導きのままに-1


 堕龍ガーフェンの襲撃から、一週間が経った。


 学院からは当面街の機能が制限されることと同時に、復興作業の手伝いが募集された。カーディウスとテレスタシアは揃って参加を表明し、これに続いた学生たちは講義の合間に街に向かった。

 アルベリスは学院の塔から、小さな点の蠢く街を見下ろしていた。カーディウスから声はかかったものの、アルベリスもアンナリーゼも参加の意志は見せなかった。どちらも共に、この種の協調は得意ではない。


「お待たせ! ごめんね、遅くなっちゃって。会議が長引いてさあ」

 階段を駆け上がってきたラーゼノンが、息を整えながら外套の裾を揺らした。事件の対応に追われてか、近頃は学科室にいないことが多かったが、今日は余裕があると聞いていた。

「いえ、お気になさらず」

 アルベリスはそう答え、ラーゼノンの後に続いて学科室へと入っていく。新たに開発した魔術について、相談をすることになっていた。

「お茶でも飲みながらじっくりやろうか。今日はどうせ暇だしさ」

 自分がやる、と言うまもなく、さっさと湯を沸かし始める。それなら、と椅子に腰掛け、持ち込んだ筆記帳を開いて待った。

 先日の混乱が嘘のように、学院には穏やかな気配が漂っていた。流節ユールの温かな日差しが大地を照らし、学科室にもその恩恵は注がれている。負傷者は多かったものの死者が出なかったことで、学生の心理的な回復も早かったのだろう。

 湯沸かし瓶から蒸気が昇る。ラーゼノンは火を止めてから、茶葉を入れた急須に湯を注ぐ。

堕龍ガーフェンを粉々にしたの、本当はあなたでしょ」

 茶器を手渡しながら、ラーゼノンはどこか悪戯っぽく笑って言った。

「やっぱり、わかりますか」

「そりゃあね。学生たちは騙せても、指導教官たる私の目は誤魔化せないよ。あれは、すごい魔術だ」

 茶を注ぎ、吹き冷まして一口飲む。「まぁ、他の教授たちは半信半疑、ってところだけど。あの精度、あの規模は、学生じゃ普通あり得ないからね」

 よく土壇場で成功させたものだよ、とラーゼノンは言う。「今日の相談も、その辺の魔術についてだよね」

 アルベリスは頷き、筆記帳を前に押し出した。「もっと小規模に早く使えないかと、そう思って」

 ラーゼノンは記された構成要素を覗き込む。

物質フュルム深聖術ニヒト凝縮イェクト全知パラメルから=ロア=停滞アギドゥロ生命レガテ干渉ヴェア――うん、いい構成だね。特に〝工程〟の部分。起点を全知パラメルにして枝を増やすことで、消耗を抑えつつ出力を出せてる。前提は血の魔術?」

「はい。ドゥナス凝縮イェクトで楔を打つ必要があります。なのでどうしても詠唱の工数が増えてしまって。これの簡略化ができれば、状況への対応力は格段に上がるはずなのですが」

 なるほど、とラーゼノンは得心がいったようように呟き、

「血の魔術を打ち込むことで、それを触媒に影響力を高めてるのか。どうりで呪術っぽいわけだ。これなら大型の魔物も一撃で殺し切れる。となると……」

 ラーゼノンは鉱筆を取り出し、いくつかの構成要素に下線を引いた。「調整できるのはこの辺かな」

 印がついたのは、統命詞、術種、性質、工程、指定の四箇所。「対人想定なら省略二節でいける。統命詞は直接触れれば解決で、術種は既に固有のものだし、性質は多少強度が落ちるけど人体なら問題なし。工程は終点が停滞アギドゥロ固定で起点のみを変えれば良くて、指定は杖ですればいい」

