聖なる香、凍える渦-3


 学院の高位魔術師が駆けつけた時、堕龍ガーフェンは既に原型を失っていた。

 肉体を構成する水分の一切が凍結し、砕け散った破片からは冷気の霧が立ち上る。のちの聴取には、カーディウスとテレスタシアが名乗りを上げた。

 細かな傷に塗れたカーディウスは、テレスタシアの光芒術アイオレールによる治療を受けながら、合流したアルベリスと言葉を交わした。避難していた人々には学院の医師が駆けつけ、による現場の整理が行われていた。


「最後の一撃はそっちがやったことにして。私はあくまで戦闘を補助しただけ、と」

 アルベリスは座るカーディウスを見下ろして言った。言われた方は「馬鹿言え」と呆れたように苦笑して「何を言ったところで真実は覆らねえよ」

「だとしても」手中にこびりついた血を握ってアルベリスは続ける。「これ以上妙な形で注目を浴びるのは避けたいの。ダルディオ家なら、この件も抱え込めるでしょ」

 カーディウスは無言でアルベリスの瞳を見つめた。自身も直下で浴びた、凍える息吹。血潮の熱とその冷徹が同居しているのが、今のアルベリスだった。

「……ったく、都合のいい時だけ使いやがって」

 カーディウスは観念したように両手を上げ、いてえ、と慌てて腕を下ろした。

「まだあまり動かさないでください。魔術の反動も残っているんですから」

 手中の光芒で傷を癒していたテレスタシアは、その日初めてアルベリスと視線を合わせた。

「助けていただき、ありがとうございました。私も、あなたのように強く在れたら、良かったのですが……」

 消沈するテレスタシアから目を背ける。強くならなくていい、と呟いた。

「必要なことをやっただけ。他者の治療は私には無理」

 踵を返して立ち去る背中に、「忘れもんだ」とカーディウスが何かを放り投げた。咄嗟に掴み取ると、骨晶イヴァロの滑らかな感触が皮膚に触れた。堕龍ガーフェンに突き刺し、壊れたと思っていた魔術杖だった。

「……ありがとう」

 アルベリスの後にはアンナリーゼが続いた。しばらく歩き、人目を遮ったところで、意識の糸が一気に緩む。

 倒れかけるのをアンナリーゼが脇で支えた。「少々血を使い過ぎましたわね」

「……あなたが無事で、良かった」

 眩んだ視界のまま、アルベリスは声を絞り出す。頬についた塵をアンナリーゼの手が拭った。

「杖、一本じゃ足りないのでは?」

「用意できる?」

「〝交換〟さえ成立するなら」

 いつもの調子にアルベリスは笑って、「じゃあ、お願い」と寮へと向けて歩き出した。



 堕龍ガーフェンによる襲撃の顛末については、カーディウスが上手く話をまとめた。伝播する不安に駆られ、アルベリスに原因を求める学生も少なくなかったが、この点はテレスタシアの証言が効力を発揮した。

 結果として、事件の原因は「怪我を負った堕龍ガーフェンが興奮したまま飛来した」ことに集約された。笛の音について口にする者は一人もなく、アルベリスはそれが自身にのみ届いた可能性を考慮しなければならなかった。


「つまり、人為的に起こされた可能性がある、と」

 数日後の夜、部屋を訪れたアンナリーゼが頬に手を当てて言った。アルベリスは椅子の上で脚を組み、

「怪我を負った堕龍ガーフェンが、わざわざここまで来ると思う? 笛の音の後、行動が変化したのも妙だった」

「まぁ確かに」アンナリーゼは頷き、「縄張り意識の強い魔物ですから、あえて人の多いここに来るのは合理的ではありませんわね。となると、狙いは?」

「私……かもしれない。もしくは」堕龍ガーフェンの行動を思い出す。「テレスタシア・ノキア」

「一直線でしたわね。あれだけの傷を負ってなお」

「誰かに命令されたみたいにね。堕龍ガーフェンの進行方向にいた人の中で、あんな雑な方法を使われる可能性があるのは彼女しかいない。あなた《ベルフェロイツ》が相手ならもっと慎重になるはず」

「なら問題は、殺害が目的なのか否か……あれで殺せたと思います?」

 アルベリスは首を振って「わからない。でも、確証がないのにやるとも思えないし……もしかすると、別の目的のついでに〝あわよくば〟くらいの温度感だったのかも」

 仮にそうであったなら、本当の目当てがアルベリスである可能性は大きく高まる。母が死に、次期当主が確定しているアルベリスを狙う理由ならいくらでも出てくるからだ。ユーティライエを利用したい者、国防の隙をつきたい者、ユーティライエに恨みを持つ者……考え出すときりがない。

「どのみち、当面は警戒した方が賢明ですわね。わたくしも〈七侯アラスタリク〉を持ち歩くようにいたしましょう」

「ありがとう、助かる」


「そういえば、あの日ぶつかった男性はどうでしたの?」

「ああ」アルベリスはまたも忘れていたことを思い出した。「結論から言うと、無事だったみたい」

 スティン・フェドルという男については、事件の翌日、応用魔術学科の教授に確認をとった。

「ああ、フェドル君」教授は白く伸びた顎鬚を撫でながら穏やかな調子で言った。「事件の日、這う這うのていで訪ねてきて、あなたに助けられたと言っていましたよ。今年に入ってから、学院向けの配達業務を一部担っている働き者です」彼が何か? という問いには「いえ、無事であるなら良かったです」と用意していた言葉を返した。


「すごい方向音痴らしいのに、配達員っていうのはどうなんだろうね」

「それ以外の部分で適材なのでしょう。考えても詮なきことです」

 アンナリーゼは肩を竦めて、「そうそう。今日は渡すものがあってきたのでした」足元に置いていた木箱を持ち上げた。

「それは?」

「所望の品、ですわね」

 そう言いながら、机の空白に置いて鍵を開ける。

「杖――。待って、いくらなんでも早過ぎない?」

「需要には迅速に応えること。あなたもご存知なのではなくて?」

 濃紺の柔らかな台の上に、骨晶イヴァロの魔術杖が計六本並んでいた。……注文は四本だったはず。

「二本は予備で、恩人にして上客のあなたへの贈り物です。まぁあなたなら、この数でも充分操れるでしょうけれど」

 アンナリーゼは悠然と微笑んで、そのまま部屋を去っていった。アルベリスは杖を一つ一つ手に取って、それが自身の手に馴染むことを確かめる。

 堕龍ガーフェンとの戦闘では杖を楔に使ったことで血液を触媒にせざるを得なかったが、これなら複数本を同時に使用することで、より消費を抑えながら様々な状況に対応できる。アルベリスは友人の仕事の早さに笑ってから、手入れ道具を取り出して杖を磨き始めた。


 壁に貼られた暦には、暗月と霆節ヴェイルを前に、点々と行事名が記されている。夜空では白月が次第に欠けていく。季節が移ろうまで、残り二ヶ月。

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