魔術の踊り方-2
「――強くなる方法? なんでまた」
日暮れの学科室で、ウィンハイメ・ラーゼノンは呪詛用の壺を箱に納めながら問いを返した。窓辺からは爛れた斜陽が滲み出し、薄暗い室内を照らしていた。
「呪術師としての〝強さ〟とはなんだろう、と、改めて考えてみたのですが、いまいち……」
曖昧な説明だったが、ラーゼノンは自ら意味を付加したらしく「いやあ、やっぱりあなたは勤勉そのものだね! 素晴らしい! 呪術についてこれほど真剣に考えてくれる学生がいるなんて、私は嬉しいよ!」などとアルベリスの手を掴んで激しく上下した。
「現時点でもあなたは強いけど、更に上を目指したいんだね。ユーティライエの血は元々儀式向きだし、中でも君は魔術的にとても器用だ。得意なのは、干渉系の
アルベリスは頷く。普段使いのものは、燃費の良さや中・近距離での高速戦闘を想定して、一から二節の詠唱でまとめている。アルベリスが独自に磨いてきた血の魔術は、短い詠唱で決定打にできるものが揃っているものの、血液を代償とすることもあって体力的な消耗が激しく、あまり多用できるものではなかった。
「〈
「完全詠唱、ですか」
「そ。統命詞・術種・性質・工程・指定・定命詞。これらを全部盛り込む」
ラーゼノンは手近な紙を裏返すと、そこに〈
「原始的な魔術に〈
鉱筆の先で文字の終端を軽く叩く。アルベリスは「はい」と応じて、
「古語を用いて韻を踏むことで術を規定し行使するもの、ですよね。儀式的要素が強く、古典派魔術師にはこの方法を好む人も多いと聞きました」
ラーゼノンは頷いた。「〈
「才能や生まれによる格差の拡大」講義を振り返りつつアルベリスは答える。「制御の難しさだけでなく、習得するために必要な知識や経験が膨大で、結果、魔術は一部の人間の特権となりました。故に、長く魔術の研究は停滞した。帝国術理協会はその名残りです」
「で、そしてその状況を打開したのが、当時のアルバレスク魔術学院学長、ドルマレク・アニスク。彼は魔術教育における方法論の確立と体系化を試み、その中で〈
「八年前、〈
そうですよね、と視線を合わせる。ラーゼノンは大袈裟に拍手をしてから「歴史の講義は以上で終わり」と再び鉱筆を走らせ始めた。
「〈
これが〈
「ええと……」
話の流れが起点から遠ざかっていることにアルベリスは戸惑いの声を上げる。これでは〝完全詠唱〟よりも〈
ラーゼノンはアルベリスの様子に「まぁまぁ。話はまだこれから」と紙に書いた図を掲げた。
〈
魔術の構成要素を起源ごとに配列した一種の回路で、
「魔術師の詠唱において最も短縮されやすく、それでいて最も重要なのがこの部分。起点と終点の二つの
ラーゼノンが外套の裾を持ち上げる。彼女の専門を踏まえれば、答えはそう難しくない。
「対価を払うこと。もちろん、魔力以外の」
「そういうこと」
上機嫌に笑みを浮かべ、「これはある意味、あなたの特権でもある」とラーゼノンは言う。「ユーティライエの血は何にも優る極上の供物で、その血筋の術者なら一滴でも充分以上の効果が得られる。このことは確か、〈
反射的に唇を噛む。もう何年も、姉たちの成果から目を逸らして生きてきた。しかしどこに行っても影は残り、アルベリスは無意識にその暗い轍を歩いている。
とはいえ、ラーゼノンの教えは求めていたものを十全に満たしてもいた。血の魔術に優る強力な魔術を燃費を抑えて使用できるのは、今後の状況の変化に対応していくという意味でも理にかなっている。
「時間は呪術師にも味方する。的確に手間をかけたものは、相応の結果を導くものだよ」
ラーゼノンは励ますように背を叩き、それからハッとしたように窓の外へと目をやった。濃紺の闇が天を多い、地平には僅かな熱の残滓が漂うのみになっていた。「忘れてた! この壺、術具保管室に返さないと……!」
「それなら私がやっておきます。お手間をとらせてしまったので……」
「え、ええ? 本当にいいの? かえって申し訳ない気もするけど」
「有益なお話が伺えたので。対価だと思っていただければ、それで」
「そっか。それならお願いしちゃおうかな」
壺を受け取り、重ねて礼を言ってから学科室を出た。術具保管室のある地下に向かい、貸し出し記録に署名する。地上階に出ると学院のあちこちに
考えることは山ほどあるが、寮に戻る前に、少しだけ息を抜きたかった。人もまばらな回廊を進み、小噴水広場から庭園に向かう。先日揉め事があったばかりなので警戒がないわけではないが、それでもアルベリスにとってはささやかな憩いの場所だった。
石畳の道に立ったところで、先客の影があることに気がついた。花を前にしゃがみ、手元に光を灯しながら何やら細々と手入れをしている。有志の学生かと近づくにつれ、アルベリスの眉間には皺が寄った。……金色の髪。
「……あなただったの」
見下ろして口にするとテレスタシアは顔を上げて「アルベリスさん」と柔らかに微笑んだ。手のひらには
「お花、好きなんですね」
立ち上がり、服の裾を整えつつテレスタシアは言った。「……場所が好きなの」嫌な返答だと思うが、どうしようもない。相手の表情は変わらない。どことなく嬉しげなのに、心がささくれる。
「この間のことで少し崩れてしまったので、直していたんです。私もこの場所が好きですから」
悪かったわね、と出かけた言葉を、どうしてか飲み込んだ。先程まで殺し方を考えていた女が前にいることに困惑する。自分は今ここで、この女を殺せるだろうか? 渦巻くのは凶兆への怯えだろうか。それとも、夢の中で殺された復讐だろうか。
余計な思考を振り払う。違う、今じゃない。まだ、自分はすべてを捨てられない。
「――伝言がある。ダルディオの男が、あなたと話をしたいと言っていた」
「ダルディオ……カーディウスさん、ですね。何かご用が……?」
「わからない。自分で訊いて」
それだけ言って、アルベリスは庭園に背を向けた。「アルベリスさん」名を呼ばれたが、今度は立ち止まるのみで振り返らない。「今度は一緒に、お茶でも」
「……気が向いたらね」
その声が届いたかはわからない。
ただ真っ直ぐに寮へと戻った。隣室から顔を出したアンナリーゼが「遅かったですわね」と言うのをあしらって、机に広げた紙に魔術の構成を書き出していく。
ユーティライエは悪魔だと言う。
それなら、テレスタシアの表情も、心も――アルベリスにはとうてい、理解できるはずもない。
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