第48話



ドームスクリーンに映された星々は、作り物のはずなのに、溜息が出るくらいに綺麗だ。


リラックス効果のある、穏やかで幻想的なBGMと共に映り変わる映像を見上げていると心地よさのあまり眠気がやってくる。




「星、好きなの?」



寝転べられるタイプの銀河をイメージしたシートに一緒に横になっていた時雨にずっと気になっていたことを尋ねる。




「別に」 


「別にって。好きでもないなら、こんな場所に居着かないでしょ」


「うるせぇな。嫌いじゃないってだけだ。好きとかじゃない」



時雨の〝嫌いじゃない〟は、限りなく好きに近いのだと、共に過ごせば分かるようになった。それがどこまでも素直じゃない、それでいて不器用な時雨なりの表現なのだろう。




「昔、一之瀬組の幹部の一人が営業していたんだ」



当時を思い出すように、遠い目をする時雨。




「組員はどいつもこいつもガキの俺に過剰なまでに礼儀正しく接してきて気色が悪かったが、奴だけは違った。そいつは〝人生つまんなそうだから星でも見ろよ。若が思ってるよりも世界は広いぞ〟なんて抜かしながら、この場所のチケットを寄越してきやがった」


「そうだったんだ」


「初めは興味の欠けらもなかったが、偶然組の行事で奴と同行する機会があって、その時に無理矢理連れてこられた」


「仲、良かったの?」


「んなわけあるか。ただの死に損ないのジジィだそ」



毎度のことながら、本当に口が悪いなこの男は。




「‥‥でもまあ、実際に来てみると案外悪くなかった」



名前も知らない、顔も知らない人の話だけど、その人の話をする時雨は凄く懐かしそうな目をしていて恐らく相当懐いていたのだろう。





「それから奴と同行する時は、成り行きで俺も来るようになった。誰からも干渉されたくない時には、この場所ほど都合がいいところは他にないからな」


「‥‥」


「寝床があったのも、元々宿泊施設として作られた名残だ。まあ、こんな山奥でそれもほぼ無人での営業だったからな。客が一人たりとも来ないことは珍しくなかった」


「‥‥」


「儲けるためではなく、金の有り余ってるジジィが趣味で作った娯楽施設だ。それでも稀に迷い込んだり、どこからか噂を聞いた客が訪ねてきたりもしていたがな」


「知る人ぞ知る穴場みたいな感じだったのね」


「オーナーも神出鬼没だったからな。都市伝説みたいなレベルだ」


「何だか、秘密基地みたい」


「それでも、俺にとっては家なんかよりもよっぽど落ち着ける場所だった」


「‥‥」


「組の奴らは誰もこの場所を知らない。あのジジィも教えなかったようだしな。そもそも、奴らは俺がここに来ていることも、あのジジィと仕事以外で接していたことも、何一つ知らないだろうが」




〝奴ら〟



その中には、恐らく時雨の両親も含まれているのだろう。




「プラネタリウムなんて、所産は紛い物だ。そんなものにわざわざ金を使うやつの気がしれないと思っていたが、作り物だからこそ都合がいい時に見れるのは悪くないところだ」


「‥‥」


「星っていうのは、その日その日で見え方が違う。天気によっても左右され、曇っていたり雨が降ってでもしたら何も見えない」


「‥‥」


「だがこれは違う。見たい時に見たいだけ見られる」


「‥‥」


「それは、作り物で、偽物だからこそできることだ」


「‥‥」


「‥‥何か、聞いたのか?」


「え?」




急に黙り込んだ私に何かを勘づいたらしい時雨が、ずっと天井を見上げていた目線を私に向けた。




「俺のこと、誰かに聞いたか」




ずっと頭に浮かんでいたのは、聞いてしまった時雨の過去。


正直、実際に起こったことだと信じられない。だが、実の両親を〝奴ら〟なんて呼び方をするくらいだから、信じざるを得なかった。


今まで、どれだけの孤独と絶望を味わってたのかと想像するだけで張り裂けそうなほどに胸が苦しくて仕方がなかった。


けれど、聞いて良かったのかも分からない話だ。時雨にどう伝えればいいんだろう。





「言えよ。そんな顔をしている理由を」


頬に添えられた手があまりに優しくて、また泣きそうになってしまった。


一体、いつからこんなに泣き虫になってしまったのだろう。




「聞いてしまったの、あなたが誘拐された時の話を」


「そうか」


「ごめんなさい、勝手に知って、勝手に同情して」


「同情、してくれたのか?」


 

怒られるかと身構えたが、そんなことはなく当然のように優しい眼差しを向けられ、慰めるように頭を撫でられたものだから、途端に涙腺が緩んでしまった。


当時、泣きもせず、呻き声も上げずに、ただ空虚な瞳で治療を受けたという時雨。まだ幼かったというのに理不尽な仕打ちを受けても怒ることも、泣くこともしなかったらしい。小さな子供が受けるにはあまりにも残酷すぎる仕打ちだというのに。幾らそれが家が極道であるが故だったとしても。




「悲しくて、それ以上に腹が立った。出来ることなら、私が代わってあげたかった」


「‥‥」


「傷だらけになって、泣くこともできない、縋る相手もいない時雨を抱きしめて、その苦しみを全部背負ってあげたかった」




堪えていた涙が溢れ出すと、繋いでいた手に力が加わった。




「あの時のことは、今でも鮮明に覚えている。すぐに忘れればいいものを、未だに記憶が薄れないくらいにはな。当時の俺にも、思うところはあったのだろう」


「‥‥」


「今言ってた、当時の俺にしてあげたかったってこと、今しろよ」


「‥‥え?」


「遅いも早いもないだろう。感情に時間は関係ないだろ」



一瞬、何を言われたのか理解できなかった。けれど、もしかして。それ以外は思いつかない。半信半疑のまま、時雨の頭を引き寄せるとその体ごと抱き締めた。すると、時雨はなんの抵抗もなくその身を預けてきた。気を許してくれるのが無性に嬉しくて、見えない傷をたくさん背負っているだろう背中を撫でると、やがて小さな寝息が聞こえてきた。




「時雨」



時雨のことが苦しいくらいに愛おしい。守ってあげたい。守ってあげられたら。ーー私に、できるのなら。誰よりも人間らしくて、繊細な彼の心を。傷付かないように、優しく包み込んであげられたら。癒えることもなく、今も尚その心を蝕んでいるであろう痛みを、少しでも和らげてあげられたら。これまで時雨が私に、そうしてくれたように。時雨の側にいて、時雨の支えになりたい。



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