運命の揺籃-1


 西に向かうにつれ、車窓から見える景色は淡く澄んだ緑を増した。山嶺を遠望し、川を直下に橋を渡り、木々の間を抜けていく。

 列車の旅は順調に進み、二時間ほどで目的地であるトゥヴェルの駅に到着した。駅の規模はアルバレスクに遠く及ばないが、停車中の貨物車両がよく目立った。地名の由来は〝豊かなトゥーヴ〟+〝ヴェイル〟で、雷がもたらす質のいい魔力が、果樹の栽培に適しているのだと案内板には記されていた。

瑤檎アニエ王萄ロクレイの流通が多いですわね。果実の栽培は東の印象ですが、西だとトゥヴェルの品は高値がつきやすかったかと」

「食べてみたい気持ちは山々なのですが、機会は巡ってくるでしょうか……」

「対価さえあればいくらでも」

 アンナリーゼとテレスタシアの戯れを横目に、駅前で待機している騎車ヘルザムに乗る。今度は向かい合った席の配置で、隣は同じままアルベリスの対面はテレスタシアとなった。二人に会話はなかった。森林部の館まではそう遠くなく、その間アンナリーゼはノーシェをからかって遊んでいた。


 広葉樹の広がる敷地は柵で囲まれ、道はしっかりと舗装されていた。騎車ヘルザムを降りて見上げた館は、年月を感じさせつつも手入れが行き届いている。全員が揃ったところで、部屋に荷物を置いてくること、しばしの休憩の後、昼食になることが告げられた。

 部屋の割り振りは、同性のみの場合は班ごとに、そうでなければ性別単位で再編されることになっていた。幸い、アルベリスたちは面倒に構うことなく四人で一部屋へと収まった。窓際は自然と、テレスタシアとノーシェが使うことになった。

 昼食には穀酵クロルに腸詰と野菜の汁物、瑤檎アニエが出され、テレスタシアは瑞々しい果実を口へと運んでは表情を綻ばせた。


 午後には早速とばかりに応用魔術に関する講義があり、〝詠唱文の記述を用いた魔術開発の基礎〟ということで、発声ではなく文字によって魔術を行使する方法を扱った。この方法では詠唱の短縮ができず規模も調整がしにくい一方、持続的な効果の発現が可能であるという。アルベリスたちは風水術ユールフロゥに類似した性質を持つ貴石を中心に置くと、〝浮遊〟の効果を円形に記し、その中に紙を浮かべる実験をした。

 その後には、外に出て〝浮遊〟に〝押し出し〟の構造を組み合わせ、どの班が最も高く木片を飛ばせるかを競い合った。ほとんどの学生が初心者故に苦戦する中で、とりわけ強かったのが錬金術学科のアンナリーゼだった。普段から貴石や生体の構造に触れ続けているだけあって、最速で最も効率の良い配列を発見し、館の屋根を超える位置まで木片を届けた。

 アルベリスは単純な出力ではアンナリーゼに優ったが、構造の精緻さではとても敵わなかった。テレスタシアとノーシェは下から数えた方が早く、カーディウスはアルベリスの一つ下の順位に収まったことをしきりに悔しがっていた。


 日が暮れ夜の帳が降りてからは、星塵術における重要天体について、実際に観測しながらの講義となった。銀乙女サリア=マヌクス龍鱗イェリウス晶葵オクティア……それぞれに逸話と意味と関係があり、それらの光の波長と魔力の相関、動きや人間の精神との関連によって構造化されたものが予測や予知と呼ばれ得ること。誕生日と星を結びつける慣習も、元を辿ればそうした要素にあるのだという。

「あのっ、小さいの……わ、私の、〈矮燭メトルキス〉、かも」

「ということは、坤節クライトの生まれなんですね」

 ノーシェは頷く。「た、誕生日には、お母さんが……暁漿果クロゼールを灯火に見立てた、お、お菓子を作って、くれるんです」いつも楽しみで、とノーシェははにかみ、発言の主が誰か気づくと慌てて表情を取り繕った。

 テレスタシアは目を伏せて「私は――自分の生まれた日が、わからなくて」と静かに零した。「皆さんが少し、羨ましいです」

「というと?」

 アルベリスは聞く気などなかったが、アンナリーゼが先を訊ねた。テレスタシアは言った。

「実の両親も、自分がどこから来たのかもわからないんです。教会の孤児院で育って、とても良くしていただいたのですが――生まればかりは、どうしようもなく」

 それは学院のそこかしこで囁かれるテレスタシアの噂の中でも、初めて耳にする部類のものだった。アルベリスは口を噤んで星を見つめた。炉節リーツの最も寒い雪の日に生まれたアルベリスの星は、彼方に青い〈冰繭エルヴァリス〉。遥か遠くにありながらも冴え冴えと輝くその星は、滅びの意味を宿すという。

