第2話
ホワイトボートに喋りかけているのかと勘違いしそうなくらいに、講義中は一度も振り向かないことで有名な中年の男性講師の声が、まるで念仏のように聞こえる。
生徒間で坊さんなんてあだ名があるのも頷ける。
一部はそれを子守唄歌代わりに爆睡し、他の生徒はスマホを弄ったり雑談をしたりと、好き放題にしている。
全ての講義が終わった後にノートを提出することは最初に説明されたのだが、それを聞いていたのは極一部だけだろう。
厄介なことに、この講師は一回の講義でノートに見開き5ページ以上は書かなくてはならない。
だから、寝られるわけがない。
それなのに、長いこと誰かさんに肉体的にも精神的にも追い詰められていたせいで、何度目をこじ開けたところで、下がってくる瞼やら頭やらに耐えるだけの気力はなかった。
友達はおろか、知人と呼べるほどの相手もいない私にはノートを見せてもらう人なんていない。
ここで寝たらお終いだ。
寝るな、寝るな‥‥。
手を抓って必死に耐えるも、強烈な睡魔に勝てるはずもなく。
やがて、意識を手放してしまった。
間近でキーボードを叩く音が次第に鮮明になっていく。
熟睡していたせいで、自分が今の今まで何をしていたのか、何処にいたのかすらも忘れてしまい、焦って辺りを見渡すと講師も生徒もいなくなっているのを確認して青ざめた。
嘘、もしかして寝てた‥‥?
頭を抱えて項垂れる私の隣で、熱心にパソコンで課題をやっているらしい男を思いっきり睨む。
「‥‥今、何時」
「19時」
‥‥あり得ない。
講義なんてとっくに終わっている時間だ。
「‥‥どうして起こしてくれなかったの?」
「授業中に、それもよりにもよって一番前のど真ん中の席で寝こけていたのは、他でもないお前だろ」
元を辿ればお前のせいだと声を大にして言ってやりたいところだが、どうせ痛い目に合うだけだと身を以て知っているため、何とか堪える。
大体、好きでこの席に座っているわけではない。
暗黙の了解というやつで、この場所は時雨の席として認識されており、周辺には誰も寄り付かない。
その光景を遠目から眺めていた側の人間だったのに、いつからか強制的にここに座らさられるようになってしまった。
他の席に座ったところで付き纏ってくるし、しかも授業中だろうが何だろうがお構い無しで、時雨が移動するとすぐさま周囲から人が離れていくことになるのだから完全なる授業妨害だ。
挙げ句の果てには耳元で『ここで犯されたいか』と脅されるので従うしかないのだ。
「帰るぞ」
パソコンを閉じて立ち上がると、ノートを押し付けてきた。
「‥‥何、これ」
「ノートだ。写したければ写せ」
私が寝こけた辺りから書かれたノートは、紛れもなく時雨の字だった。
不幸中の幸いと言うべきか、いいタイミングで来ていたらしい。
なら起してくれたらいいのに。
「ありが‥‥」
とう、と続けようとして口籠る。
いやいや、そもそもコイツのせいなんだからお礼なんて言ってやるもんか。
「何だよ」
「‥‥別に」
「相変わらず可愛いげのねぇやつだな」
通路のど真ん中を堂々と歩く時雨。
行き交う生徒たちは、そんな時雨に道を譲るように、端の方に寄っていた。
ーーそう、この学校では、というよりこの街では特に、時雨は絶対者として君臨しているんだ。
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