第11話 1番サビ 1

 快気祝いと称して宮沢が飲みに誘ってくれたのは、出社から五日経ってからの週末を目の前にした金曜日だった。初日に仕事がなくて凹んでいた自分を鼓舞し、なんとか以前のようになろうと必死だったから、息抜きに誘って貰えたのはありがたい。因みに、成果はと言えば、残念なことに胸を張れる結果は出ていない。


 繁華街にある、サラリーマンが好んで集まるようなダイニングバーの店内で向かい合い坐っていた。店は賑やかで、とても活気がある。


「首、だいぶいいんだろ?」


 宮沢は、頼んだビールを気持ちいいくらいに煽り、口元についた泡を無造作に指で拭っている。


「強引に動かなければ大丈夫」

「しっかし、ついてないよな。事故に遭うなんて」


 お通しのポテトサラダを頬張る宮沢は、まるで自分のことのように溜息を吐き出した。


「まー、命が助かったのは、ついてるといえばついてるけどね」


 皮肉に顔を歪めながら、今日も朝からずっとついて回っているカズフミをちらりと一瞥した。カズフミはさっきから私と宮沢の間をフワフワと浮かびなら、この状況を興味深げに観察していた。


 少しくらい距離をとりなさいよ。いくら、私から離れられないとはいえ、こんな目の前にフワフワ浮いてなくてもいいのに。落ち着かないでしょ。遠慮して、少し遠くから眺めるという考えはないの?


 そう目で訴えかけてみても、ん? なんて顔をされ全く通じない。


「死んだら元も子もないでしょ」


 私の気持ちを汲みとることのできないカズフミに、あえてそう言葉にすると大袈裟に肩をすくめている。


「欧米かっ」


 カズフミの態度に思わず声に出してしまったら、目の前の宮沢が変な顔をしてから。


「そのギャグ古いし、今のどこにかかってるんだ?」と苦笑いを浮かべられてしまった。


「ごめん、ごめん。気にしないで」


 慌ててヘラヘラしながら誤魔化した。自分にしか見えないということを忘れてはいけないのに、どうにも視界に入るし突っ込んで欲しいようなことばかりするから敵わない。


「俺さ。澤木が事故に遭ったって聞いたとき、心臓が止まるかと思ったよ」


 宮沢は眉㞍を下げたあとに、らしくないくらい優しい目をした。


 宮沢とはずっと同期として支え合ってきたし、何でも言い合える仲だ。男と女というよりも戦友としてやってきたから、そんな顔をされてしまうとどうしていいのかわからなかった。手持無沙汰のようにジョッキに手を伸ばし、ゴクリと喉を鳴らす。


「入社して以来、ずっと一緒に頑張ってきたやつが。急に目の前からいなくなるかもしれない。そう思ったら、いてもたってもいられなくなってな」


 宮沢はぎこちないほどの苦い顔をして、再びジョッキに口を付けた。


 人なんて、簡単に消えてなくなるのかもしれない。当たり前のように毎日目覚めて、当たり前のように仕事をして食事をして、こうやって同僚とお酒を飲んでる。だけど、それはけして当たり前なんかじゃない。


 カズフミのことをチラリとだけ見た。カズフミがどんな風に亡くなったのか知らないけれど、突然喪われてしまった命は戻ることはない。だから毎日を大切に生きなければいけないのに、人間というのは日々の忙しさにとても大事なその事をすぐに忘れてしまう。私だってたまたま助かっただけで、本当ならカズフミと同じようになっていたかもしれない。


「そうだ。澤木。あの日、誕生日だったろ」

「よく憶えてたね」


 真美ちゃんが入社してきてから、彼女が毎年誕生日になるとランチをご馳走してくれるけれど、今まで宮沢からその手のことについて触れられたことなどなかった。


「真美ちゃんから聞いたよ。先輩に誕生日ランチを奢ったその日に事故なんて、私のせいでしょうか~。なんて涙ながらに言うから、慰めるのに苦労したよ」


 真美ちゃんにランチを奢ってもらうたびに事故に遭っていたら、毎年入院になってしまう。


「ああ見えて、気にしいのところがあるんだろうな。なにより、澤木のこと一番に心配していたのは真美ちゃんだし」

「え。そうなの?」

「あの真美ちゃんが、ショッピングを途中で放り投げて病院に駆け付けたんだぞ」


 いやいや。なんかものすごくいい話にしようとしているけど、ショッピングと天秤にかけられてるのってどうなの。


「ま、俺もかなり焦って病院に飛んでいったけどな」


 私が運び込まれてから目覚めるまでの間に、たくさんの心配や焦りがあっただろう。色んな人に迷惑をかけたことを思うと申し訳ないし、情けなくなってくる。


「その節は、大変なご迷惑とご心配をおかけしました」


 丁寧に言って頭を下げる私を見て宮沢が笑った。誕生日が命日にならなくて、ホントよかった。


「そうだ。快気祝いもだけど。このあとケーキでも食いに行くか」

「深夜にケーキ?」

「ほら、昔一緒に入ったちょっと高級な喫茶店があっただろ。あそこなら、美味いのが食える」


 高級? 一瞬首を傾げたけれど、宮沢の顔を見ていて思い出した。


「ああ、なるほど。あそこね」


 宮沢が言うちょっと高級な喫茶店とは、入社してしばらく経った頃、たまたま二人でお茶をしに入ったお店だった。


 大学を卒業し、仕事という新しいことに頭を使い目を回し。営業先まわりでは、体をクタクタにしていた私たちは、ちょっと喉を潤す程度の軽い気持ちである喫茶店に入った。ところがその店は、きちっとした身なりのおじさまウエイターが、丁寧に接客をする高級喫茶店だったのだ。


