間章:碧光の夜 / 魔女の時代


 央都ハイングラムの夜を貴石機関アイオスキールの碧光が淡く染める。白月のもとに連なる高塔建築の合間を都市環状線が走り、中心部には宮殿や議会を含む重要機関をまとめた城型群塔が聳えている。

 深夜にも絶えず賑わう繁華街を外れ、人目を避けて裏道を行くと、一目ではそれとわからない場末の酒場がある。ごく一部の常連のみを対象とするような目立たない構えで、わずかに身を屈めて扉を潜ると一気に視線が集まった。しかしそれも一瞬で、誰もが行儀良く手元の酒へと戻っていった。

 カウンターには明らかに客層でない少女がぽつりと腰掛けている。何を頼むでもなく虚空を見つめ、周囲もそれを気に留める様子はない。


「一番強いのを」

 店主は棚からほとんど減っていない瓶を取ると、「お代は既に」と静かに置いた。鷲掴み、蓋を開けて一口呷る。

「どうやっても目立つね、君は」隣に座る少女が言った。「それだけに、カイネハイトの諜報屋いぬが可哀想だ」

「あたしに追いつきたきゃ、オルト姉でも連れてこねえと」長身の成人男性も優に超える躰躯で鼻を鳴らす。「それか、極上の火酒を一生涯ぶん保証するか」

「だろうね」少女は肩を竦め、どうあれ、と顔を上げて言う。


「おかえり――カステル」


 カステルは視線を交わすと、ん、と短く答え、背負ってきた布袋から厳重に封をされた木箱を取り出した。古びているが、尋常の素材ではないと一目でわかる。少女は滑らかな動作でそれを受け取り、中身を確認することなく「ありがとう。これでまた進展できる」

「今回はなかなか骨が折れたなあ。〝天使の遺物〟なんてさ」

「悪魔の証明は去年手をつけたからね」箱を膝の上に乗せて少女は言った。「趣向を変えようかと」

「国家反逆罪はかなり良かった。法令院の老骨どもにもそんな感性が残ってたとは」

 笑って言ってから「そういえば」と思い出したように「母様が死んだって? エリスの〈〉から聞いたけど」

「契約の対価でね。わかっていたことさ」

 ふうん、と自ら口にした割に関心のないカステルを一瞥し「教国ユルアインに変化は?」と少女は話の先を続ける。

「あー。お偉方に動きがあったのと、山の聖獣がそわそわしてたな。聖女選の開始が早まるらしい。あと、連邦ガヘリス暗夜領域きたの魔物に警戒して部隊を再編中」

「ふむ」少女は頷いて言う。「まぁ、想定通りかな」

「〝証明には証拠オーレル・ロア・トゥイオ〟か。天使のも、アリサにやらせりゃいいだろうに」

「彼女は東方イェンアードに夢中だからね。やれと言ったところで嫌がるさ」

 さて、と少女は椅子から降りる。「私はそろそろ行くよ。君も長居する気質じゃないだろう」

「まぁな」立ち上がり、酒瓶を携えたまま出口に向かう。「次は東もいいな。アリサでも構いに行くか」

 夜はまだ深くなる。二人は別れ、少女の姿は闇の中に蕩けて消える。カステルは飲み干した瓶を道端に放り捨て、鼻歌を交えながら央都ハイングラムを包む碧光に背を向けた。




 同時刻。


「――というわけだ。此度の決議、それで構わぬな?」

 央都行政群塔内部、円形議事堂。

 壁面を書物に覆われたその一室で、〈せいてんきょう〉は円卓に座す面々へと目蓋を下ろしたまま語りかけた。一つの空席を除き、議長を除く三者はそれぞれの速度で頷きを返す。


「もちろん構わないとも。巨大で美しい構造物を、建築することさえできるなら」

とうげんきょう〉ユーデルカ・バロメは、手中で箱型の玩具を弄びながら言った。史上類を見ない錬金術師の枢機卿にして、篆刻魔術の第一人者。加えて彼女は都市と産業を盛り立てる投資家でもある。


「ご随意に。医療物資と人材の確保を優先していただけるなら」

 淡々と告げたのは、〈せつぎんきょう〉リタリエナ・ウァイセノフ。白皙の可憐な外見をした軍人にして研究者。隣国ガヘリス連邦への留学経験を持ち、帰国後は新兵器の開発と普遍的医療技術の普及に尽力している。


「私からは、何も」

 そして、〈かいめいきょう〉ヴァロナ・ユーティライエ。魔術に関する数々の功績を残しながら、昨年国家反逆罪で王宮地下牢獄に幽閉中――


「なんで平然とお前がいるんだね。なんて使って」

 本来いるはずのない人物に、ユーデルカは片眉を上げて苦言を呈した。言われた方は王宮に仕える女性衛士の身体で肩を竦め、「重要な議題かと思いましてね。二人も欠けては決定に支障が出る」

「ドロテアがいないのはいつものことだろう」

 ユーデルカは呆れたように、決して埋まることのない空席へと視線を向けた。

ていえんきょう〉ドロテア・ラス・アストロモーネ。土地の改造や結界術に精通した環境魔術の大家。優れた薬師でもあるが、僻地に自身の領域をつくって引き籠もっており、会合には一度も顔を見せたことがない。


「〈かいめいきょう〉の情報は〈せいてんきょう〉の予見に確証を与えるために必要です。〈ていえんきょう〉はともかく、不在では問題かと」

「わかっているよ。お前に言われずとも」

 リタリエナの言葉にユーデルカは鼻を鳴らし、手元の箱を小さな塔の模型に変形させた。遅延も瑕疵もなく、複雑で精緻。それを都市単位でいとも簡単に成し遂げるのが、ユーデルカの〈とうげんきょう〉たる所以だった。


「よいかな」

 柔らかで澄んだ声が円卓を撫ぜた。そのひと言で、一同はそれぞれの考えのもと口を噤んだ。

せいてんきょう〉パルグレモ・ミ・ゴトラッレ。星塵術の創始者、アルバレスク・ラヌスの後継と謳われる星の予言者。その言葉は人々に選択を促し、国の行末さえも左右し得る。

「では後日、ぞくいんに正式な通知を送るといたそう」

 パルグレモは微笑み、幾何学模様の浮かぶ瞳を薄く開いた。


 魔術師の最高峰、帝国術理協会。

 そこに座す五人の枢機卿を指して、人々はこのように今代を言い習わした。


 ――魔女の時代、と。

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世界の光を殺すまで〜悪役令嬢と七人の姉〜 伊島糸雨 @shiu_itoh

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