光の色は夜に眠る-1


 向かったのは、街の大通りを外れた先、閑静な裏道に面した店だった。

「焼いた穀酵クロルとお茶が美味しいんです」

 テレスタシアはそう言うと、親しげに声をかけてきた店主に同じものを三つ注文した。

 奇しくも当初の目的であった店の開拓を達成し、隣に座ったアンナリーゼはアルベリスの心労をよそに楽しげにしている。力の入る眉間を解しつつ、「それで」とアルベリスは口火を切った。「どうして食事の誘いを?」

「ずっとお話ししたいと思っていたものですから。機会は逃したくない、と」

 言外の意図を探るように視線を巡らせる。その声音、表情、仕草。振る舞いは楚々として学生の人気が高いのも頷ける。平民のくせに、などと口にする負け犬もいるにはいるだろうが、彼女はそれすらも抱擁すると思わされる。

 天性の清らかさ。そんな言葉で片付けてもしまえるだろうが、アルベリスにはテレスタシアのそうしたずれが、やや歪であるようにも思えていた。

 得体の知れないものは得意ではない。どうしても、姉たちのことを思い出すから。

「昨年は純粋に距離がありましたが、進級して以降はなんだか避けられているような気がして。何かしてしまったろうかと、いささか不安だったんです」

「それは――」

 動揺を必死に押し隠す。「あなたに殺される夢を見た」だなんて、本人に言えるはずもない。不名誉な烙印は、もうごめんだった。「――ただの、勘違いでしょう」

「なら、よかったです」

 テレスタシアは笑って、今度はアンナリーゼに話を振った。「アンナリーゼさんは、錬金術学科の俊英と伺っています。どのような研究を?」

「最近は貴石機関アイオスキールの小型化と混成生命キメラの作成を。〈せつぎんきょう〉の〝銃〟も気になりますが、あれは軍事機密でしょうから」

「〈せつぎんきょう〉というと、リタリエナ・ウァイセノフ様でしたか。二丁の長銃の話は聞いたことがあります」

「専用に開発された貴石構造の魔術銃ですわね。あれは特例で、参考になりませんわ」

〝銃〟は帝国術理協会の〈せつぎんきょう〉がガヘリス連邦から持ち帰った技術で、魔術の心得のない軍人を対象に試験的に貸与されているという。ぞくと軍は切っても切れない関係にあるため、アルベリスにも多少の情報は入っていた。

「アンナリーゼさんは技術の発展に本当に熱心でいらっしゃるんですね」

「ええ、それはもちろん」

 アンナリーゼは何食わぬ顔で答える。しかし彼女の性格を考慮すれば、銃の開発など、普及させて金稼ぎに使うための道具でしかないだろう。個人で動かせる金額はとうにアルベリスを超えているが、それでもなお飽き足らないのが彼女の異様なところだった。


「そういうあなたはどこに?」

 自分に話が及ぶ前に切り返すと、「せいじん学科に」とテレスタシアは言った。アルバレスク・ラヌスを創始者とし、天体の運行を含む種々の現象から魔術や歴史、未来を紐解く領域。特に人気の高い学科の一つでもある。

「託宣や予言の発生について、というのが私の扱っている主題になります。このあたりはイオラント教のこともあるので、外部からの干渉を受けない学院でしかできないと思って」

「近頃は教国ユルアインも緊張気味のようですし、その意味では賢明ですわね」

 アンナリーゼは頷いた。イオラント教は神話にある〈神を乞う人ユルアイン〉に端を発する救世信仰で、聖人や聖女、それから〝天使〟といった存在を象徴としている。帝国ヴァルナラスを含む西方世界に広く浸透しており、各地に教会が置かれていた。

 そうしたことの他に、北の魔女――エレオノーラ・ユーティライエの死から、物流にもわずかに変化が起きていた。有事に備えてか軍事関連の取引が増えており、アンナリーゼが銃に商機を見たのもそれが理由だった。

「二年後には聖女選も控えてるから。あなたもそれは知ってるでしょ?」

「はい。三十年に一度、イオラント教を導く聖女を、主要五派の候補者から選定する、と」

 選ばれた者は、信仰上の象徴に留まらず、人類の大敵に抗する存在として祭り上げられる。それはユーティライエの継承ともどこか似ていて、アルベリスは密かな憐憫を覚えていた。

「幼少から託宣のある場所で暮らしていたので、どのような構造でそれが起きるのかずっと疑問だったんです。よくあるのだと、とか」

「……夢?」

 思わず問い返すと、テレスタシアは首肯し、

「各地の歴史を探っていくと、夢を介した予言はかなりの数があるそうです。先ほどの聖女選でも、重要な要素として扱われるとか。星からは魔力が放出されていると言いますし、天体の配置が一種の魔術的作用をもたらして感受性の高い人に影響を及ぼしている、という説もありますね」

 澱みなく流れてくる言葉が耳の奥底に突き刺さる。あの悪夢、断罪の光。それがもし予見された未来でしかないとしたら。もし、そうならば――


 視線が絡む。夢の女の声が聞こえる。「アルベリスさん? 顔色が……」

「……ごめん。大丈夫。ただの貧血」

 覗き込まれるのを手で制して背筋を正す。アンナリーゼは気に留める様子もなく「ようやく来ましたわね」と笑んでいる。

 断面から湯気の立ち上る穀酵クロルと、香り高い茶が卓上に並ぶ。心配するテレスタシアを宥め、思考を一度よそに追いやる。

「ひとまず食べよう。午後の講義に間に合わない」

 アルベリスは黙々と千切った穀酵クロルを口へと運ぶ。

「穀物はオーエンス地方が万年首位ですが、セネス=テーベル地方のものも悪くありませんわね」

 アンナリーゼの呑気な声だけが、木漏れ日の差す柔らかな空気を震わせていた。

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