第9話 1番Bメロ 5

 出社当日。事故に遭って以来、生理現象以外ほぼベッドの上から動かなかったおかげで、私の体は大変なことになっていた。


「えっ!」

「どうした⁉」


 クローゼットの傍で焦った声を上げる私に反応したカズフミが、慌てたようにスゥーッと現れた。


「ちょっと着替えてんだから、見ないでよ!」

「いや、だって素っ頓狂な声を出すから」

「そ、そうだけど」

「で、どうした」


 カズフミは、扉一枚隔てた向こう側に移動してから訊ねた。


「スカートのホックが届かない……」

「太ったのか?」


 何の躊躇いもなく露骨に言うカズフミにグーパンチを食わらせてやりたいが、いかんせん相手は幽霊だ。カスリもしない。握った拳をワナワナと震えさせながらも、一先ず息を吐き出し気持ちを静める。


 どうやら。ほぼ動かず食べては寝てを繰り返していたおかげで、私の体にはまんまと脂肪という輩がまとわりついてしまっていたようだ。


「どーしよう……」

「どうにもなんねーだろ」

「あのねぇ」

「つーか。女は、こうちょっと丸っこいくらいが丁度いいんだ。触り心地もいいしよ」


 扉の向こう側で、両手で丸みを作っているだろう姿を想像し、エロ幽霊めなんて思う。


「カズフミにそんなこと言われても、なんの慰めにもならないから」


 さっきまでチャレンジしていたスカートを諦め、再びパジャマのズボンを履いてから、閉めていた扉を勢いよく開けて文句をぶつけた。


 この世に存在しない異性に何を言われたところで、太った私でもいいなら付き合ってよ。とバカな冗談さえ言い返せない。


「年齢を重ねるとね、一度ついたお肉はなかなか取ることができないのよ。学生の頃みたいに、私何食べても太らないんですぅ〜なんて、口元に手を持っていって笑うことさえできないわっ!」

「怒るなって」


 私の勢いに気圧されて、ヤレヤレなんて顔をする。


「女って大変なんだな」


 しみじみ言うカズフミを睨みつけて、クローゼットからどうにか緩めにできているスーツを見つけて着替えた。


 さて、ようやく戦闘開始だ。


「帰りに、スーツ買わなきゃ」

「そこは、痩せる努力じゃねーんだな」


 ヒールを履く私にぼそりと零すカズフミを睨みつけ、バッグを持って駅へと向かう。久しぶりの満員電車に乗り込むと、まだ治りきっていない首に圧し合い圧し合いする人たちの圧がかかり痛みが走った。カズフミはと言えば、電車内の荷物棚に横になり、乗客が置いた鞄と共に悠々としている。混雑とは無縁の姿に羨ましさを感じた。



「おはようございます」


 久しぶりの出社にほどよい緊張感を持ち、挨拶をしながらフロアに踏み込んだ。中は事故に遭う前と変わらず、朝から活気づいている。


 うちの会社は、文房具の発案と製作、販売をしている。大人向けの物ももちろん扱っているが、私が担当しているのは子供向けの商品だ。使いやすく、かつ可愛らしく、カッコ良く。色なんかにも凝っているけど、少ないお小遣いでも手に要れられるようなものも製造し卸していた。カラフルで可愛らしい定規や、芯の折れにくいシャープペンシル。子供の力でも楽にできる、可愛らしい鉛筆削り。子供が乱暴に消しても破れにくいノート。消しカスがまとまる消しゴム。宝箱みたいに沢山の蓋がついた楽しい筆箱。


