導きのままに-2


 ノーシェはアルベリスを激しく慕った。事情を知らない者が見れば、魔女がいたいけな新入生を侍らせているように見えただろうし、事実数日後にはそうした噂がまことしやかに囁かれるようになっていた。

「あ、アルベリス、様っ!」

「何か……お持ち、しますっ……!」

「今日はっ、学科室にいらっしゃいます……か?」

 端々に得体の知れない尊敬と緊張を滲ませるノーシェを、アルベリスは無下に跳ね除けることができなかった。世話になっているラーゼノンの喜ぶ顔を見た後だと、なおのこと。


「どうしてこんなことに……」

 いつもの小噴水広場で頭を抱えるアルベリスに、アンナリーゼは干した果実入りの穀酵クロルを渡す。街の復興支援にと、テレスタシアと行った店でまとめて買ってきたのだという。

「何ともあなたらしい悩みですわね。健気な愛に見えますけれど」

 言いつつ、千切った穀酵クロルを口に放る。「ん、悪くありませんわね」

「単純に、理解ができなくて困惑してる。何が彼女をそこまでさせるのか……」

「あなたに理解可能かはともかく」次の一口を持ち上げながらアンナリーゼは言う。「彼女の中では、何らかの〝交換〟が成立しているのでしょうね」

 アルベリスは考える。こんな時、自分には何が欠けているのか?

 幼い頃からずっと、周囲にいたのは年長者ばかりで、学院に入ってからは下級生にも避けられていた。突然湧いた謎の存在に、アルベリスはどう接すればいいのかわからない。自分が包容力や指導力と言ったものを備えているとは思えなかったし、かといって普通に接するのでは周囲の悪印象を強めるだけ。

 他者との関係に正解がある、という強迫は単なる未熟の言い訳で、それこそが誤りであるかもしれない。

 あるいは、それがどのような〝交換〟であるのかわかるのならば、多少は戸惑いも晴れるだろうか。

 そんなことを思った時、不意に遠くから名前を呼ぶ声が聞こえた。微かではあるが、それは確かにアルベリスを呼んでいた。

 あ、アルベリスッ、様――。


「噂をすれば、ですわね。その穀酵クロルは持っていってくださいな」

 溜め息を吐くアルベリスに、アンナリーゼが包装用の紙を渡す。「人から何かを引き出したい時、食事は有効な手段になります。あなたもやってみては?」

「……考えておく。これ、ありがとう」

 包んだ穀酵クロルを掲げ、アルベリスは声の元へと足を向けた。小走りにノーシェの姿を探す。

 学院の構造は複雑で死角も多い。声の様子から状況を推測して建物の陰を覗いていくと、人目につかない片隅で三人の学生が背を向けていた。奥にはノーシェの小さな頭。


「だから、あの魔女が来るわけないでしょう? 所詮はカーディウス様やテレスタシアさんにお目溢しを貰っているだけですもの」

「そうそう、あの事件だって、魔女を狙ったとばっちりでしょ?」

「あんな魔術、見せかけに決まってるよねえ」

「ちっ、違い、ます! あの方は、ほん、本物、なんですっ! 本当に……あっ」


 目が合った。

「【抜剣、揺らげ《フュルム・ヴェア》】――ラピス

 ノーシェを囲む三人が振り返るより早く、アルベリスは人数分の杖を飛翔させた。「なっ、ん……」顔が合った時には、短剣となったすべての杖が眉間に触れる距離で静止している。アルベリスの意志さえあれば、即座に頭蓋を砕ける位置で。

 無言で促すと、いつかにアルベリスを攻撃した三人は色を失って逃げ出した。傍らを通る時も脇目を振らず、袋小路から飛び出す小さな獣のように。

 杖を引き寄せ杖嚢に挿す。ノーシェは地面に座り込んで、呆然とアルベリスを見上げている。

 その仕草はどこか幼く、途方に暮れた子供そのものだった。アルベリスはそこに少しだけ、幼少期の自分を重ねた。我が道を行く姉たちを見て、どう接するべきかわからずにいた自身の姿を。