 アルベリスはしばし思案してから、新たな構成を筆記帳に書き出していく。

「つまり、揺籃アリスから=ロア=停滞アギドゥロ干渉ヴェア、と。血の楔がなくとも、杖を直接打ち込めば機能するでしょうか」

「理論上はね。でも、そんなに杖持ってる?」

 アルベリスは席を立って、腰に巻いた皮帯を見せる。専用のじょうのうに計六本の杖が納められていた。

「驚いた」ラーゼノンは愉快そうに笑った。「それなら問題なさそうだね」


 次の話に移ろうとした時、弱々しく扉を叩く音がした。顔を見合わせる。訪問者の予定は特にないはず。

「どうぞ!」

「失礼します……」

 入ってきたのは一人の小柄な少女だった。制服に身を包み、どこか怯えた様子でおずおずと顔を上げる。黒髪は三つ編みに垂らされ、長い前髪で視線が遮られている。「あ、あの……呪術学科って……」

「ここであってるよ。新入生かな。どうかしたの?」

 ラーゼノンが柔らかな声音で問いかける。少女は気力を振り絞るように拳を固め、

「こっ」

「……こ?」

「こっ、ここに入れてくださいっ!」

 その申し出を、アルベリスは初めて耳にした。



 ノーシェ・マレオン。ザレトウェン地方生まれ。学院の新入生。

 なかなか学科を決められずにいたところ、先の事件でアルベリスの姿を見て呪術学科を希望。友人もいないので誰に止められることもなく、学科選択の届けを出しにきた。

「私は嬉しいよお……! いいのかなあ、二人も生徒がいるなんて!」

 ラーゼノンはそう言いながら嬉々として書類に署名した。アルベリスは少し離れた位置からそれを眺めた。後輩――あり得ないと思っていただけに、妙に落ち着かない。

「それじゃあ、事件の日は街にいたんだよね。怪我とかは平気?」

「……あっ、はい。その……アッ、アルベリス、様が、助けてくださった、ので」

 持ち上げていた茶器が止まる。「……様?」

 ラーゼノンは上機嫌に笑って、

「いやあ、すごい後輩ができたねえ。あー、なんだかとってもわくわくするよ。これぞ流節ユール!」

 魔術の相談を受ける時の知性はどこへやら、浮き足だって窓から飛んでいきそうだった。呪術といえば陰気な印象を受けがちだが、ラーゼノンは常に明るさを手放さずにいる。

「私はこの紙を正式に処理してもらって来るから、二人は少しゆっくりしてて。何なら学科室を案内してあげてもいいかもね」

 じゃよろしく、とラーゼノンは静止する間もなく学科室を飛び出した。残されたアルベリスはノーシェに視線を向けた。前髪に隠れて目元は見えない。「仕方ないか……」息を吐きつつ、席を立って近寄った。

「部屋の説明をするから、聞いてて」

 ノーシェは激しく頷いた。一挙手一投足を見逃すまいと凝視されながら、指摘するのも変な気がして、アルベリスは「まず……」と口を開いた。

 ラーゼノンが戻った時、二人は部屋に散らばった術具について話しているところだった。

「割ると面倒なものも多いから気をつけて」

「ど、どうなっちゃうん、ですか……?」

「ものによっては呪詛で皮膚が爛れたり、魔力を吸われて気絶したり」

「ひっ」

 淡々としたアルベリスと顔色をころころ変えるノーシェの様子に自然と頬が緩くなる。「ただいま」の声に二人は同時に顔を向けた。

「今日は歓迎会をしよっか! 魔術の相談にはまた乗るからさ」

「はぁ、まぁ……私は、構いませんが」

「新しく場所も作らないとねえ。ちょっと掃除が必要かもだ」

「……ちょっと?」

 疑念の声を聞かなかったことにして、ラーゼノンは自身の机から掘り出した菓子類を、空いた卓の上に並べた。茶は既に入っている。

「では、二人目の加入を祝して! 乾杯!」

 掲げられた茶器に、控えめな二つがそっと続いた。

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