過去

第3話

夢を見ていた。




忘れたい過去をーー。




私は生まれてきてから今まで、一度だって母から関心を向けられたことがなかった。




常にいないものとして扱われていた。




視界にすら入れられたことはない。




父親は顔どころか、存在すら知らない。




ただ、小さな古びたアパートで、会話もしたこともない母親の帰りを待っていた。





‥‥いつも、お腹を空かせて。





母は殆ど家にいない。




家に閉じ込められていた時期もあったが、見知らぬ人たちが家に来たその日を境に、私は学校に通うことができた。



いるはずのない家から子供の声がするとのことで、不審に思った近所の人が通報したのだろう。



それから母は、週一くらいのペースで帰ってくるようになった。




相変わらず私の存在を無視するけど、同じ空間に誰かがいるだけで良かった。




だが、そんな日々はすぐに終わりを告げる。




まともに人と会話したことのない私は、人と上手くコミュニケーションが取れずに次第に学校で虐められるようになった。




学年が上がるにつれ過激になっていき、全身に傷を負い、ボロボロになって帰ってくることも増えた。



 

そして、ある日を境に母がピタリと帰ってこなくなった。お金もなければ食べ物もなく、餓死寸前になっていたところ、親が帰ってくる様子も私の姿を見かけることもなく、異変に気付きまた誰かが通報してくれたらしい。



そして、傷だらけだったこともあり母は虐待を疑われ、私は遠い親戚であるおばさんの元に引き取られたのだった。



そこで私は自分が〝ネグレクト〟を受けていたことを知り、同時に精神科にも通わされるようになった。



そのせいで私は、自分の環境が如何に異常だったことに気付かされてしまった。



後に新しい生活が始まるが、私は馴染むことができなかった。




おばさんが口には出さないながらも厄介がられていることを知っていたのも理由の一つかもしれない。




高校に進学する際にバイトを沢山掛け持ちして必死にお金を貯めて、大学に上がる頃にはおばさんの元から離れて一人暮らしを始めた。




元々大学に進む気は無かったが、推薦をもらえるということもあって進学を決めた。








勉強やアルバイトに追われ、死に物狂いで生きてきたあの日々が懐かしく思える。






「小夜」


「‥‥‥」


「おい、小夜」





揺さ振られるような感覚に目を覚ませば、お風呂上がりらしい時雨が怪訝そうな顔で私を覗き込んでいた。









「どうして泣いてる」







言われてから初めて気付く。



目元を拭えば、確かに濡れていた。








「‥‥分からない」


「あ?」





寝起き早々、ドスの聞いた声を出されて溜息を吐く。



‥‥面倒くさいな。



夢の中まで追求しないと気が済まないのか、こいつは。









「‥‥ねえ、寒い」


「だから何だよ」





誰かさんに脱がされた所為なんだけど、どうせ言っても無駄だろう。



まあいいか、ちょうど温かそうだし。










「‥‥おい」


「何」


「お前、気は確かか?」






湯気が出るほどに温まっていた時雨の体に触れると、今度は深刻そうな声を出されたが無視する。




‥‥ああ、やっぱり人の体温というのは心地よい。



時雨のことは大嫌いだけど、この温もりだけは別だ。




殆ど抱き着いているような体勢だが、疲労やら寝不足やらで頭がぼんやりとしているせいで、自分の行動を客観的に見ることができない。



ただ、その温もりが欲しくて欲しくて堪らなくて、手を伸ばしてしがみ付いた。











「‥‥忘れてしまえ、あの女のことなど」






背中に腕を回されて抱き寄せられる。




そのまま横抱きで膝の上に乗せられると毛布を掛けられた。













「ーー早く、俺だけのものになれ」





そんな時雨の呟きは、夢心地の私の耳には残らなかった。




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