霆節、旅立ちは夜を彷徨う夢のように


 交流会は最悪の状況で幕を閉じた。


 散策をしていた複数班が襲撃を受け、カーディウス含む多数が負傷。ただ一人、ノーシェ・マレオンだけが死亡した。

 学生は近隣の施設で治療を受けた後、すぐに学院へと戻ることになった。帰路の列車にはアルベリスとテレスタシアの姿もあったが、互いにひと言も言葉を発することはなかった。

 刺客の大多数を殺害したアルベリス、アンナリーゼ、テレスタシアは、それぞれ個別に聴取を受け、潔白の証明と情報の提供を行った。テレスタシアに関しては外部からの干渉があったのか、アルベリスら二人よりも短い時間ですべてを終えていた。

 襲撃事件に関しては央都ハイングラムからの人員派遣があり、正式な調査の結果、黒装束が国内各地に同時に出現した集団と同じ所属にあることが明らかになった。同時に、ノーシェ・マレオンの死に関しても、腹部の傷と黒装束の短剣の形が一致したことで、襲撃の巻き添えになったという形で決着した。

 学院において、ノーシェの死は極めて形式的に共有された。心から悼む者はほとんどなかった。ウィンハイメ・ラーゼノンだけが、その喪失を悲しみ続けた。


 ノーシェについて、アルベリスはアンナリーゼを通し、外部にとある調査を依頼した。彼女が最期にも口にした母親のことが、心に棘となって刺さっていた。

 結果は数日後に書面で届いた。先に内容を見たアンナリーゼは、首を振ってアルベリスに手渡した。

「母親は彼女が入学する二ヶ月前に亡くなっています。学院も案外ザルですわね」

 書かれていたのは、次のようなことだった。


〝ノーシェ・マレオンの母親、イリシャ・マレオンは、炉節リーツ二月に悪性魔力閉塞症が悪化し急死。身寄りもなく、不憫に思った村人が生活を一部世話していたが、ある時ノーシェから「アルバレスク魔術学院への入学が決まった」と突然報告を受ける。驚いて事情を訊ねると「君には才能があるから支援をする」という人物が現れたといい、ノーシェの懇願もあって送り出すことにした。……〟


「……彼女の真の願いは〝母親の蘇生〟。その弱みにつけ込まれ、〈魔王〉であるところの私をあの状況に引きずり込むことを対価として命令された。そうすれば願いが叶う、と……」

 アルベリスは拳を握りしめる。なら、それなら――これまで築いた関わりとは、彼女の発した言葉とは、いったい何だったというのだろう。呪術学科での日々も、交流会への誘いも、すべては欺瞞に過ぎなかったのか?

「演じることの中にも本心は宿ります。形はどうあれ……彼女が心から楽しんでいたのは確かです」

 アンナリーゼの手が、震えるアルベリスの背をさすった。頬の傷はすぐ癒えたが、血濡れた手が触れるあの感触は、忘れることができなかった。


 ノーシェが殺されたのは、用済みになり口封じの必要が生じたからだ。彼らの狙いはアルベリスに負荷を与えることだけではない。将来的に邪魔になり得るアルベリスを排除することも、大きな目的だったはずだ。

 アンナリーゼはそのことを知らない。テレスタシアが聖女候補であることも、アルベリスと夢を共有していたことも、彼女が真実、アルベリスの敵になり得ることも。

 アルベリスは初めて、幼馴染に秘密をつくった。これはもはや個人の問題ではなく、巻き込む相手は慎重に選ばなければならなかった。

 ならば、誰が適任なのか? 

 親友アンナリーゼでも恩師ラーゼノンでも好敵手カーディウスでもない。もっと躊躇なく、仮に何かが起きたとしても、アルベリスが自分のことに注力できる――そんな相手。

 驚くべきことに、アルベリスには心当たりが七人もいた。

 選択肢は、他になかった。




 霆節ヴェイルの帰省期間へと入る前に、テレスタシア・ノキアは学院を去った。

 理由も別れも誰にも告げず、自らの意志での退学だった。ほどんどの学生が惜しんだが、誰も彼女を止めることはできなかった。

 ほとんど同時に、アルベリスも休学届を提出していた。叔母のイオナにこのことを伝えると、彼女は至って平然として、「いいのよ、お好きになさいな。なんたって、あなたの姉には中退したのも行方不明になったのも、そもそも行ってないのもいるんだから」とアルベリスとしてはやや苦い激励を送った。


