




「早く行って来い」




どことなく〝楽しそう〟な時雨に背中を押され、理不尽ながらも急いで戻ってくるなり「おせぇ」と文句と共に腕の中に閉じ込められる。私を抱き枕にして気持ちよさそうに眠る時雨の忌々しい寝顔を眺める以外にすることもなく一緒になって暫くの間眠っていたが、流石に限度っていうものがある。寝過ぎて頭痛がしたことなんて生まれて初めてだった。



暇つぶしに映像を見返すも次第に目が疲れてきて投影機を止めようと身を起こすと、すぐ側で唸り声がした。私のどこかしらに触れていないと気が済まないらしい時雨の頭を支えて膝に乗せると、案の定動かなくなった。いい加減起こさなければならないが、こうも穏やかに眠られるとそんな気も失せてしまう。かといって、睡眠だけでなくて食事もとらせないといけない。あれからまだおにぎりしか食べていないんだ。ちゃんと栄養のあるものを食べさせないと。今までは私が食べさせられる側だったのに、不思議な感覚だ。滑らかな頬を突いたり摘んだりしていると、少しずつ覚醒の兆しが見え始める。




「時雨」


「‥‥」


「時雨、起きて」


「‥‥何だよ」




心底煩わしそうに溜息を吐くと、寝起き特有の掠れた声で気怠げに答えた。毎回思うけれど、時雨はあまり寝起きが良くないらしい。




「流石に寝過ぎよ」


「‥‥うっせ」


「あっそ、なら退いて」




やがて諦めたように身を起こした時雨はまだ眠いらしく、徐に私の肩に頭を預けてくる。その仕草がまるで甘えているようで、不覚にも可愛いと思ってしまった。





「食べ物を買ってくるから」


「飯なんかいらねぇ」


「そう言う私に無理矢理食べさせてきたのは誰だったか、まさか忘れたの?」

「‥‥」


「お願いだからちゃんと食べて。あんな姿を見るのは二度と嫌だから」


「なら、お前が作れ」


「え?」


「お前が作るなら食べてもいい」




まあ、人並みくらいには作れるけど。毎度毎度、何でこんなに上から目線なんだろう。




「前に食ったあれは美味かった」


「カレーね。それも作り置きの」


「レトルトじゃあるまいし、お前が作ったことには変わりないだろ」




確か部屋にガスコンロがあった。カレーくらいなら最低限の調理器具と材料を揃えれば作れるだろう





「それなら尚更離れて」


「商店街までは距離があるだろ」


「昨日行ってきたから平気」


「‥‥」


「‥‥」


「‥‥はぁ」



何を思ったのか時雨は渋々と立ち上がると、部屋に戻って着替え始めた。もしかしてついて来るつもりだろうか。あの時雨があの距離を歩く姿が想像できないが。そんな予想は的中し、当然のように外の駐車場に停車していた車に乗り込む時雨にぎょっとする。




「ちょ、ちょっと何してるの!?」


「何って出掛けんだろうが」


「確かにそうだけど、どうして車?第一に誰のよ」


「くたばったジジィのだ」




動揺する私を助手席に無理矢理押し込むと、当たり前のように運転席に乗り込んだ。




「え、運転できるの?」


「当たり前だろ」


「無免許運転は、ちょっと‥‥」



エンジンをかけながら投げて寄越されたカードを見ると、正真正銘の時雨の運転免許証で思わず凝視してしまった。





「‥‥ぺ、ペーパー?」


「それ以上言うならこの場で犯すぞ」




声色と睨みの鋭さから、ある程度本気であることを悟って黙る。




「‥‥だって、運転してるところなんて今まで見たことがなかったから」


「自分で運転する機会はあまりないからな」


「勝手に使っていいの?この車‥‥」


「当たり前だろ。組員のものは、若頭である俺のものでもある」




いや、どんな理屈よそれ。




「取るには取ったが、運転し始めたのはわりと最近だ」


「どうして?」


「無名をお前につかせたからだ。信用ならない組のやつが運転する車に誰が乗るか」


「‥‥」


「安心しろ。この俺に出来ないことはない」


「‥‥ねえ、時雨」




時雨と再会してから、言っていいものか、聞いていいものか、ずっと迷っていていた。





「‥‥無名は」




無名が時雨の側を離れてしまった全ての原因は私にある。だから、その名前を出すだけで罪悪感から声が震えた。





「分かってる」




私の言いたいことが伝わったのかはっきりと答えた時雨に、何一つ解決していないというのに心の底から安堵してしまった。



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