第7話 1番Bメロ 3
「それにしても、どうして私にとり憑いたわけ?」
そうよ。何も誕生日を記念するみたいに、とり憑かなくてもいいのに。霊感も何もない私に憑いて、何の意味があるのよ。
「どうしてって訊かれても、俺にもサッパリなんだ。ずっと考えてるんだけど、どうしてなのか全くわっかんねぇんだよ。わかってんのは、夏奈から放れらんなくなってることと、生きてた時の記憶がないってことだ」
「はぁ?」
自分のことだというのに、何もわからないというこのふざけた幽霊に、つい呆れた声を出してしまった。
「でも、今パンクバンドの先輩のこと教えてくれたじゃない」
「ん? あ、本当だな。夏奈に訊かれるまで、少しも思い出したことなかったぞ。今訊かれたら、どうしてかスラスラ応えることができた。不思議だよな」
他人事みたいに応えるカズフミを一瞥してから、呆れて溜息を零した。
なんなのよ、この幽霊は。幽霊って、みんなこうなの? 初めての体験過ぎて、わからないことだらけだわ。
諦めの溜息を吐く。
「あの交差点にいた時は、ただ毎日そこいるってだけで。何かあるわけでも、誰かに気づかれるわけでもなかったんだ」
カズフミは、訥々と語る。
なるほど。あの交差点で浮遊霊として存在していたってことね。そこで私の事故が起きてしまい、とり憑いたってこと?
「なのに、今はここに、と言うか。夏奈のそばにいる。夏奈が俺の相手をしてくれる」
そこでカズフミは、なんとも嬉しそうに口の端を大きく持ち上げて笑顔を作るものだから、愛らしい顔もできるのね、なんて憎まれ口が浮かんできた。
「夏奈と出会って、夏奈と話をすることで、少しずつ俺は俺自身のことを思い出すのかもな」
生まれたてのヒヨコのように擦り寄ってくるカズフミは、満面の笑顔がお得意のようににっこりとした。人懐っこく振舞う姿は、ほんとうに幽霊なのかと疑いたくなるけれど、足元を見てしまえばスケスケのイギリスブーツが見えるし、フワフワと浮いているのだから間違いない。
ニカッと笑うカズフミの顔は、二十代と言うよりはもっと子供らしく無邪気で純粋に見えた。悔しいが相手を探るようなところが全くないから、こちらも素直に受け入れてしまうほどだ。過去の記憶がない分、心が擦れていないということだろうか。
「ただいまー」
カズフミとやり取りをしているところへ、母が買い物袋を提げて帰ってきた。咄嗟に、早く消えてっ。とカズフミのいた方を見たのだけれど、口を開く前にその姿はすっかりなくなっていた。
「何か言った?」
買い物袋から食品を取り出しながら、母が訊ねる。カズフミとの会話が、聞こえてしまったのだろう。母にしてみればただの独り言に聞こえるわけだから、頭がおかしくなったと思われたら大変だ。また、病院へ逆戻りなんてことになりかねない。しかも、今度は科が変わるかもしれない。
「な、なんにも」
思わず動揺してしまった。
「脳は異常ないのよね。でも、ちょっと心配ね」
ぶつぶつと独り言を言っている娘を心配する母は、セカンドオピニオンで別の病院でも診てもらった方がいいかもしれないわね、なんて言っている。
お母さん。そんな心配はご無用です。単に、しょうもない幽霊が見えてしまっているだけなので……。て、それが問題なのか。
「大丈夫だから」
心配する母にそう告げると、冷蔵庫を開けながら「ビールしか入ってないなんて、ちゃんと食事してるの?」と小言を言われた。
ビールの他に入っているのは、牛乳と加工品くらいだから何の反論もできない。
一人暮らしをしていれば、健康に気を遣っている者か、料理をすることが好きな者でなければ、一人分の食事を作るというのは面倒でしかない。たまに気分が乗って、色々作ることもあるけれど。それだって、結局は余らせてしまい冷凍庫行きか、何日も続けて同じものを食べるしかなくなって辟易してしまうのだ。量を考えて作ればいいのだろうけれど、勢い余ってついというのが私の悪い癖だ。おかげで、コンビニやスーパーの総菜を買って帰る始末。しかも、値引きシールなんて貼られていたら、ホクホクとしてしまう。これではいつまで経ってもお嫁になどいけないかもしれない。母に伴侶を紹介し、孫の顔を見せてやりたいのは山々だけれど、現実問題として難しいのが現状だ。