「……別に、意味に縛られる必要はない」

 半ば言い聞かせるようにアルベリスは言った。テレスタシアは僅かに目を見開いてから、

「はい。これはきっと、抗うための余地なのだと……そう、思います」

 両の手を重ねて、祈るように口にした。

「ちなみに、わたくしは〈互瓊ディアグロ〉ですわね。意味は〝均衡〟だそうで」

 アンナリーゼはそう言うと、誇らしげな顔をして胸を張った。

「ぴっ、ぴったりだと思い、ます……」

「ええ、本当に」

 ノーシェとテレスタシアが追従し、アルベリスは呆れ顔で聞き流した。彼女の自信の持ち方は昔から謎なところがある。すべてに付き合っているときりがない。

 初日の講義を終えた後は、夕食や入浴を済ませて自由時間、就寝となっていた。消灯より早くに気を失ったノーシェにはテレスタシアが毛布をかけた。アンナリーゼが読書、アルベリスが杖の手入れをする間、テレスタシアは窓に向けて揃えた膝に両手を置き、目蓋を閉じてじっとしていた。

「おやすみなさい」

 消灯と共に投げかけられた言葉は、疲労に沈む意識の縁を、滑らかに削り散っていった。


 その夜、アルベリスはひときわ鮮明な夢を見た。


 果てのない荒野の最中に、一人の女が佇んでいる。背を向けて遠くを見据え、その周囲には光の塵が浮遊している。アルベリスは足を踏み出し、永遠とも思える距離を少しずつ少しずつ縮めていく。砂塵の嵐、氷雪の霧、迸る熱の奔流が大地を浚い、しかし一人の女だけが、変わることなく存在している。

 彫像か絵画のように思えた女が、不意に身じろぎをして光を散らす。正なるものの語り手として、彼女は――テレスタシアは、憂いを帯びた微笑みに言葉にならない声を零した。

「……ああ、あなたも――」

 次の瞬間、一面は血と亡骸の海へと変わり果て、アルベリスは底なしの泥濘に沈んでいく。呼吸が詰まる。生命の熱は簒奪される。運命は凍てつく夜に硬直し、その揺籃からは血濡れた赤子の泣き声が、いつまでもいつまでも、響き続けた。


 目を覚ました。

 澄んだ静寂に包まれながら、重苦しい頭を持ち上げる。窓からは昇る陽の光が淡く差し込み、寝息を立てるノーシェとアンナリーゼの顔を照らしている。

 床に膝をつき、こうべを垂れる女がいる。

 敬虔な聖徒のように、痛みに耐える罪人のように、朝日の陰で死人のように俯く女がいた。

 アルベリスはそっと目を逸らし、反対を向いて再び身を横たえる。光の塵が舞った気がした。夢に彷徨う心地のまま、アルベリスは身体を抱えるようにして残る時間をやり過ごした。


 アンナリーゼは定刻ちょうどに起床し、ノーシェは寝ぼけたまま着替えて朝食に向かった。その頃にはテレスタシアも普段と変わらない様子を見せ、アルベリスも素知らぬ顔で振る舞ってみせた。

 交流会二日目は、午前から結界術を含む環境魔術の講義と、魔術を用いた薬理及び医療の講義があり、前者は帝国術理教会の〈ていえんきょう〉、後者は〈せつぎんきょう〉の功績と絡めた内容となっていた。専門的な部分に踏み込む場面もありノーシェは目を白黒させていたが、都度他の面々が注釈を入れることでどうにか最後まで乗り切った。

「〈ていえんきょう〉が僻地の領域に引きこもっている、と言うのは聞いたことがありますわね。会合にも滅多に出ないとか」

「で、でも、主要都市のけっ、結界を、ずっと担っている……んですよね。すごい……」

「〈せつぎんきょう〉は銃の印象が強かったですが……普遍的医療技術の普及にも力を入れていらっしゃったとは」

「確か、〈金盾クリフェト医療団〉、という独自の武装医療組織をお持ちでしたわね。自らも国中を走り回っているそうで」

 アルベリスは傍らのやりとりを聞きながら、夢の内容について考えていた。場所だけでなく状況もすべてが変わっていた。ただ殺されるのではなく、向こうから直接語りかけてくる構図がいったい何を意味するのか? あの風景は何なのか、虚無より響く赤子の声は、いったい誰のものなのか。

 テレスタシアが同じ空間にいたからかもしれない。普段と異なる状況に自分の精神が何らかの影響を受けている可能性は大いにあった。抽象的な光景は何もかもが暗示のようだ。しかしそこに意味を定めているのは、きっと自分なのだろうともアルベリスは思う。

 昼食後の休憩時には、ノーシェがふらりと姿を消した。午後の開始前に探しにいくと、館の裏手でじっと虚空を見つめていた。「何してるの」声をかけると飛び上がって振り向いた。

