意地

第14話

〝無名を人間にしろ〟と言われても、結局のところどうしたらいいのか分からない。



私には、そんな大それたことができるだけの力はないのに‥‥。



本当は厄介事を押し付けられただけではないだろうか?と思う節もある。



大切にはしているのだろうが、結局のところは従順な無名を手元に置くことで支配欲を満たしているだけなのかもしれない。



だって、相手はあの時雨だ。



傲慢不遜で


冷酷無情で


傍若無人で


唯我独尊な男。




そんなやつが、果たして他人を大切にすることが本当の意味でできるのだろうか?









「‥‥しっかりするのよ、小夜」





最近は、以前よりも時雨に気を許し始めているの部分があるのは否定できない。



けれど、相手が誰であろうとこれだけ側にいれば、少なからず情は移ってしまうものだ。



嫌いなことに変わりはないけれど、稀に悪くないと思ってしまう時があるのも事実。







ーー仕方ないだろう。




私は、生まれてきてからずっと独りで、常に他者から否定され、蔑まれ、邪魔者扱いされて生きてきたんだ。



どんな形であれ、求められることに対して何も感じないわけがない。




‥‥だからこそ、怖いんだ。



怖くて怖くてたまらないこと、それはこの環境に慣れてしまうことだ。



常に誰かが側にいて私を受け入れてくれる人がいる。



そんな嘘みたいな今は、いずれ無くなり元の現実に戻らなくてはならない。







一体、いつまで続くのだろうか。



時雨の歪んだ私への執着心は。



早く薄れて、手放してくれたらいいのに‥‥。






酷く頭が痛い。



頭を押さえながら目を開けると、見覚えのある部屋で横になっていた。






「目が覚めたか、星宮」


「あの、どうしてここに?」




どうやら銀先生の研究室のようだが、ここにいる経緯が全く思い浮かばない。







「倒れたんだよ、俺の講義中に」




そうか、だから記憶が曖昧なのか。






「久しぶりだな、こういうの。前はしょっちゅうぶっ倒れてたもんな」


「‥‥すみません、迷惑をかけて」


「気にするな、これも俺の仕事だ」




そう言って微笑んだ銀先生の顔を見て安堵した私は、差し出されたおにぎりを受け取った。






「買いすぎたんだ、やるよ」


「‥‥ありがとうございます」




正直なところ食欲はないのだが、これが銀先生の好意だということを知っているからこそ無下にはできない。



いつもひとつしか買っていないおにぎりを〝買いすぎた〟と譲ってくれていることにはもう気付いてしまったから。






「今日はもう講義はないだろ?帰るのはもう少し休んでからにしたほうがいい」


「分かりました。そうさせてもらいます」 





ソファーに横になると、意味もなく銀先生の背中を見つめた。



毎度のことながら、優しい人だと思う。



私は今までその優しさに何度も救われてきた。



〝何かあった〟ことなんてお見通しだろうに、それについて追求することは絶対にしない。



その配慮には本当に感謝している。



聞かれたところで答えられないし答えたくもない。けれど弱音を吐いた時はちゃんと聞いてくれて、〝頑張ったな、偉いな〟と頭を撫でてくれた。






「おやすみなさい」


「ああ、おやすみ」




近頃は睡眠をまともに取れていない。




だけど、なんだか眠れそうな気がした。





「よう、早かったな」


「‥‥」


「お前はなんで俺にだけそう無表情なんだ?」


「必要がないので」




愛想のかけらもない様子で入ってきた男には、いつもの貼り付けたような笑みはない。



それなりに付き合いは長いが、初めて会った時から俺にだけはこんな態度だった。







「まだ寝てるぞ」


「連れて帰ります」


「起きたらどうするんだ」


「それでも連れて帰ります」


「星宮は物じゃない。そう都合よく扱ってくれるな」


「それをあなたに言われる筋合いはない」





やけに棘のある物言いの男は、足早に部屋の奥に進む。






「毎回気になっていなんだが、お前に何かしたか?そう嫌われる理由が分からないんだが」


「嫌っている覚えはないですが、あなたが気に入らないのは事実です」


「それを嫌っているって言うんだよ」


「もし理由を上げるとすれば、彼女をこうしてここで寝かせるだけの神経の図太さですかね」


「俺はただ教師として普通のことをしただけたが」


「それは下心がなければの話です」


「俺に下心があると?」


「はい」


「何を根拠に」


「私はそういうことに敏感なので、あなたの話し方や態度ですぐに分かります」




今日はやけに喋るな、と他人ごとのように思う。






「仮にそうだとして、何か問題があるのか?」


