第1章 アルバレスク魔術学院 ―流節―

呪いのすみか


 ヴァルナラス魔術帝国中心部、リアム湖畔にアルバレスク魔術学院は位置している。幾何学的かつ洗練された青灰色の塔群は央都ハイングラム)の城にも劣ることなく、裾野には巨大な屋根の鉄道駅から学院城下町とでも呼ぶべき景色が続く。西方に覗瑆山ノントアルブの煌めく稜線と穹河ウルグロウムの川面が覗き、平原では流節ユールの穏やかな風に草花が揺られている。

 学院の起源は古代の〝国家成立戦争〟以前に〈星塵の目アルバレスク・ラヌス〉と呼ばれた人物が設立した天体観測所にあるという。今では世界最大の学術・魔術師養成機関として知られ、一般学問と基礎魔術を中軸とする〈普通科〉と、実践を第一とし魔術師養成を担う〈魔術科〉の二つを基底に、各人が選択可能な各専攻学科も設けられている。


「ですから、学生の皆さんは六術種の得手不得手のみならず、自ら探究し、目標を定め、弛まず努力を続ける必要があり――」


 終礼の鐘が講義室に響き渡る。「えーと、それじゃあ、今日はこの辺りで……」今更とも思える一般教養の数々に飽いた新入生は、教壇から届いた声に重い頭を持ち上げると三々五々に散っていく。

「この講義、本当に必要か?」

「教授ってどこの所属なんだ」

「ねぇ、あの助手って……」

 まばらに注がれる視線の多くは、決して気持ちの良いものではない。それでも何とか声を上げる指導教官の健気な様を、アルベリスは教壇の隅から見守っていた。

「あ、皆さん専攻学科の選択がまだならぜひ呪術学科に――!」

 そう叫び終える頃には眠りこけた学生が数人伏しているばかりで、数度行われた宣伝がまるで意味を成していない事実だけが侘しく残った。


「今日も駄目かあ。いったい何がいけないのか……」

 気落ちした様子で教科書をまとめる細い背中を眺める。講義室の窓からは暖かな日差しが等間隔に落ち、少し前までは上着が手放せなかったが、今では学生服だけでも過ごしやすくなった。極端な冷え性の教授だけが、今だに外套を放さずにいる。

 ウィンハイメ・ラーゼノン。

 学科人気の最低値を更新し続ける呪術学科の長にして、唯一の学生、アルベリスの師である。


「以前から思っていたのですが」アルベリスは閉ざしていた口を開く。「私に手伝わせるのは逆効果では?」

 先の新入生の言葉を思い出す。あの助手って……。続く言葉は想像がつく。呪いの家ユーティライエの。あるいはそれに類するものだ。

「ええ? そうかなあ」ラーゼノンはベルトで縛った教科書を脇に抱える。「あなたみたいに積極的かつ優秀な子が一番なのに」

「そう言われましても……」

 指導教官の素直過ぎる一面は、時にアルベリスを困らせる。

 事実として、学院にはユーティライエの血筋をよく思わない者が少なくない。対魔物の国防において重要な位置を占める外衛伯であるとはいえ、呪われた血、悪魔の子、と言った逸話には事欠かなかった。姉妹も元より変人揃いで、その上、昨年には長姉ヴァロナが国家反逆罪を犯している。何らかの理由で処刑には至っていないが、それでも家名が泥まみれであることに変わりないのだ。

「まぁ、それで言うと一種の選別にはなってるのかもね」

 中庭に臨む回廊を歩きながらラーゼノンは言う。「選別?」問いかけると彼女は頷き、

「今でこそ準禁忌指定だけど、呪術界じゃユーティライエに興味ない人はいないんだよ。我が国における呪術の原点とも言えるわけだし、世間一般の評なんかには縛られないで欲しいね!」

「はぁ、そうですか……」

 謎の自信に困惑しながら、学科室まで歩を進める。呪術学科は日陰者らしく学院の中でも目立たない辺境にあり、移動にはやや面倒が伴う。それでも干渉系の深聖術ニヒトライアを得意とするアルベリスには貴重な資料が大量にあるため、多少の労苦は甘んじて受け入れる覚悟だった。