「あっ、あるっ、アルベリス様っ、びっくり、しました……」

 胸に手を当てて息を吐き「疲れた、ので。風に当たって、いました」と言った。目は相変わらず髪に隠れてよく見えない。

「……そろそろ次だから」

「あっ、はい」

 並んで館に戻る途中、ノーシェが不意にアルベリスの手を掴み取った。ぎょっとして見ると、ノーシェは何かを待つように身体を固くしていた。それが一種の緊張――とりわけ恐れを内包したものであると、アルベリスは直感的に理解した。

 少し待って、それから空いた方の手で指を一つずつほどいていった。手が自由になる頃にはノーシェの固さも幾分ましになり、アルベリスは何も言わずに先を歩いた。

 午後は講義から離れて身体を動かす趣旨の元、班ごとに広大な敷地内を散策することになった。生物の観察や植物の採取をして記録するように、とのことで、念の為に魔術触媒の携帯が許可されていた。

「本当にそれ持っていくの?」

 旅行鞄を下げたアンナリーゼに訊ねると「当然。触媒は全部この中ですもの」と彼女は言った。

 ノーシェはいつの間にか作ったという木製の杖、テレスタシアは左右一対の腕輪を使うという。アルベリスはいつも通り腰に六本、懐に一本の計七本を持っていくことにした。

「過剰なのでは?」

「あなたに言われたくない」

 館前に集まるとカーディウスが籠手を調節しているのが目に留まった。彼も気づくと寄ってきて「競うか?」などと訳のわからないことを言うので、「競わない」ときっぱり切り捨てた。

「まぁ、勝手に競うけどな。昨日は負けたが、今日は勝つ」

 ノキアもな、と言われた方は元気よく「はい、ぜひ」と応じ、

「意外と根に持ちますのね」

 アンナリーゼの声は聞かなかったことにしたようだった。



 北の方に行きたい、と珍しくノーシェが主張するので、断る理由もなかったアルベリスたちは屋敷の裏手側に歩を進めた。陽は高く、霆節ヴェイルを前にしても涼やかな風が広葉樹の葉陰を揺らしている。木々の合間からは啄むような鳥の声がまばらに行き交い、あれは何か、というテレスタシアの疑問にアンナリーゼが答えている。

鈴飼鳥フュネウですわね。振動で音を鳴らす器官を体内に持つので、そのように」

「この白い斑点の木は……?」

「そのまま、皙班イオセカですわ。この辺りでは最も多い種かと」

 先頭を黙々と歩きながら、アルベリスは時折、最後尾にいるノーシェの様子に目を配った。いつもなら駆けて隣に来ることを考えると妙だった。自分から行き先を希望した割に口数も少なく、テレスタシアのように周囲に興味を示す素振りもない。

「ノーシェ」呼びかけると肩を震わせて顔を上げた。残る二人も足を止める。「何かあった?」

 返ってきたのは勢いのついた否定だった。首が取れそうだと思う。「だっ、だ大丈夫です。すみません」

 アルベリスはそれ以上を追及せずに「そう」とだけ言って再び前を向いた。アンナリーゼが隣に並び、テレスタシアがノーシェの側に寄る。

「楽しめそうな気配はありまして?」

「今のところ、あんまり」

「きのこ狩りでもいたしましょうか。きっと色々ありますわよ」

「変なもの採らせる気じゃないでしょうね……」


 雑談しつつしばらく行くと、静寂が徐々に周囲を覆い、それまで聞こえていた鳥の声が急に途絶えた。微かに霧も出始めている。「……ねぇ、これ」

 アンナリーゼは頷いた。「何ともきな臭い霧ですわね」

「急いで戻る。はぐれないで――」

 ノーシェとテレスタシアに向けつつ背後を見て、凍りつく。


 ――いない。


「ああもう……!」

 舌打ちをして杖を構える。霧は急激に濃度を増して二人を囲む。自然現象ではない。魔術の霧だ。

「狙いはあなた?」

 背中合わせのアンナリーゼが言う。

「たぶんどっちも。テレスタシアも分断された。ノーシェは……」

 高速で思考を回すアルベリスを、アンナリーゼの肘がつつく。

「お客様がいらしましてよ」


 濃霧の中に影が滲む。木立の間を縫って夢から現実へと浮上するように、黒装束に無貌の面が次々と現れる。アンナリーゼが息を吸う。

「【七侯アラスタリク解封ドゥナス・カラム】――」

 黒装束が刃を構える。一人目が動き出す。

「【獣の心臓ラシェリ】」

 虚ろな音と共に、旅行鞄の封が開く。黒い疾風が敵を引き裂き、木の幹へと臓腑ごと叩きつける。

 アンナリーゼの傍らに、漆黒の獣が並び立つ。赤い瞳に牙を剥き出し、二本の脚で大地を踏み締める様は、伝承に語られる暗月の変身そのものだった。

「いけます?」

 アンナリーゼが獰猛に笑う。

「誰に言ってるの」

 アルベリスが息を吐く。黒装束を睨みつけ、

「殺すわ。全員」

 ――【抜剣フュルム】。

 揺らめく刃が、刺客の喉を貫いた。

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