光の色は夜に眠る-2


 白月が天に昇り、窓からは暗闇に沈む中庭と瞬く星々の微光が覗く。

 日中の忙しない気配が嘘のように、学内はしんと静まり返っている。囁きにも似た虫の声がそよぐ草葉の音に混じり、滑らかな夜気をそっと撫ぜる。リアムの湖面を月光が照らし、街には寝息を思わせる淡い明かりが点々と灯っていた。

 寮の私室で呪術関連論文に目を通していたアルベリスは、隣室のアンナリーゼから訪問を受けた。時折あることで、要件はすぐに察せられた。彼女は何も言わずに寝台の縁に腰掛け、「例の三人ですが」と椅子に座るアルベリスを見上げて言った。

「ダルディオの彼に捕まったらしいですわね。背後に誰がいたかはわからなかったようですけれど」

「そう。それはよかった」

 あくまで淡々とアルベリスは言う。間抜けな言いがかりは、何もこれが初めてではない。

 入学以来、手を替え品を替え、小さな……しかし確実に煩わしい嫌がらせを仕掛けてくる。都度叩きのめして追い払ってはいるのだが、今回の件はいささか想定外の方向に話が転がってしまった。

 テレスタシアのこともある。夢を見るようになってからずっと、殺意の印象がこびりついて離れなかった。だから故郷ノヴィアから帰って以降は可能な限り避けてきたのに、まさか相手の方から寄ってくるとは。

「彼女のこと、あなたは心底嫌そうでしたわね」

「逆に、そっちはまるで気にしてなかったみたいだけど」

「人気は商機、商品を売るには広告も重要ですから」

 そう言って滑らかな髪を軽く払った。使えればよし。そんな思考が染み付いているのだろう。

 長い付き合いだ。それについて、今更どうこう思うことはない。

「そういうことで、わたくしは別に良いのですけれど」頬に手を当ててアンナリーゼは言葉を続けた。「問題はあなたの方ですわ。夢の話が出た時、あなた――」


 殺すしかない、と。

 そう、思ったのでしょう。


「……まぁ、正解」

 手元の紙束を掲げて見せる。呪殺についての論文だった。

「夢の話は伺っていましたが……慎重なあなたにしては、いささか性急に思えますわね」

「もちろん、今すぐ、っていうわけじゃない。でも、いつか現実になるのなら備えておかないと」

 なるほど。アンナリーゼは頷いて言う。

「ひと口に〝慎重〟と言っても、方向性は色々あると」

 殺害が当然の選択として湧いたことに驚きはなかった。良くも悪くも、物事の選択における具体例はあの姉たちなのだ。彼女たちなら躊躇いはしないだろう。

 半ば反射的な応答ほど、思考に馴染んだものが出る。血を疎ましく思う一方で、運命とでも呼ぶべき自身の在り方は、否定しきることができなかった。

「夢の結末に至る過程はまだわからない。彼女がどういう立場で殺しに来るのかもね。唯一明らかなのは、その原因がユーティライエの血にあるということだけ」

 つまり、今できることはほとんどない。せいぜいが殺し合いになっても生き残れるよう自身を高めることくらいで、必修だった昨年に続き武術と魔術戦闘の上級講義を取ったのもそれが理由だった。

「念の為聞いておくけど、急に彼女を殺すと言ったら、あなたは止める?」

「いいえ?」質問の意味がわからないという風にアンナリーゼは首を傾げた。「人材としては惜しいですが、先の契約がありますから。そこを誤っては錬金術師の名折れと言うもの。約束は違えませんわ」


 アルベリスもアンナリーゼも、ノヴィアの街では浮いた存在だった。家のことだけでなく、子供としてはどちらもやや早熟で、他の同世代の集まりでも上手く混ざることができずにいた。ベルフェロイツ所有の屋敷で開かれた街の開拓記念式典の折、二人は同時に宴会の席を抜け出した。同じ年頃かつ同性の子供が澄ました顔で佇んでいるのを見て、特に言葉を交わすでもなく一緒に過ごし、最後の最後でアンナリーゼから声をかけた。

「〝交換〟、いたしませんか」

 そうして二人は空白だった友人の枠を交換し、そこに相手の名前を納めた。それは一種の契約で、他者から見ればとても奇妙な――それでいて、互いにとって非常に重要な約束となった。

 だからその契約において、アンナリーゼはアルベリスを信頼しているし、逆もまた然りだった。


「要件は済みましたし、わたくしは戻ります」

 さっさと扉を開き、半身を出したところで立ち止まり、

「それでは、

 嫌な言い回しを残して帰っていった。

 アルベリスはしばらく扉を見つめてから、不意に馬鹿馬鹿しくなって論文の紙束を脇に放った。明かりを消し、寝台に潜り――


 そしてまた、同じ夢を見た。

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