第8話 1番Bメロ 4
母がいた数日、カズフミは姿を見せなかった。親子水入らずの時間に気を遣ってくれていたのかもしれない。いや、待てよ。気を遣うってなに。おかしな考えをし始めている自分を改める。気を遣うどうこうではなく、出てこないのが自然なのだ。いつの間にか、カズフミが出現することを受け入れている自分に驚いてしまう。
一週間滞在した母が田舎に戻ると、入れ替わるようにカズフミが現れてチョロチョロし出した。もうこのまま出てこないのかもとホッとした部分もあったから、やっぱり出てくるのねとスケスケのイギリスブーツを睨みつけてみたりする。けれど、なんだろう。一人ではない空間というのは、案外悪くないとも思ってしまうから、私の後遺症は事故の怪我だけではないかもしれない。
母が大量の作り置きをしてくれたので、有り難いことに暫くはまともな食事ができる。
「何かあったら、いつでも連絡してきなさいね。夏奈は、我慢しすぎるところがあるから。私はあなたの母親なんだからね、少しくらいわがまま言いなさいよ」
見送る際のその言葉に、思わずホロリときたのは言うまでもない。
それにしても、カズフミだ。ロッカーのノリと言うのだろうか。カズフミのノリは、明るく調子が良くて、でも滑稽だった。それは、長年。といってもどれくらいあの事故現場に浮遊していたか知らないけれど、この時代を生きてこなかったことを理解させる。おかげで、色んなものに興味を持って質問してくるから面倒臭くてならない。
テレビが薄いとか、東京タワーよりデカイあれはなんだとか。そこへ連れて行けだとか。最近の音楽は、なっちゃいないだとか。ツェッペリンを聴け。なんて言って、ギターを弾く真似までしてみせる。
「ツェッペリンなんて、よく知らないし」とあしらったら「ツェッペリンを適当に扱うんじゃねぇよ」とぶつくさぼやいていた。
「どうでもいいけど、着替えたりお風呂に入ったりする時は、絶対に見たりのぞいたりしないでよ! これでも、嫁入り前なんだからね」
カズフミは大好きなツェッペリンを軽くあしらわれて、不貞腐れたようにしながら言い返してきた。
「俺がそんな無粋なことするかよっ……。そんな犯罪者みたいなことしねぇから安心しろ」
腕を組んで憤慨しているが、そもそも幽霊としてここに存在しているというだけで安心なんて言葉は使えないはずだ。
まったく。スリッパの一つも持って、スパーンっとはたきながら突っ込みたいところだけれど、スカスカではやりようもなくて諦めるしかない。
事故に遭ってから十日。病院から貰った診断書を持って、明日は久しぶりに出社をする。入社以来、こんなに長く休暇を取ったことなどあっただろうか。あまりに時間が経ち過ぎて、仕事場に入った時の雰囲気を想像すると緊張してきた。
安静にしていた十日間は、いろいろと考えた。同僚の宮沢には心配するなと言われたけれどそういうわけにもいかない。必死になって仕事と向き合ってきたおかげで、それなりに重要な仕事を任されているのだ。今回、後輩の数字を見誤るなんていうどうしようもないミスをやらかし、しかも事故に遭って十日間も休むなんて。私が上司なら、今まで任せていた仕事の半分は取り上げるだろう。
会社側にしてみれば、ゆっくり体を治すようにと言う名目もある半面、やはりこれだけ休んでしまうと仕事の流れを切ってしまうわけだから、それなりの処分ともいう対処をする必要があるだろう。
後輩が増えていく中で、任される責任の重さも増え、判断力も問われるようになっている。今までは、中間管理職なんて、あっちに気を遣いこっちに気を遣いで大変だ。私がいないと、誰が上司のしわ寄せをカバーし、後輩の間違いを正し、仕事を進めていけばいいのだ。そう思って食らいついてきた。けれど事故に遭い入院し、会社を休んで初めて思い知らされた。いないならいないなりに、仕事というのは回っていくものなのだと。そして、どんなにあくせく働いてきた実績があろうと、社員は会社の歯車の一部でしかないのだと。
ああ、虚しい。出社して席がなかったらどうしよう。不安になってきた。
ベッドに横になりながら、明日のことを考えると落ち着かないし気分も沈む。しかも、このむち打ちというのは曲者で、ベッドから起き上がるだけでもまだ痛みが出るのだ。
「無理しねー方が、いいんじゃね?」
フワフワと近くを浮遊しているカズフミが、ベッドにいる私を見ている。
「わかってるけど……」
痛みに顔をしかめたまま、再びベッドに頭を戻した。
苦い顔をしたまま横になっていると、空中で胡坐をかきながらカズフミが心配する。
「まだ、しばらく休んでた方がいいんじゃねぇの?」