 私の仕事は、そんな子供向けの文房具の売り込みだ。パンフレットに印刷された物以外にも、実際の商品をサンプルとして持参して説明をし仕入れてもらっている。


「あー、せんばーい。お帰りなさーい。もう大丈夫なんですか? 首、平気ですか? 事故に遭ったなんて、本当にびっくりしたんですよぉ〜」


 いの一番に駆けつけ、甘えた声で心配をしてくれたのは、後輩の真美ちゃんだ。数字の、7と9を似たように書いたあの人物だ。


 今日もセミロングの髪の毛が艶々と綺麗で、真美ちゃんの仕種に合わせて軽やかに揺れている。お化粧も薄すぎず濃過ぎず、飾られたネイルも清楚だし、スーツとヒールのコーディネートもばっちりだ。相変わらず女子力レベルは高い。それに比べて私はと言えば、首が治りきっていないのもあるけれど、太ったおかげでサイズアップしてしまった地味色のスーツに、営業に行っても悪目立ちしないようなシンプルなデザインの履き慣れたヒール。爪は飾りっ気もなく、化粧はそれなりに頑張ったけれど、ちょっと眉をはっきり描き過ぎたように思えて気になっていた。真美ちゃんの隣に並ぶと引き立て役にしかならない。できれば、ずっと隣にはいたくない。


 真美ちゃんのお洒落なところを、少しは見習った方がいいだろうか。仕事に邁進し過ぎてなりふり構わずきたけれど、これを機に少し女を磨く努力もしてみようかな。だって、アラサーだから。まだ二十代と気持ちに胡坐をかいていたら。気がついたときには三十、四十となっているかもしれない。いつまでも独り身です。仕事にかけています。なんてばかりも言っていないで、ちょっとぷよってきたこの躰を何とかしなければならない。


 今までは仕事が忙しすぎて、就業後にジムに寄るだのヨガに通うだのなんてことをしている余裕はなかったけれど。悲しいかな、もしかしたらこの先はそんな余裕ができてしまうかもしれない。そうなれば、持て余した時間にせっせと脂肪燃焼する時間を設けられる。そう前向きに考えてはみたものの、休んでいる間に仕事がなくなっているかもしれないことを想像すれば凹まずにはいられない。


「事故の時の見積もり、バッチリカバーできてますから」


 張り切って報告してくれる真美ちゃんと一緒に自席へ行く。


 いやいや、カバーって。カバーしてくれたのはきっと……。


「澤木、もういいのか?」


 同期の宮沢がやってきた。病院に運び込まれてから、一度見舞ってくれた宮沢だ。今日もまごうことなく爽やかだ。


「色々ありがとね」

「まだ、痛むんだろ? あんまり、無理すんなよ」


 爽やかに白い歯を見せると、宮沢は自席に戻っていった。今日もとても忙しそうだ。スーツ姿がこれほど様になる男もそういないだろう。磨かれた革靴は、靴底がすり減っていることもなく、身なりに気を付けていることがよく解る。


「いい男じゃねーかよ」


 ここへ来るまでずっと黙っていたというのに、急にカズフミが話しかけてきたから思わず反応しそうになってしまった。しかし、無視だ。ここで何か言おうものなら、誰もいない場所に向かって話す痛い奴になってしまう。頭を打っておかしくなったとは思われたくない。そうなったら、仕事がなくなるどころか会社に籍がなくなってしまう。カズフミには、目配せで反応しておいた。


 上司や他の社員にも挨拶をし、久しぶりのお仕事再開だ。まずは、メールチェック。パソコンを立ち上げて、たまりにたまったメールを確認していく。十日も休むと、仕事が溜まりに溜まっているかと思いきや。やっていた仕事の大半が、他の社員に振られていることがわかった。


 それはそうだよね……。って、ブルー入ってる場合じゃないよ。早いところみんなから引き継いで元に戻さないと。


 向かい側の席に座る真美ちゃんに、自分の担当会社について確認を取ろうと話しかけた。すると、ほぼ他の社員。主に宮沢が対応してくれていた。


「先輩は無理しないでくださいね。あ、手が空いてたら、これコピーしてもらってもいいですか」


 真美ちゃんは、束になった書類の原本を机越しに差し出して満面の笑みを見せた。つられて口角を上げたけれど、内心では焦りに心が落ち着かない。あれこれとやっていた自分の仕事は、この休暇中に全て他の人の手によって進められていた。そりゃあ、一週間以上もそのまま放置できるはずがないのだから当然の処置だとは思うけれど、虚しいことこの上ない。私が頑張って取ってきた営業先は、今後他人の手によって推し進められていくのだ。そして私に課せられた仕事はと言えば、大量のコピー。カズフミが言うように、この先はお茶くみコピーなんていう、ひと昔前のOLみたいな仕事しか与えてもらえないのかもしれない。


 私、ここにいる意味あるのかな……。

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