 静かに近寄り、小脇に抱えた穀酵クロルの包みを持ち上げる、

「……昼、食べた?」

 前髪の奥で焦点の合ったノーシェが、首をゆっくりと左右に振った。



 ノーシェの一口は、その身体に合わせてか小動物のように小さかった。半分に割ったはずの穀酵クロルも、微々たる量でしか減っていかない。

 小噴水広場に戻ってくると、アンナリーゼの姿はなくなっていた。長椅子には半人ぶんの距離を空けて腰を下ろした。魔女と悪女の憩いの場ということで、近頃は他の利用者も見かけない。少なくとも、先ほどのような事態は起こらないだろう。

 しばらくの間、ノーシェは無言で口を動かしていた。いつものようにアルベリスを見上げるでもなく、俯いて時折小さく鼻をすすった。アルベリスも黙って穀酵クロルを齧った。次の講義があるなら置いていったが、幸か不幸か教授の都合で休講だった。ノーシェがどうかは知らない。仮にあったとしても、この状態ではまともに受けるのは難しいと思えた。

 霆節ヴェイルが近づくにつれ、陽は高く長く昇る。影は徐々に色濃く変わり、学院から望む景観も移ろっていく。

 二年後、ユーティライエの当主を継げば、穏やかな日々が手に入ることは二度とない。それは避けようのない運命で、呑み込むべきと決断した未来だった。だからせめて、学院にいる間だけはアンナリーゼや敬愛するラーゼノンと、最低限の〝何てことない〟日々を享受できればと思っていた。

 たとえ、魔女と呼ばれ続けたとしても。


「……あなたは」呼びかけると、ノーシェは微かに肩を震わせた。アルベリスは構わず続ける。「私に、何を求めているの」

 空の声がノーシェの細い喉から漏れる。「わっ、わたし、は――」口を開いては閉じ、選択の葛藤が繰り返される。沈黙を越えて、彼女は口にする。

「アルベリス様のように、なれたら……じ、自分の、ことも。家族のことも、守れるんじゃないか、って……」

 お母さん、とノーシェは呟く。お母さんが、病気、で……。

「まっ、魔力が勝手に、身体の中を、きずっ、つけて。だから――」

 声に混じる感情を、アルベリスはようやく理解した。かつて自分の中にもあったもの。それから、諦めて捨てていったもの。

「あなたほどの魔術師、なら……いつか、治せるんじゃないか、って……」

 羨望と、期待。

 それがノーシェにとっての〝交換〟なのだ。


「だからしきりに、できることはないか、と……」

 アルベリスは、何も求めてなどいないと言うのに。

 それは契約でも何でもなく、一方的に押し付けられた願いに過ぎない。アルベリスが応えてやる道理はなく、アルベリスが何かを貰う必要もない。

 稚拙だと思う。どれほどの切実があったとしても、それらは契約によってのみ成立し得る。

 アルベリスは神ではないし、ノーシェもまた、ただの小さな後輩でしかない。


「して欲しいことは何もないし、求められても応えられない」

 小噴水の飛沫を眺める。あれはいったい、いつまで流れ続けるのだろう。

 明らかなのは、永遠がどこにもないことだ。人は永遠に思えるものの隣を、過ぎ去っていく流浪者でしかない。

「でも、呪術学科の後輩ではあるから……多少の面倒は、見てもいい」

 時々穀酵クロルをわけるのも、まぁいい。ラーゼノンには恩がある。その返済だと思えば、納得はいく。

 ノーシェの顔は見ない。突き放したとはいえ、ラーゼノンへの義理立てはした。後は知ったことではなく、ノーシェがただ、選ぶだけだ。

 数羽の謡羽鳥テウェルが空を飛ぶ。甲高い独特の声は、学院の宙を舞い、余韻を残して消えていった。

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