自責

第17話

あれから1週間ほどが経った。



幸いにも骨は折れておらず、打撲や捻挫、切り傷といった軽傷の類だった。



しかし、怪我による高熱に魘されたりと、元々体の弱い私には決して楽なものではなかった。



その間、常に無名が側にいてくれて精神的な支えにもなってくれていた。



30代後半くらいの男性で、優しそうな顔をした中山先生もすごく親身になってくれて、怪我は順調に回復へと向かっている。









「ようやく熱が下がりましたね」


「無名と先生のお陰ね」


「私は何も。ただ側にいただけです」


「ううん。それが何よりも心強かったの、本当にありがとう。‥‥それと、ごめんなさい迷惑をかけてしまって。ずっと付きっきりだったでしょう?」


「いえ、私がしたくてしたことですから気にしないでください。それに、今の私の役割でもありますから」


「‥‥そう」


「気になりますか?」


「‥‥‥少し」




私の考えていることなんて、無名にはお見通しのようだ。



気になるか、とはっきり聞かれると否定したくもなるが、気にならないと言ったら嘘になる。







「ここに来ないというより、来れないんですよ」


「行きたくないんじゃなくて?」




殆ど八つ当たりみたいに怒鳴り散らしてしまったから、絶対に怒っていると思っていた。



呆れて、見放して、捨てられてしまったのだと‥‥。









「実はお咎めを受けまして、いつもの倍以上の仕事を任せられているんです」


「お咎め?」


「あの時ーーつまり、小夜さんが怪我をした日のことですが、会合中に抜け出して来られたんですよ、若は」





‥‥そんなこと、知りもしなかった。



怒りまかせで正気を失っていたせいで、少し考えれば分かることだったのに、気づきもせずに‥‥。







「怒ってる、よね?」


「それは、ご自分で確認してみるのが宜しいかと」





軽くなったはずの気分が一気に重くなる。



時雨の元に戻っていいのかも分からないのに、どの面を下げて話しかけたらいいのか‥‥。



時雨には常日頃から散々しておいて、自分が拒絶される側になると思うと怖くなった。







ーー声がする。



これは、誰の声だろうか?



眠りが深くて起き上がれずに、耳を傾けたところで内容を聞き取れるだけの意識はない。







「まだ完治していないんです。どうか分かってください」


「これ以上ここに置くことに何の意味がある?」


「何かあった時のためにも、医療機関の整っているここにいる方が彼女も安心できるはずです」


「感情なんてどうでもいい。これは俺のものだ。どうするかは俺が決める」


「そんな横暴な‥‥」




困惑した様子の先生に、もう一人は‥‥?