 リクルートスーツを卒業したばかりの私たちにしてみたら、場違いも甚だしくて回れ右をしたくなったけれど。折角だから、いつか堂々と入れる日のための予行練習だなんて宮沢が言うから、そのまま入店し席に着いたのだ。


 やたらと緊張しながら、コーヒーを飲んだことを思い出す。大きな声で話すのも憚れるようなクラシックな作りで趣のある店内に、宮沢と顔を寄せ合いこそこそとしながら会話をしたっけ。そして、いつかこの店に見合うような自分たちになったら、また来ようと話していたお店だった。


「懐かしいね。コーヒー一杯に、千円もしてさ。お給料少ないのに、目ん玉飛び出るかと思ったからね」

「俺もだ」


 当時のことを思い出し、ケタケタと声を上げて笑った。


「そろそろ、あの店に見合う俺たちになってると思うんだけど、どうだ?」


 得意気な顔の宮沢に笑顔で同意をし、懐かしさに頬が緩んだ。


 目の前のビールジョッキに手を伸ばし、一気に煽る。怪我をしてからというもの、アルコールから遠のいていたせいで、酔いが回るのが速い気がしていた。


「仕事。また少しずつ澤木に引き継いでいくからな」


 アルコールにフワフワッとしてくる脳内の心地よさを感じているところへ、当たり前のように宮沢が言った。


「え? そうなの?」


 驚いた。今までの営業先はすっかり私の手から離れてしまったと思い込んでいたのだから。


「そりゃあ、そうだろ。そもそも、あれだけの得意先抱えてても、しっかりこなしてこられたのは澤木だからだ。その辺、部長だってわかってる」

「なんか、嬉しいな」


 驚きに呆然としたあとは、しみじみと言葉を零した。宮沢はまたあの優しい笑みを浮かべながら話を続ける。


「みんな、まだ澤木の体を気遣ってるんだよ。なんのことはないなんて顔でお前の仕事受け持ってても、内心ではみんな心配してるし気を遣ってる」


 知らなかった……。そんな風に思ってくれているとは気づきもしなくて、仕事を取られたなんて落ち込んでる自分の考えは浅はかで心がない。てっきり仕事だからと割り切って進めているとばかり思っていた。


 会社の中の歯車が故障すれば、それを外すのが当然だろうと自分に言い聞かせていたから、みんなの思いを知ってじんわりと胸の奥が熱くなる。


 私と宮沢の話を黙って聞いていたカズフミが「よかっじゃねぇかよ、夏奈~」と、嬉しそうな顔で言ってくれた。


「7か9か判別のつかない数字を書く真美ちゃんだって、ああ見えて澤木のこと気遣ってんだぞ」

「え、嘘でしょ? 今日もめちゃくちゃ笑顔でコピーお願いします~って、山のような書類を渡されたけど」

「だから、それは澤木に無理をさせないためだよ。ま、手始めに、そろそろ真美ちゃんの抱えてる案件、引き取ってやれよ。先方さんにうまく説明できなくて、テンパってるらしいぞ」


 真美ちゃんがそんな風に気遣ってくれているなんて考えもしないで、私はなんて心の狭い人間なんだ。そうだ。今度は私がお礼にランチをご馳走してあげよう。


「みんなに感謝しなくちゃね」


 心底そう思い、胸を熱くさせたその傍から「感謝の心は大事だからな」なんて、偉そうな言葉が頭上から降ってくる。私の方が年上なのにっと、上から目線のカズフミのいる宙を睨みつけたのだけれど。よくよく考えたら、実際の年齢は私よりもはるかに上かもしれないのよね。なら、上から目線でも仕方ないのかな?


 そうは思っても、やんちゃな顔つきでラフすぎるロックスタイルのカズフミを見てしまえば、年上などという感覚はどうしても持てないので、その考えは却下することにした。


「どうした?」


 宙に浮いているカズフミを睨みつけた私を見て、宮沢も同じように上を見た。


「あ、ううん。なんでもない」

「目つき悪くなってたぞ」

「え……、嘘。ほんと?」


 ヘラッと笑みを浮かべて誤魔化してはみたけれど、悪くなっていたと言うより、カズフミを睨みつけていたのだから当然だ。私の仕種に宮沢が不信感を抱くのではないかと窺ったけれど、特に気にしている風でもないのでほっとする。


「営業まわりが成功する前でよかったな」


 なんて一言を付け加えたカズフミは、睨みつけられたことを気にも留めず、ふわふわゆらゆらお気楽だ。


「このあとケーキも食うんだろ?」


 私の隣に座り込むカズフミは、もっともらしい顔つきをする。


「こりゃあ、ツーサイズアップだな」


 真横から余計なことばかり言われて、何度も言い返しそうになったけれど、我慢、我慢。文句言いたげな私を見て楽しんでいるカズフミのニヤニヤ顔を極力見ないようにしてビールを口に運んだ。


 帰ったら、ただじゃおかないから。


 この場で言い返せない私は、どうやり返してやろうかと、料理を口に運びながら鼻息荒く思案した。

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