板野かも擬態杯参加作品
G-01:棋士推しのあの子
アイドル顔負けのその顔で微笑まれたら誰もが彼女の虜になる。性格もいい。誰のことも褒めるし悪口も言わない。よく笑い、思いやりもあり、女子からも好かれている。たぶん……あんなに可愛いのに自分から男子と会話をあまりしないからだろう。過去にトラブルでもあったのかもしれない。
断られるのが分かっていて告白する男もあとを絶たない。ものすごく優しく振ってくれるらしく、それからは廊下をすれ違う時に挨拶してくれるようになるからだ。認識してもらえるだけで嬉しいと。
「彼氏とかつくればいいのに。すぐできるっしょ」
「えー、いいよ。私の推しは決まってるんだから。他は目に入らないの!」
僕の隣で、「〇〇七段と△△八段と〜」なんて友達と話している。知っている棋士ばかりだ。目標にしている棋士の名前もある。
彼女はかなりのプロ棋士ファンだ。バッグにはプロ棋士のイラストピンバッチがついているし、将棋の駒のキーホルダーもものすごい数がぶら下がっている。文房具類も将棋モチーフのものが多い。それだけでなくプロ棋士のアクリルスタンドや扇子もこっそりと持ってきて自慢していた。
「それなら、やっぱり角谷くんしかいないね」
「もー、そんなの角谷くんに迷惑だよ」
突然僕の名前があがったので、隣に目をやる。こんなチャンスが来るといいなと待っていた。
僕の名前は
自由になる時間の全てを将棋に費やしたいのに。
でも――僕だって男。竜宮さんとは話してみたかった。彼女はプロ棋士ファンだというのに、僕と同じクラスになっても話しかけようとはしてこなかった。勘違いされるのが嫌なのだろう。
だから、僕は世間話をするような顔をして切り出す。
「〇〇七段なら何度も会ってるし記録もとったことあるよ。学校があるから多いわけじゃないけど」
「え!」
「プロでもない僕にもすごく優しくてさ」
「ごめん……詳しく知りたい」
話しかけたいのにやっぱり我慢していたんだな。僕に……好かれると困るから。
「実はこれ、渡したいと思ってたの」
そっとSNSのQRコードが印刷された小さな紙を渡された。ずっと前から準備していたのだろう。紙はかなりよれている。
「ごめん、いろいろ聞いてもいい?」
周りの女子は温かい目をしている。男子は羨ましそうだ。でも敵意は感じない。
彼女の言う「ごめん」は「あなたに興味はないけどプロ棋士のことは気になるの」という意味だと皆、分かっているからだろう。
「いいよ。でも外に出したらまずいことは言わないよ」
「十分! ありがとう!」
それから、僕たちは少しだけ仲よくなった。高校ではいつも通り。ただスマホでメッセージを送り合うだけの関係だ。
僕だけが下心をもっていた。そうして――三月になった。
『次の対局は一日に二回あるんだけど、二つ勝てば確実にプロ棋士になれるんだ。そうしたら、一緒にお祝いしてほしい。昼メシだけでも一緒に食べたい』
『いいよ! 応援してるね』
――勝利は目前だった。勝てるはずだったんだ。
一局目は完敗だった。こちらの研究負けだ。それでも四段に上がる目は残されていた。競っていたライバルも負けたからだ。二局目、あと一勝でプロ棋士になれるはずだった。そうして最後のあの瞬間――、
僕は勝ち筋を見つけられなかった。
勝ちがあることは感覚として分かったのに、その手が見えなかった。対局を終えて将棋会館を出たあとに、ボロボロに泣いた。
勝ちそうになって手が震えた。プロになれるかもしれない、竜宮さんとも……と。よけいな意識が邪魔をした。あと十秒、いや五秒あれば勝ち筋を見つけられたかもしれないのに……。
僕の覚悟が足りなかった。勝利が近づいて雑念がよぎった。
だから、僕は彼女にメッセージを送った。
『しばらくやり取りはできない』
ただ、それだけを。
彼女からは三日後に返事がきた。
『その日を待ってる』
彼女の存在は対局中、僕の頭に雑念を芽生えさせたのかもしれない。でも、またゼロから頑張ろうとすぐに前を向けたのも彼女のそのメッセージのお陰だったんだ。
――そうして勝ち星を積み上げ、高校三年生の十月一日、僕はプロ棋士になった。
彼女にもお祝いしてもらい仲を深めた。卒業式のあとは皆に僕たちのことをカミングアウトして大騒ぎだった。
「学校一のアイドルをものにしたんだ。タイトルとれよ!」
「目指すは全冠制覇だろ!」
「写真撮ろうぜ! 未来のタイトルホルダー!」
地獄と天国が同居していたあの青春の日々は今でも鮮やかに思い出せる。
「ただいま」
「おかえり! 中継見てたよ。勝利おめでとう!」
卒業式の写真も飾ってあるその玄関で、角谷香になった妻が今日も出迎えてくれる。
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