第14話 2番Aメロ 1
事故から一ヶ月ほどが経ち、カズフミとの共同生活? にも慣れ始めた頃。田舎の母から電話が掛かってきた。
「夏奈。体の調子はどう?」
「もう平気だよ。お母さんは、変わりない?」
「ありがとう。変わりないわよ」
母は近所の人の話や、家の裏にある小さな畑の話。テレビ番組の話なんかをしたあとに、少しだけ改まった口調になった。
「あのね。この前、お父さんの昔のお友達が訪ねていらしてね」
「え、友達⁉」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。これは驚きの情報だ。どうしてかと言えば。父の知り合いが訪ねてくるなんて、まず、ありえないからだ。どうしてあり得ないかと言えば。自慢にもならないが、籍を入れて間もなく父が亡くなってから、義母親はうちの母のところに知り合いが訪ねてくることさえ良しとしなかった。どんな風に言って周囲の人たちを母から遠ざけたかは知らないが、父と関わりのある人は、誰も母のもとを訪れることはなかった。母にどれほどの寂しい思いをさせれば気が済むのか知らないが、とにかく義母親という人は、徹底して母から父に関する全てを遠ざけ取り上げていた。
「とっても忙しい方だから、まさか訪ねてきてくれるなんて思いもしなくてね。お母さん、昔に戻ったみたいに嬉しくなって、はしゃいじゃった」
タイムスリップしたように乙女のような可愛らしい声で楽しげに話す母に私まで嬉しくなる。だって父の知り合いが訪ねてきたっていうことが、まず信じられないことだし。母が嬉しそうにしてくれると私も嬉しくなる。
「それでね。近々、夏奈に会いたいっていうの」
「私に? どうして」
「お母さんも知らなかったんだけどね。お父さんね、生前いつか生まれてくる子供のことについて、そのお友達に話していたことがあったらしくてね。その事で、会いたいって。忙しさにかまけて、こんなに時間が経ってしまって申し訳ないって謝るものだから、こっちが恐縮しちゃったわ」
確かに、かなりの時間が経っているよね。生まれてくるなんて話していた子供は、とっくに成人してアラサーだ。
忘れた頃にやってきたお友達は、父からどんな話を聞かされていたのだろう。父との思い出などほんの少しもない私には、なんの想像もできない。
「どんな人なの?」
私の質問に、母はなぜか可愛らしい笑いを零した。
「会えばわかるわよ」
想像もつかない相手だから、ほんの少しでも何かしらの情報があればと思ったけれど、母の小鳥のような笑い声はまるでクリスマスのプレゼントでも待っていて欲しいというようなお楽しみ感覚満載なものだから、それ以上の質問はできなかった。
「会う日にちが決まったら、また連絡するわね」
「うん。わかった」
「そういえば、夏奈って腕時計はしていた?」
「就職したころに安いのを買ったけど、最近はスマホがあるからしてないかな」
「そうなのね」
「どうして?」
「素敵な時計を見つけたから、どうかなって」
楽しげに話す母の姿は、電話越しでも容易に想像できた。きっと、父の友達が訪ねてきたことが相当に嬉しかったのだろう。父との思い出を共有できる相手に会って、懐かしい話に花が咲いたのかもしれない。
「かーちゃん元気だったか?」
通話を終えるとカズフミが訊ねる。
「うん。いつもと変わらず、元気そうで安心した」
「夏奈のかーちゃんは、しとやかでいて明るく可愛らしいし。好感の持てるかーちゃんだよな」
「随分と詳しいじゃない」
「ん? ほんとだな」
自分が言ったことなのに、相変わらず返答は首を傾げながらの他人事だ。
カズフミの次元は、どういう創りになっているのだろうか。お腹が空いたり痛みを感じたり、そういったことはなさそうだけれど。テレビを観てはゲラゲラ笑うし、音楽には陶酔するし。余計なことはべらべらと話すけど、突然現れたと思ったら同じように急に姿を消す。そのことについて訊ねても本人は無自覚で、なぜそうなるのか解らないというのだからこっちも知りようがない。記憶に関してもそうだ。初めて病室に現れた時は、自分のことがなんにも解らない、ただのミュージシャンだったはずなのに。私と会話していくうちにイギリスブーツのことも、それをくれた先輩のことも思い出していった。何か私がカズフミに関わることを話せば、記憶も芋ずる式に思い出される気はするけれど、何をどう話せばいいのか解らない。そもそも、本人は自分のことを思い出し、知りたいと考えているのだろうか。このまま、何も知らなくても特に支障はないような素振りには見える。ただ、私なら自分が何者でどこから来て、どんな風にこの世を去ったのか知りたい。カズフミは、違うのかな。それを知ってしまった時、カズフミは成仏するのだろうか。カズフミは、成仏したくないから知ろうとしないのだろうか?
考えを巡らせていたら、私の手元をのぞき込みながらフワフワと目の前に浮いているカズフミの頬が緩んでいることに気がついた。
「それにしても、俺のタイプだ」
気づかぬうちに手いたずらで、スマホに収まる母との写真を開いていた。写真の母は、体型を維持しているせいか、同じ年齢の人と比べれば若々しくて可愛らしい。それに、どの写真にも笑顔で映っている。悲しげな顔を全くしないわけではないけれど、母イコール笑顔と言うくらいいつだって明るいのだ。そんな母の明るさに、私は沢山救われてきた。学校で嫌なことがあっても、悲しい出来事があっても、擦りむいた傷に涙しても。母の笑顔のおかげで私も笑うことができた。そんな母親を褒められるのは嫌ではない。嫌ではないのだけれど……。
「ちょっと、人の母親をやめてよね。てか、あんた幽霊でしょ。いくら未亡人だからって、無理だから。えっ、まさか熟女好きなの?」
「いや、おい、熟女好きって……。俺はっ――――」
キッと睨みつけるように捲し立てると、カズフミは怯んだようにして身を引きながらブツブツと白がどうのとこぼしていた。
それにしても、幽霊相手に一体何を訊いているのやら。
「俺は自分の好みを言っただけだろう。俺が生きてたら……、口説いてたろうな」
生きていたらのところで私の目を見ながら哀しげな表情をするものだから、言葉に詰まってしまった。しかしそのすぐあとには、腕を組んで真剣な顔をするものだから本気で慌ててしまう。私にとり憑くだけではなく、うちの母親にまで被害を広げるわけにはいかない。カズフミ自身が成仏したいかしたくないかなんて、暢気なことを言ってる場合ではないかもしれない。これは、早めにお祓いしてもらうべきだ。
「本気でやめて」
ジト目で釘をさすと、言い返してきた。
「どうせ叶わねーんだから、言わせろよ」
強気に出られても。
「無理、無理っ」
自分の母親を好きだなんて言われて、平常心でいられますかって。しかも、相手はこの世の者じゃないのよ。この世の者だとしたって、私よりも年下の売れないミュージシャンなんて勘弁だから。断固としてお断りよ。
「俺のドストライクなんだよ」
どんなに切なげな瞳をしたって駄目だ。幽霊相手に、情に流されている場合ではない。
「だから、やめてって」
ビシッと指をさすと、カズフミは肩を竦めながらも未だ私たち母子が映る写真を眺めている。
ったく。幽霊に母親のことを女として褒められたって、嬉しくもなんともない。
大学の長い夏休みに出かけた浜辺での写真には、母が太陽の光に反射する波間を眩しく見つめている姿があった。近くで笑顔を浮かべている私は、買ったばかりの真っ白なワンピースに身を包み。母と同じように眩しさに目を細めていた。
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