旅の初めに祝電を-1


 車窓から覗く景色は、緑に湧く丘陵や田園地帯を次々と切り替えていく。どこかの座席で薄く開けられた窓からは爽やかな風が流れ込み、微睡むアルベリスの意識を静かに揺らした。

 学院前を出発した碧光列車グリオスティンは、いくつかの駅に停車しつつ南下してリシナン地方を抜け、ユーエンのあるパウリカ地方へと順調に進んでいた。距離にしておよそ三〇〇kmカルメラス、全体で五時間ほどになる見込みで、その半分ほどが経過したところだった。

 対面に座るアンナリーゼは持参した分厚い本を読みながら、傍らの筆記帳に理解した内容などを書きつけていた。個室に他の客はなく、緩やかな空気が二人の間に漂っていた。

 アルベリスは目を覚ますと、小さく伸びをして目元を揉んだ。「……今どのあたり?」掠れた声で訊ねると、アンナリーゼは手元を見たまま「そろそろ黒針ベルザイクの森ですわ」と答えた。


 時刻はまだ昼前で、降り注ぐ陽光が窓外の平地を鮮やかに切り取っている。遠くには村と思しき色づいた屋根の群れがあり、放牧された家畜が小さな点となって蠢いていた。

「問題は?」

「今のところは」

 省略された「ない」を察して座席に沈む。流節ユールの三ヶ月間、色々なことが起き過ぎたように思う。緊張が続いて、力の抜き方を忘れてしまった。

「食べます?」

「……もらう」

 差し出された小粒の砂糖菓子を受け取り口へと運ぶ。転がすうちに柔らかく溶け、思考もいくらかはっきりしてきた。

 折り畳んだ地図を広げ、現在位置を確認する。黒針ベルザイクの森を抜けた後に補給地点の駅がひとつ。以降は停車せずに荒野の只中にあるユーエンまで直行となる。残りの距離を考えると、順調にいけば昼頃には到着できるだろう。


 ユーエンという街について、知っていることは実のところ多くない。

 元は何もない場所だったが、二十年ほど前に紫昏鉱ヴァイロと呼ばれる魔力を電気に変換する鉱物資源が発見されたことから急速に発展。数多の商人や投資家、労働者が集い、換電鉱炉ヴァイオスゼーロを中心に高塔建築の林立するパウリカ地方最大の都市へと変貌した。

 以上が基礎教養の帝国都史で習う内容であり、その実情を知らせるものはほとんどなかった。ただ、愛煙家で騒がしいキレムが好んで居着く場所であることを考慮すると、人が多く雑多で、地区によっては治安も良くないことはなんとなく想像がつく。安全のために万全を期したい気持ちはあった。


 しばらくそうしているうちに、列車は鬱蒼とした針葉樹林の谷間へと潜り込んだ。車内が一気に薄暗くなり、通路を照らす微かな碧光はどこか頼りない。アンナリーゼが悪戯をする時の笑みで「こんな話があります」と口を開く。

「昔、黒針ベルザイクの森にある姉妹が冒険に出かけました。姉は帰るための目印として、持っていた穀酵クロルを小さくちぎって地面に散らし、奥深くまで進んでいきます。しかし、ある魔物がこの目印を辿って姉妹に追いつき、二人を襲いました。姉は妹を逃しますが、自分は――」

 妙なことを言うなと咎めかけたところで、アンナリーゼが沈黙して人差し指を唇に当てた。「……二人」

 床板の軋む音が微かに聞こえた。俯いたまま、アンナリーゼが旅行鞄の取手を握り、アルベリスは杖に手をかける。……足音が止まる。横目に見た扉の窓から、二対の瞳がアルベリスを見つめていた。

 通路の二人が腕を持ち上げ――杖の先が閃いた。


「【揺らげヴェア】!」


 座席に仕掛けた二本の短剣が、扉を破って通路の二人に襲い掛かる。軌道の逸れた魔術が天井を破壊し、塵と木片が降り注いだ。

「【落日の脚ウォルカ】」

 旅行鞄から飛び出た蒼い炎が列車の窓を砕き風と蹄の音を響かせる。

「行きますわよ」

 窓枠に足を掛け、アンナリーゼが車外に飛んだ。「【夜、昇れニヒト・イェクト】」影の盾で牽制しつつ、アルベリスも後に続く。アンナリーゼに補助されながら、位置を合わせた【落日の脚ウォルカ】の背に跨った。

 疾駆する黒馬の上で髪が靡く。頭上で騒めく枝葉に列車の走る音が混じる。乗客の幾人かが異変を察して窓から覗く。態勢を立て直した襲撃者が、破れた窓越しに微かな声で魔術を放つ。

「【砕けドゥナス・ヴェア】」

「【大地、起きよクライト・カイ】」

 術種に拠らない破壊の魔術と、隆起の地理術キリケライト。「【散らせドゥナス・カラム】!」杖先から到達点を予測し杖で逸らす。前方に生じた土塊の槍を【落日の脚ウォルカ】が回避し、背後で樹木の幹が砕けた。

 車内に残した短剣を再び襲撃者へと向かわせるが、今度はあえなく弾かれる。舌打ちをして手元に戻した。

 交流会の黒装束に比べると明らかに魔術の練度が高い。閉鎖環境での襲撃――おそらくは、アルベリスの暗殺。一般人に紛れていることも踏まえると、所属組織は違うと思える。


「どうです!」

 アンナリーゼに訊ねられ、展開した短剣で応戦しながらアルベリスは答える。

「やり辛い!」

 移動しながらの魔術の撃ち合いは、アルベリスにも経験がない。杖による対象指定を移動分の偏差込みで撃たねばならず、思考のための余白が必然的に削られてしまう。長期戦はしたくない。なるべく早く決着をつけたかった。

「例の呪いは?」

「この状況だと効果範囲に確信がない! 乗客を巻き込んだら面倒になる」

 かといって、狙いを定める必要のある完全詠唱系も難しい。思考を巡らせたが……仕方がない。

 アルベリスは短剣の防御を保ちつつ、変形させた杖で手のひらを傷つけ【血楔ドゥナス・イェクト】の魔術を付与すると、これを飛翔させ襲撃者――ではなく、個室の外壁に突き刺した。


「【炸潮フュルム・カラム】」


 赤熱する血液が、爆ぜた。

 轟音と共に、アルベリスのいた客室の壁が粉微塵に吹き飛んだ。爆風が髪を揺らし、煙が後方に置き去られると、襲撃者は直撃した爆圧に通路へと叩きつけられていた。


「仕方ありませんわ。正当防衛ですもの」

「面倒が増えるから嫌だったの……」

 そうぼやいていたところで、襲撃者が立ち上がる気配を見せた。アルベリスは呼び戻した杖を再び構える。

 その時、通路の陰から、頭巾に外套を羽織った人物が音もなく現れた。頭巾から青灰色の髪が僅かに覗く。

 彼女――輪郭から女性と思われた――は身を起こそうとした襲撃者の前に屈むと、首をそっと撫でて何事もなかったように通り過ぎていく。

 列車が止まる。

 後に残ったのは、切り裂かれた首から血を流す、死体が二つ。


「お知り合いですの?」

「いや……」

 アルベリスは言い淀んだ。

 乗客の騒めきとそれを鎮める乗務員の声が、暗い木々の陰に紛れていった。

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