 一方で、師であるところのラーゼノンは、報告にきた教え子を涙ながらに引き留めた。

「君がそこまでする必要はないじゃないか! 君も、誰も、悪くはないんだから!」

 アルベリスやノーシェといった爪弾きものに、誰よりも心を傾けたのが彼女だった。ノーシェの痛みも癒えない中で、学科室を空けるのは忍びないが、もう決めたことだった。

 滲む涙を拭う教授にアルベリスは苦笑して、

「もちろんそうですが、元凶扱いは避けられないでしょうね。向こうテレスタシアは退学ですから。休学でも、釣り合わないと苦情がきますよ」

「そんなやつがいるなら三日間便所に籠る呪いをかけてあげるよ! 弟子を守れず何が師匠だ!」

 ラーゼノンは憤然と地団駄を踏み、しばらくすると深呼吸をして「ごめんね……色々、色々と悔しくて……」

 アルベリスは首を振った。「大丈夫です」不思議と心は落ち着いていた。

「それに、少なくとも私の籍さえあれば、呪術学科が消えることもないと思います。……他には誰も入らなくなるでしょうが」

 ラーゼノンは笑った。「ああ、そうだね」目は腫れていたが、表情はいくらかほぐれていた。

「私が、この場所を守らないと」

 そして外套のまま腕を広げ、アルベリスに抱擁する。

「いつでも帰っておいで」

 突然のことに戸惑いつつ、アルベルリスもまた腕を回した。はい、と応じてから外套を摘んで、

「もう霆節ヴェイルですよ。暑くないんですか?」

 ラーゼノンはふん、と鼻を鳴らした。

「冷房が動き出すと、一人じゃ結構冷えるんだよ」




 行き先は事前に決めていた。当初は長姉ヴァロナに面会するつもりだったが、念の為と法令院に勤める六女キレムに確認をとったところ、『え、ロナ姉? あー無理無理。申請が通るまでひと月以上かかっちゃうよ。王宮地下牢獄とか、犯罪者の最上位だし』とどうにもならない答えが返ってきた。どうしたものか通信機越しに思案していると、彼女はふと思いついたように『迷ってるならユーエンうちに来なよ。学院から比較的近いし、来る機会なんて滅多にないでしょ。私に訊きたいこともあるだろうし』

 一晩悩み、アルベリスは結局キレムの提案を受けることにした。彼女の胡散臭さは筋金入りだが、それでも姉妹全体の中ではかなり話をしやすい部類に入る。情報も集まりやすい立場にあり、状況の整理をするなら悪くはない話だった。


 学院で過ごす最後の日には、寮へと帰る途中にカーディウスの姿を発見した。柱にもたれ、腕を組んで誰かを待っているようだった。

 気にせず通り過ぎようとすると、「ユーティライエ」と呼び止められた。流石に同じ姓は他にはいない。

「何?」

 振り返ると、カーディウスは同じ姿勢のままアルベリスを見つめていた。交流会で負傷していたはずだが、もう癒えたらしい。普段と変わらない調子で口を開く。

「休学と聞いた」

「そうね」

「戻るのか?」

「さあ」

 カーディウスは「そうか」と言って、柱から背中を離す。そして決意表明をするようにやや声を大にして、

「俺は卒業して軍に入る。つまらんことで死ぬんじゃねえぞ」

「そっちこそ」

 それだけだ、とカーディウスが背を向ける。アルベリスはふと思い立って言ってやる。

のこと、残念だったね」

「うるせえ!」

 その声は寮の敷地までよく響いた。アンナリーゼが喜んだことは、言うまでもない。


 出立の日は快晴だった。強まる日差しを感じつつも、澄んだ風が学院の敷地を吹き抜けていく。部屋の荷物から必要なものを旅行鞄に詰め込み、残りはノヴィアの屋敷に送っていた。戻ってくるかもわからない寮の空の私室しばし眺め、無言のまま扉を閉めた。

 スティン・フェドルに出くわしたのは、正門まで来た時だった。彼はいつも通り印象に残らない笑顔を向ける。

「おや、こんな早くにお出かけですか」それから旅行鞄に目をやって「それも、随分と遠くまで」

 アルベリスは質問には答えずに、ずっと気になっていたことを率直に訊ねた。

「ノーシェ・マレオンのこと、あなたは知っていたのではないですか」

「――ああ、あの一緒にいた」スティンは束の間思案する様子を見せてから首を振って「いいえ。あの時が初対面でしたね。それが何か?」

「いえ、なんでも。失礼しました」

 アルベリスは即座にそう言って正門を離れた。「お気をつけて!」と言うスティンの声は、背中に辿り着くことなく消えていった。

 堕龍ガーフェンの襲撃を受けた街は、すっかり元の賑わいを取り戻しつつあった。アルベリスは列車内での昼食用にと穀酵クロルを買い、遅れることのないよう余裕を持って石畳の道を駅へと向かった。

 広場に着きそのまま駅舎に入ろうとした時、見慣れた輪郭が旅行鞄を二つ持って立っているのを発見した。まったく想定外のことで硬直していると、相手の方も気がついてにこやかに歩み寄ってきた。


「遅かったですわね。すっかり待ちくたびれてしまいました」

「いや……なんでいるの?」

 疑問をぶつけるとアンナリーゼは素知らぬ顔で、「帰省しても退屈ですし、旅行にでも行こうかと」

「碌な目に遭わないよ」

「商機とは危険の中にこそ眠っているもの。宝探しのようなものですわ」

 目を見つめたが、すべて本気であることだけがはっきりしていた。

 アルベリスは観念して息を吐いた。

「じゃあ、行くよ」

「ええ」

 二人の背中が遠ざかり、やがて行き交う人の波に消える。

 碧光列車グリオスティンの光が乗降場に滑り込む。遠い旅路を言祝ぐように、警笛の音が響き渡った。

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