 アルベリスが入るまで何年も学生がなかったせいで、大掃除を経てもなお室内は乱雑な印象を受ける。その中でラーゼノンもアルベリスも個人の領域を築いており、ほとんどの場合はそれぞれの作業に没頭していた。

「はい、ご苦労様。私はお昼抜くから行っていいよ」

 荷物の整理を終えると、ラーゼノンはそう告げてそそくさと自身の領域に戻っていった。そうなるとしばらくは反応がない。アルベリスは学科室を出ると、ひと気のない廊下を歩いていった。


 昼食はアンナリーゼとの約束がある。学院内で待ち合わせてから、街に出て店を開拓しようとの誘いだった。比較的人の少ない小噴水広場に向かうと、長椅子に腰掛け本を開く姿が目に入った。腰まで伸びる白茶の髪先を緩く巻き、学生服の上から白を基調に装飾を散らした短いケープを羽織っている。装いにせよ仕草にせよ、令嬢らしさ、という点では、自分よりも遥かに上だと会うたびに思う。

 彼女はノヴィアにある国内有数の商家の生まれで、ユーティライエとは日常の品々から軍事関係の装備まで幅広くやり取りする関係にあった。アンナリーゼはベルフェロイツの祖先が錬金術師だったことに加え、本人が魔術関連技術の開発に熱心なのもあり、学院では錬金術学科に所属していた。

「錬金術学科は暇なの?」

 近づきながら声をかけると、アンナリーゼは本から顔を上げ「呪術学科ほどじゃありませんわ」と皮肉混じりに言った。「今回も収穫はなかったのでしょうし」

「そういうそっちはどうなわけ?」

 立ち上がるのを待ちつつ訊ねると、どうもこうも、と首を振り「例年通り、同じ数だけ。古典派錬金術師は〝同じであること〟を好みますから。まぁ、教授の偏屈にも慣れましたけど」

 呪術学科の人気最下位がお約束であるように、錬金術学科も扱いはそう変わらない。古くは生命魔術や魔術関連工学の一端を担うものとして一定の支持を集めていたが、貴石機関アイオスキールといった魔術産業の発達した現代においては、老人を敬う程度の認識しかされていない。特に錬金術学科の老教授は錬金術以外には石頭なことで有名で、毎年同じ人数しか受け入れていないという。それでも呪術学科よりはましと言うのが、アルベリスはどうにも解せなかった。

「近道を?」

「あなたもそっちの方がいいでしょ」

 言いながら向かったのは、講義棟の片隅にある小さな庭園だった。有志が細々と世話をしており、気に入って足を運ぶ内に、偽装された街への抜け道を見つけたのだった。具体的に誰が作ったものかは不明だが、魔術は旧式ながらも精緻な出来栄えで、アンナリーゼも感心していた。

 空では謡羽鳥テウェルが鳴いている。流節ユールに咲く白靡扇イオユラトラン淡朱糸カイロゥシエの色を横目に進んでいると、開けた場所に出たところで簡易魔術の起動を察した。効果は、人払いと減音。「結界を張る程度の能はあるようですわね」小声の囁きに頷いた後、三人の女学生が待ち構えていたように姿を見せた。どの顔にも見覚えはない。

「アルベリス・ユーティライエ。あなたに少々用がありましてね」

 先頭に立つ女学生が意気高々に立ち塞がり、取り巻きの二人は軽薄な笑みを浮かべながら数歩後ろに立っている。

「……ダルディオの?」

 アンナリーゼの囁きに「いや」と答える。

「こんな迂遠なやり方、あの男の趣味じゃない。ぞく関係じゃないでしょうね」

 経験上、この手のことを実行するのは成り上がり思想の強い新興の下級貴族や父母が高い地位を持つ中流階級の子がほとんどで、より上位の人間は表には出ず裏から手を回すことが多い。ましてや一般の貴族と異なり、外敵に即応するための機構として存在するぞくの人間が、そうしたつまらない権力闘争に力を注ぐとは考え辛かった。

