第10話 1番Bメロ 6
頼まれた書類を手にしながら、一気にテンションが下がり表情も暗くなる。コピー機の前に立ち、セットした書類が同じリズムで吐き出される音をただぼんやりと聞いていた。
結局、出社した初日に私がしたことといえば、電話対応と休みに関係する総務への提出書類と、真美ちゃんから頼まれたコピーだけだった。
新入社員より仕事してないよ……。
「なんだよ、落ち込んでんのか?」
肩を落としながら休憩室でコーヒーを淹れていると、誰もいないのを見計らってカズフミが話しかけてきた。
「これが落ち込まずにいられる? 確かに物理的な席はあったわよ。だけど、私の持ってた仕事、全部他人の手に渡っちゃったじゃない」
「そう、怒るなって」
ドードー。と家畜でも扱う勢いでカズフミが宥める。
プリプリと怒りながら、窓際のカウンター席に腰かけた。窓の外はまだ明るくて、十階から見下ろすと人がとても小さく見える。数えきれないほどの人が行き交い、せわしなく仕事に追われ勤しんでいる。事故の前は、私もあの中の一人だったはずなのに。今では、手持無沙汰になるほどの仕事量だ。明日から、どんな顔をして出社しよう……。
「仕事なんて、これからどうにでもなんだろ」
空いた隣の席に腰かけたカズフミは、触れもしないのに肩を抱くような仕草をして私を慰めた。
いい男でも気取っているのだろうか。けれど、スタイルがダメージジーンズにヨレたTシャツとスカジャンでは、この場にそぐわな過ぎて滑稽でしかない。
元気づけようとしてくれるカズフミに向かって、盛大にため息を零した。
簡単なことではないのだ。あれだけの仕事を手にするのに何年もかかった。自分の足で営業先に何度も通い。お気に入りのヒールの踵だってたくさんすり減らした。女だからと舐められたことだって数知れない。それでも笑顔を絶やさず、小さなミスさえしないよう信用を築いてきたんだ。そうやって手に入れてきた営業先が、あの事故で一瞬にして自分の手からなくなってしまった。これが落ち込まずにいられるかって。
「少しずつなんて、のんびりしてらんないのっ」
吐き捨てるようにしてから、コーヒーに口をつける。変わらない味にほっとしつつも、変わってしまった自分の立場に背中が丸まる。
「じゃあ、取られた仕事を取り返せばいいだろ?」
「簡単に言わないでよ」
あれやこれやと提案してくるカズフミに、仕事のことなんて何も知らないくせにと八つ当たりしてしまった。
怪我をしたから引き継いでもらっていたのに。怪我が治ったので、もう結構ですから私の仕事を返してくださいなんて軽薄なやり取りなどできるはずがない。社員同士だって信用で繋がっているんだ。突然仕事を休んで迷惑をかけたというのに、そう都合よく元通りになんてできるわけがない。
大きなため息を吐きそうになったところで、カズフミが人差し指をピンと立てた。
「んじゃあー、新しい仕事を取るしかないな」
さっき私の肩を抱くようにしていた両手を今度は胸の前で組んで、うんうんと頷いた。
新しい仕事を、とる……。
「確かに」
今までの得意先が人の手に渡ってしまったのなら、新しい得意先を見つけるしかない。簡単なことでないことは解る。けれど、今の私はそうするよりほかに道はない。クヨクヨしている時間があるなら行動だ。
「たまにはいいこと言うじゃないよっ!」
勢い込んで目を輝かせると、たまには余計だと言い返されて笑ってしまった。
カズフミにやる気を煽られた私は急いで自席に戻り、商品を売り込む新しい営業先を思案する。ネットで店舗を検索し。口コミを探り。今まで足を延ばすのを躊躇っていた小型の店にも行ってみようと考えてもいた。個人経営はわりが少なくて嫌煙されがちだけれど、そんなことを言ってる場合ではない。ほんの少しだっていい、契約を決めたい。
売り込み先の店舗や住所を次々と検索し、プリントアウトする。A4用紙にズラズラッと並んだ社名を見て一つ頷いた。
これだけお店を回ったら、スーツのサイズダウンなんてあっという間じゃない?
用紙の上から下まで並ぶ会社名や店名を眺めて思う反面、これだけ回ってもだめかもしれないという気弱な思考もちらついて、少しテンションが下がった。
「やる前から弱気になってんのか?」
小憎らしいことに、図星をついてくるカズフミを睨みつける。
「冗談じゃない。私を誰だと思ってんのよ」
「澤木夏奈」
誰がフルネームの話をしたのよ。いちいち突込み甲斐があるから思わず笑ってしまった。
「これでも役職がついてるんだから。このままでは終わらないよっ」
そう。終わらないというよりも、終わるわけにはいかないんだ。
やる気がみなぎり悦に入っている私を見て、カズフミも何故か一緒になってやる気充分な表情をしているからおかしくなってしまった。
お祭り騒ぎのようにはしゃぎ、明日は忙しくなるぜ。なんて張り切るカズフミの姿に、私の表情筋は絶えず緩みっ放しだ。自分のために一生懸命になって考えてくれて、喜ぶ相手がいることがとても嬉しかった。
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