導きのままに-1
学院からは当面街の機能が制限されることと同時に、復興作業の手伝いが募集された。カーディウスとテレスタシアは揃って参加を表明し、これに続いた学生たちは講義の合間に街に向かった。
アルベリスは学院の塔から、小さな点の蠢く街を見下ろしていた。カーディウスから声はかかったものの、アルベリスもアンナリーゼも参加の意志は見せなかった。どちらも共に、この種の協調は得意ではない。
「お待たせ! ごめんね、遅くなっちゃって。会議が長引いてさあ」
階段を駆け上がってきたラーゼノンが、息を整えながら外套の裾を揺らした。事件の対応に追われてか、近頃は学科室にいないことが多かったが、今日は余裕があると聞いていた。
「いえ、お気になさらず」
アルベリスはそう答え、ラーゼノンの後に続いて学科室へと入っていく。新たに開発した魔術について、相談をすることになっていた。
「お茶でも飲みながらじっくりやろうか。今日はどうせ暇だしさ」
自分がやる、と言うまもなく、さっさと湯を沸かし始める。それなら、と椅子に腰掛け、持ち込んだ筆記帳を開いて待った。
先日の混乱が嘘のように、学院には穏やかな気配が漂っていた。
湯沸かし瓶から蒸気が昇る。ラーゼノンは火を止めてから、茶葉を入れた急須に湯を注ぐ。
「
茶器を手渡しながら、ラーゼノンはどこか悪戯っぽく笑って言った。
「やっぱり、わかりますか」
「そりゃあね。学生たちは騙せても、指導教官たる私の目は誤魔化せないよ。あれは、すごい魔術だ」
茶を注ぎ、吹き冷まして一口飲む。「まぁ、他の教授たちは半信半疑、ってところだけど。あの精度、あの規模は、学生じゃ普通あり得ないからね」
よく土壇場で成功させたものだよ、とラーゼノンは言う。「今日の相談も、その辺の魔術についてだよね」
アルベリスは頷き、筆記帳を前に押し出した。「もっと小規模に早く使えないかと、そう思って」
ラーゼノンは記された構成要素を覗き込む。
「
「はい。
なるほど、とラーゼノンは得心がいったようように呟き、
「血の魔術を打ち込むことで、それを触媒に影響力を高めてるのか。どうりで呪術っぽいわけだ。これなら大型の魔物も一撃で殺し切れる。となると……」
ラーゼノンは鉱筆を取り出し、いくつかの構成要素に下線を引いた。「調整できるのはこの辺かな」
印がついたのは、統命詞、術種、性質、工程、指定の四箇所。「対人想定なら省略二節でいける。統命詞は直接触れれば解決で、術種は既に固有のものだし、性質は多少強度が落ちるけど人体なら問題なし。工程は終点が
アルベリスはしばし思案してから、新たな構成を筆記帳に書き出していく。
「つまり、
「理論上はね。でも、そんなに杖持ってる?」
アルベリスは席を立って、腰に巻いた皮帯を見せる。専用の
「驚いた」ラーゼノンは愉快そうに笑った。「それなら問題なさそうだね」
次の話に移ろうとした時、弱々しく扉を叩く音がした。顔を見合わせる。訪問者の予定は特にないはず。
「どうぞ!」
「失礼します……」
入ってきたのは一人の小柄な少女だった。制服に身を包み、どこか怯えた様子でおずおずと顔を上げる。黒髪は三つ編みに垂らされ、長い前髪で視線が遮られている。「あ、あの……呪術学科って……」
「ここであってるよ。新入生かな。どうかしたの?」
ラーゼノンが柔らかな声音で問いかける。少女は気力を振り絞るように拳を固め、
「こっ」
「……こ?」
「こっ、ここに入れてくださいっ!」
その申し出を、アルベリスは初めて耳にした。
ノーシェ・マレオン。ザレトウェン地方生まれ。学院の新入生。
なかなか学科を決められずにいたところ、先の事件でアルベリスの姿を見て呪術学科を希望。友人もいないので誰に止められることもなく、学科選択の届けを出しにきた。
「私は嬉しいよお……! いいのかなあ、二人も生徒がいるなんて!」
ラーゼノンはそう言いながら嬉々として書類に署名した。アルベリスは少し離れた位置からそれを眺めた。後輩――あり得ないと思っていただけに、妙に落ち着かない。
「それじゃあ、事件の日は街にいたんだよね。怪我とかは平気?」
「……あっ、はい。その……アッ、アルベリス、様が、助けてくださった、ので」
持ち上げていた茶器が止まる。「……様?」
ラーゼノンは上機嫌に笑って、
「いやあ、すごい後輩ができたねえ。あー、なんだかとってもわくわくするよ。これぞ
魔術の相談を受ける時の知性はどこへやら、浮き足だって窓から飛んでいきそうだった。呪術といえば陰気な印象を受けがちだが、ラーゼノンは常に明るさを手放さずにいる。
「私はこの紙を正式に処理してもらって来るから、二人は少しゆっくりしてて。何なら学科室を案内してあげてもいいかもね」
じゃよろしく、とラーゼノンは静止する間もなく学科室を飛び出した。残されたアルベリスはノーシェに視線を向けた。前髪に隠れて目元は見えない。「仕方ないか……」息を吐きつつ、席を立って近寄った。
「部屋の説明をするから、聞いてて」
ノーシェは激しく頷いた。一挙手一投足を見逃すまいと凝視されながら、指摘するのも変な気がして、アルベリスは「まず……」と口を開いた。
ラーゼノンが戻った時、二人は部屋に散らばった術具について話しているところだった。
「割ると面倒なものも多いから気をつけて」
「ど、どうなっちゃうん、ですか……?」
「ものによっては呪詛で皮膚が爛れたり、魔力を吸われて気絶したり」
「ひっ」
淡々としたアルベリスと顔色をころころ変えるノーシェの様子に自然と頬が緩くなる。「ただいま」の声に二人は同時に顔を向けた。
「今日は歓迎会をしよっか! 魔術の相談にはまた乗るからさ」
「はぁ、まぁ……私は、構いませんが」
「新しく場所も作らないとねえ。ちょっと掃除が必要かもだ」
「……ちょっと?」
疑念の声を聞かなかったことにして、ラーゼノンは自身の机から掘り出した菓子類を、空いた卓の上に並べた。茶は既に入っている。
「では、二人目の加入を祝して! 乾杯!」
掲げられた茶器に、控えめな二つがそっと続いた。
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