ベッドから頭を持ち上げるだけで痛みが走るのだから、ゆっくりできるなら私だってそうしたい。だけど、席がなくなったら困るのだ。私には、仕事しかない。特に熱中するような趣味もなく。副業できるような別のスキルも持ち合わせていない。今の会社に骨をうずめる覚悟で、入社してからずっと必死に頑張ってきたのだ。その仕事がなくなったら、途方にくれるし路頭にも迷う。一人きりの身内の母に心配だってかけるし、迷惑だってかけてしまう。
「OLなんて、お茶汲んでコピーしてりゃあなんとかなるんじゃねーのかよ」
「あのね、カズフミの知ってる時代と今では全く違うの。今は、女性だってバリバリ働いて、責任のある仕事を任せてもらうこともあるんだから」
「ヘェ〜」
特に関心もないのか、カズフミが軽い相槌を打つと突然テレビが点いた。リモコンを触ってもいないのに、突如流れ出したCMに驚いて体が跳ねあがった。
「なっ、なに!」
それ以上の言葉も出てこなくて痛みに首を抑えながら固まっていると、カズフミがすまなそうに苦笑いを浮かべた。
「わりぃ、わりぃ。なんつーか、テレビでもつけて夏奈の気を紛らわせてやろうかと思ったら、なんだか知んねぇけどリモコン操作ができるようになった」
相変わらずの適当な謝り方と、他人事のように自分のことを話すカズフミを見れば、彼の目の前には確かにリモコンがあってフワフワと浮いていた。
「ちょっと、突然やめてよっ。驚くでしょう」
驚き過ぎたあとは苛立ちが浮上し、強く言い返してしまう。おかけでまた首が痛い。イタタタ。
突然ついたテレビでは、CMのあと番組の間にやる短いニュースが流れていた。日本でナンバーワンだと称されている大手時計メーカー。グランディーの社長が、世界のトップファイブ入りしたと柔和な顔つきで喜びを語っていた。それほど腕時計に興味はないけれど、ここの時計はデザインも機能性もいいので、いつか買いたいとは思っている。
そんな短いニュースが終わると、図ったかのようにさっきニュースで流れていた時計メーカーのCMが、昔とても流行った音楽と共に画面に現れた。バックで流れている音楽は、今の若者でさえよく知っているほどに売れ、未だにこうやってCMや番組のテーマ曲に使われている。
「さっきのって、念力?」
グランディーのCMが終わるのを機にテレビから視線を外し、浮遊したままのカズフミとリモコンを見た。手も触れず、まして近づくこともなくテレビのスイッチを入れたカズフミは、他人事のように今自分がした行動に自分でも驚いたと、とぼけたことを言って笑っている。
「念力なのかなんなのかわかんねーけど、これっくらいのことならできるみてーだぜ」
自分でも驚いたくせに得意気に言うと、リモコンを空中で回転させたあと、あっちこっちに移動させて見せる。
「テレビのリモコンを動かしたのは、初めてだけどな」
得意気な顔を向けられてもね。
いくら驚かされたとはいえ、私の不安な気持ちを思い遣ってのことだから、それ以上強く言うこともなく。その後は二人でテレビ番組を鑑賞した。カズフミは、バラエティ番組に出ていたお笑い芸人のやり取りをとても気に入ったらしく、ケタケタと声を上げて笑う。あんまり楽しそうにして笑うものだから、普段見ることのない番組だったけれど、私も一緒になって声を上げて笑った。
誰かと一緒に過ごし、同じものを見て、同じように笑うなんてずっとなかったな。こんなに楽しいことだったっけ。
お腹に手をやりながらケタケタと笑っているカズフミの横顔を窺い見る。透けている足元さえ見なければ、本当に普通の人間と変わらない。目に見えて話もできて、幽霊だなんて思えないくらいナチュラルにここに存在している。けど、母にはもちろん。看護師にも他の人にもカズフミの姿は見えないし、声だって聞こえない。これだけはっきりと自分の前に存在しているというのに不思議でならない。
カズフミがテレビに気を取られている隙に、そっと手を伸ばす。私の手はカズフミの身体をすり抜ける。病室で看護士がカズフミの身体を通り抜けてしまったように、手は彼の体に触れることなく空を切った。
「だよね……」
何をやっているんだと、自分自身に肩を竦めた。
もしも相手が幽霊ではなかったら、この関係ってなんなのだろう。年下だろうミュージシャンのカズフミ。現実に、どこでどうしたらこんな相手と出会えるかわかりもしない。けど、ひょんなことから実際に生身の人間として会い、意気投合したとしたら。私はカズフミとの関係をどう続けていただろうか。
未だテレビを観て声を上げるカズフミの貧相な姿に、幽霊でなかったらとっくに追い出してるか……、なんて再び肩を竦めた。
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