「これまで通り無名を付ける。それでいいだろう。これ以上御託を並べるようなら、ここを利用することは2度とないと思え」


「‥‥分かりました。ですが、絶対安静にさせてください」





‥‥ああ、駄目だ。



眠すぎて、起きてられない‥‥。




何者かの気配が近づいたと思えば、そっと額に手が添えられる。



無名とは違う、大きくて力強い手だ。








「熱は?」


「もう下がりました」


「そうか。お前も少し休め」


「はい。‥‥あの」


「何だ」


「どうか若も休息を取られてください。随分とお疲れなご様子です」


「そろそろ仕事もひと段落つく頃だ。休みたければ、休みたい時に勝手に休む」


「私も、組に戻り次第手伝います」


「お前はいい。そいつに付くことが今の任務だからな。そっちを優先しろ。組のことは出来る範囲でやれ」


「はい、仰せのままに」


「おい、ここにもう一つベットを用意しろ。お前は無名が休んでるか見張ってろ」







額にあった手が、離れていった。



それをどこか名残惜しく感じたのは、正気ではなかったせいだろう。







完治とは言えないながらも、何とか歩けるくらいに回復した頃、ようやく退院することができた。



本当は、もう少し入院した方がいいらしいがそうできないだけの理由があるらしい。



不思議に思って理由を聞いても、先生は困ったように笑うだけで教えてはくれなかった。






「‥‥本当に、帰っていいの?」



車の中で、隣に座る無名におずおずと尋ねる。






「何故そう思うのですか?」


「‥‥だって」




下を向いてぎゅっと手を握った。



退院が決まってからというもの、不安で仕方がなかった。



部屋に入るなり追い出されたらどうしよう。



そうなったら、私はどこに行けばいいんだろう。



住むところもないし、もう随分とバイトもしておらず、金銭的にも前以上に苦しくなるはずだ。



まだこれから高校と大学の奨学金だって返していかないといけないのに‥‥。




そんなことを考えすぎたせいで頭痛すらしてくる。










「大丈夫ですよ」



不安から震える手を、そっと握り締められた。






「私を、信じてください」



優しく微笑みかけられて、思わず泣きそうになった。






「無名のことは信じてる。でも、あの時雨が許してくれるとも思えない」


「小夜さんが心配することはないですよ。何せ、小夜さんを退院させるようにさせたのは、若ですから」


「‥‥時雨が?」


「はい。だから心配しないでください」





それで先生の態度が変だったのか。



だけど、どうして時雨がそんなことを?



私の顔なんて見たくもないはずたのに。



まさかとは思うが、部屋に戻るなり罵倒されたり、最悪の場合に暴力を振るわれたりしないだろうか。



‥‥駄目だ、今度は違う不安が出てきてしまった。





用事があるからと、一之瀬組に着くなり無名は出掛けてしまった。



その姿を名残惜しく見送りながら、心細くも時雨の待つ部屋へと向かう。



襖に手を掛けながらも、開けることを何度も躊躇した。



それでも、大きく息を吸い込み勇気を振り絞って開く。






ーーすると、予想とは違った光景がそこに広がっていた。





規則正しく聞こえてくる寝息。



そっと閉じられた瞳。



眉間に寄せられたシワ。




どうやら、寝ているようだった。





気配を消しながらそっと近づく。



蹲み込んで、その寝顔を眺める。



同い年なのに、大人びて感じることが多いが、こうして見るとあどけなくも見える。



眉間の寄せられたシワに触れる。



寝苦しいのか、それとも癖になっているのか。



年を取ったら残ってしまうかもしれない。



せっかく綺麗な顔をしているのにと残念がっていると、何の前触れもなくその瞳が開かれた。



いつもより覇気のない目と合うと、柄にもなく狼狽た。



訪れる静寂。



普段は気にならないその沈黙が、今は苦痛でしかない。







「お、起こした‥‥?」


「‥‥‥」


「今、帰って来たんだけど‥‥」


「‥‥‥」




ちょっと、何か喋ってよ。







「あの、この前は‥‥ごめんなさい」




直視できず、目線を逸らす。







「正直、八つ当たりだった」




何の反応もなくて、やはり怒っているのか、それを通り越して呆れているのかと耐えきれずに逃げ出したくなったのだが。









「‥‥別に、気にしていない」





伸びて来た手によって、ベットの中へと引き入れられる。



そのまま腕の中に引き寄せられた時には、思いがけずに泣きそうになってしまった。



久しぶりの時雨の匂いに、どこか安堵する自分がいた。



こうして抱き締められることはなかったはずなのに、慣れ親しんだように感じるのはどうしてだろうか。










「足は?」


「まだ痛いけど、もう歩けるくらいには治った」


「そうか」




眠いのか、何度もゆっくりと瞬きを繰り返す時雨。



心なしか顔色も良くないし、疲れているのだろうか。



すらりとした頬に触れる。



やはり、少し痩せた気がする。








「ごめんなさい。私のせいで‥‥」


「気に病むな。お前が謝る必要はない」




深く抱き込むと、息を吐く。



どうやら、完全に寝る体制に入ったらしい。








「おやすみ、時雨」


「ああ」




その返答を最後に、再び聞こえ始めた規則正しい寝息。



今度は、眉間に寄せられたシワはなかった。



その寝顔を間近で見ているうちに、つられるようにして眠気がやってくる。



そっと背中に手を回し、穏やかな呼吸を聞きながら深い眠りへと落ちていった。



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