 問いの主人は女学生たちを一瞥すると、異物を見るように「……彼らに何か利益が?」

「人は〝気に食わない〟で攻撃できるものなの。〝交換〟でいっぱいのあなたには理解できないだろうけど」


「あの! よろしいですか!」

 苛立ち混じりの声は女学生のものだ。待ちきれないようで、彼女は一歩踏み出しながら更に声を上げる。

「あなたが何やら怪しい術に手を染めていると、複数の方から耳にしました。確かな筋からの後押しもね」

「反逆者の姉がいるくらいだし、何もおかしくないよねえ」

「呪術学科だって怪しいよ! 陰気な教授と部屋にこもって……」

 アルベリスは冷めた心持ちでさして真新しくもない台詞を聞き流す。どれもこれも今更でしかなく、取り巻き二人の言葉に至っては別段否定する気もない。

「そんな話、今に始まったことじゃないでしょ」

 口にしてから息を吐き、

「簡単な真偽の見極めもできないから、いいように使い捨てられるのよ」

 アンナリーゼが笑いを堪え、対する女学生たちは肩を震わせる。「よくもまぁ――」続く言葉は、向けられた三つの手に隠れている。手首には、貴石を嵌めた触媒の腕輪。

 ――悪魔の子の分際で!

「【切り裂けゼンハ・カイ】!」

 庭園の草花を乱雑に裂き、切断の性質を付与された疾風が迸る。程記・指定短縮型の風水術ユールフロゥ

「下手くそ」

散らせドゥナス・カラム

 動きは最小限に、抜き放った骨晶イヴァロの魔術杖で風の刃を拡散させる。「【抜剣、揺らげフュルム・ヴェア】」即座に手を離れた杖が素早く飛翔し、女学生の喉元に切先を添える。

 物質干渉の魔術によって、杖は変形し細い短剣へと姿を変えていた。

 息を呑んだ女学生が身じろぎをして、喉の皮膚を浅く裂いた。血が一筋伝い落ちる。

「素手での魔術行使が一人前だと本気で信じてるの? 私は今すぐあなたたちを殺せるけど」


「このっ……!」

 取り巻きが再度腕を突き出す。どうしてやろうかと思案を始めたところで、頭上が騒がしいことに気がついた。見上げると、塔や講義室の窓から何人もの学生が顔を突き出している。

「……結界、切れてるんだけど」

 背後に抗議の言葉を口にすると、傍観者は「あら、気がつきませんでしたわ」と惚けた調子で言った。

 嘘をつけ、と思いながら杖を手元に呼び戻す。女学生たちも状況を理解したようで、方針を変えたのか、いかにも被害者という表情で訴えを叫んだ。

「こっ、この女が! 急に襲ってきて、挙げ句の果てには『殺す』などと!」

 流石に無理のある言説ではあるが、見物人の心象を思えば筋が通らずともアルベリスには不利だろう。昼食に行くだけのつもりが、厄介なことになってしまった。

「法廷まで行けば、名誉毀損やら傷害未遂やらで研究資金を得られますわよ」

 役に立たない助言は無視しておく。アンナリーゼが証人に立てば勝つのは必定だろうが、今重要なのは金銭ではないのだった。


「お待ちください」


 助力は思わぬところから差し伸べられた。庭園にも集い始めていた学生たちが道を開ける。覗いたのは、肩口で切り揃えた眩い金髪。

 テレスタシア・ノキア。

 平民の出でありながらも、学生たちから一目置かれる優等生。

 学院唯一の、光芒術アイオレール使い。


「先に挑発し魔術を行使したのはあちらの方々です」視線が一気に女学生たちに集中する。テレスタシアはアルベリスを見つめて言う。「アルベリスさんの行動は、正当防衛に過ぎません」

 たったそれだけで、形勢は一気に逆転した。テレスタシアの指摘を受けた方は、羞恥からか怒りからか、顔を赤くしながら衆目から逃げ出した。後は興味を失った学生たちが姿を消して、アルベリスとアンナリーゼの他には、テレスタシアだけが残っていた。

「……ありがとう。お礼は、今度」

 短く言って背を向ける。夢のことが思い出されて、できるだけ早く遠ざかりたかった。

「アルベリスさん」

「何……」

 無視するわけにもいかずに振り返る。テレスタシアは穏やかな笑みを浮かべている。

「お昼、ご一緒しませんか?」

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