「‥‥若をよく知りながら、彼女に関わろうとするその根性がどこからやって来るのか理解できない。その行為が彼女を害するのが分からないのか」





珍しいこともあるものだ。



能面だの人形だの後ろ指を指されている男が、明らかに怒っているのだから。



「害しているのはお前の主人の方だろ。何故また倒れたと?」


「だからといって、それを逆撫でするような真似をしないでください。今のこの状況を若が知ったらどうなると?」


「お前が言わなければいいだけの話だろ。尤も、お前にそんな真似はできないだろうが」


「私が直ちに連れ帰れば済む話です。若は今日は登校していませんので、耳に入ることはありません」






驚きのあまり目を見開いた。



何故ただ一人の女のために、主人に逆らうような真似を?







「これ以上の会話は無意味です。あなたも、くれぐれも余計な真似はしないでください」




壊れ物を扱うように星宮を抱え上げると、ゆっくりと歩みを進める。







「あなたは優しいだけです。良くも悪くも」


「‥‥‥」


「あなたが彼女にできることは何もない。だから、必要以上に関わるべきではない」


「‥‥あいつには。一之瀬にはあると?」


「少なくとも、私はそう思っています」









見慣れた部屋。



見慣れたベット。



そして、見慣れた背中。







「‥‥時雨?」





目を擦りながら、背を向けてベットに腰掛ける時雨に声をかけた。



確か今日は帰って来ないと聞いていたけど。



深く眠っていたのか、まだ意識がぼんやりとしている。








「‥‥何だよ」




返ってきた返事は、なんだか機嫌が悪そうな声色をしていた。



‥‥ああ、最悪だ。



普段から厄介なのに、機嫌が悪いとなるともう本当に最悪でしかない。






「人に話しかけておいて溜息吐くとはいい度胸だな」


「‥‥いや、違うの。考え事をしてただけで」


「考え事をするのか、話しかけるのかどっちかにしろよ」




その偉そうな物言いには毎度ながら腹が立つけど、今回ばかりは言い返せないのが余計に腹ただしい‥‥。








「それで、何の用だよ」


「それは‥‥」




いや、ただ名前を呼んだだけなんだけど。



〝何でいるの?〟とか〝帰ってこないんじゃなかったの?〟とか〝どうしてそんなに機嫌が悪いの?〟とか聞きたいことは沢山あるけれど、今聞いたら怒られそうな気がするし。








「何となく、呼んだだけ」


「は?」




何でそんな鋭い目つきで睨まれないといけないのよ。



気安く呼ぶなとでも言いたいの?







「もういい」



だんまりを決め込む私に呆れたように溜息を吐くと、「詰めろ」と偉そうに命令して布団に入ってきた。



‥‥確かにあんたの布団だけどさ、もうちょっとこう普通に言えないのかこの男は。



常に偉そうだし命令口調だし、何様のつもりなんだろう。



まあ、私なんかと比べたらよっぽど格上な存在には違いないから、これが普通の対応なのかもしれない。







「寝る」




いつものように背を向けて眠ってしまった時雨。



毎度のことながら、どうして背を向けて寝るのだろう?



拒絶されているようで良い気はしないし、私との関係性ってやつの線引きのようで不快だ。



心配しなくても、この関係が一時の気の迷いってことは分かってるし、情があるなんて1ミリも思ってない。



「ねえ」


「‥‥‥」


「もう寝たの?」


「‥‥‥」




ムカムカとしてきてそれを紛らわせるように話しかけるが、どうやら熟睡しているらしい。



意味もなくじっとその背中を見つめていると、寝返りを打った拍子に憎たらしいほどに整った時雨の顔が視界に広がった。



手持ち無沙汰になり、その黒髪に触れるとこれが意外と柔らかくて気持ちが良いことに気付く。



どこをとっても、欠点などない。




私とは違う世界を生きている。



何もかも手に入れていて、何もかもを手に入れることができるだけの力を持っている。



羨ましいとか妬ましいとか、そんな浅はかな感情を抱くことすら憚れるほどの存在。



それが今、この瞬間だけは私の好きなようにできると思うとそれなりに優越感というのを感じる。



都合も良く熟睡しているからといって、普段はしないことを沢山した。



滑らかな頬を抓ったり引っ張ったり、小さな三つ編みを作ったり、鼻をそっと摘んでやったりそれはもう好き放題だった。



満足した私は、そのまま寝落ちしたせいで。








「ーーったく、お前は猫かよ」





まさか、その一部始終がバレていたとは知る由もなかった。



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