そんな娘に美味しいものを食べさせようと、母が張り切りキッチンに立った。自前のエプロンを用意してきているところが正に天然。事故に遭った娘のところへ駈けつける際に、エプロンを手にしてくるなどという母親はなかなかいないだろう。
なんだかんだと小言を言いながらも、母は料理を始めてしまえば鼻歌が出る。歌うことが好きで私の知らない曲を口ずさんでいた。いつだったか、誰の曲なのかを訊いたことがあったけれど、ふふなんて可愛らしく笑って誤魔化されてしまった。きっと、アイドル的歌謡曲歌手が歌うPOPSではないかと思っているのだけれど見当もつかない。
田舎に住む母は夫である私の父を早くに亡くし、今は大きな一軒家に一人で暮らしている。数年前までは祖母も生きていたのだけれど、老衰で亡くなっていた。母を田舎に一人残しておくのは気がかりなので、何度かこっちに出てきたらいいのにと声をかけているのだけれど、数少ない父の思い出がある場所から離れたくないらしい。
父の澤木健吾は、私がまだ生まれる前に他界しているため、どんな人物だったのか詳しいことはよく知らないままだった。時々母から話を聞くだけで、写真も遺品もない。小さい頃は、父にまつわるものが何一つないことにそれほど疑問など抱かずにいたのだけれど。成長していくにしたがい、父親の写真が一枚もないということに、それはおかしなことではないのかと気づきはじめた。
母が話す父澤木健吾という人は、賑やかで楽しいことが好きで、心がまっすぐな人で、いつも母のことを一番に考えてくれる人だという。私を身籠った時もとても喜んでくれて、母のことを抱きしめ「ありがとう」と何度も言ったとか。
ただ、これはお祖母ちゃんが一度だけ教えてくれたことなのだけれど、父と母の結婚に、むこうのお義母さんは大反対だったという。それでも二人は聞く耳を持たず、父は私が母のお腹にいると知ってまもなく、婚姻届けを出しに行ったらしい。けれど、籍を入れた数日後に事故に遭ってしまい、父は私の産声さえ聞くことなくこの世を去った。それが本当なら、父も母も何て不運なことだろう。
そんな母が父のことを話す時は、とても穏やかで優しい顔をするものだから、どれほど愛していたかは知ることができた。
母は、ここまで生きてこられたのは、お腹に私がいたからだという。父が残した宝物の私がいたから、生きてこられたと何度も聞かされてきた。それは時に押しつけがましい時もあったけれど、ほとんどの場合が愛に満ちていて、私はそう言われる度に幸せな気持ちになったものだ。
「夏奈は、お父さんが残してくれた私の宝物よ」
母のその言葉が、今にとっては宝物だ。
父がいないということは、両親揃った家庭からしてみれば不自然な形に思えるだろうし。下世話な世間からしても、不自然なものなのだろう。でも、この世に生まれ出てからずっと父なしで生きてきた私にとって、この環境こそが家族としての普通だった。だから、それが歪だとか、悲しいことだと深く考えることはなかった。
「ありがとうね、夏奈」
不意に、母がキッチンからこちらを見て言った。
「何よ、急に」
「ちょっとね。怖くなったの。また、私のそばから大切な人がいなくなっちゃうって思ったら、生きた心地がしなかったのよ。だから、生きていてくれて、ありがとう」
母の言葉に、心臓がきゅっと苦しくなった。大切な人を事故で亡くしている母に、一人しかいない身内の娘がまた事故に遭っただなんて。生きた心地がしないのは当然だ。私は一体何をやっているんだ。離れている母に、こんな思いをさせてしまうなんて親不孝だ。
「心配かけて、ごめんね」
しんみりとしながら、その日は母の作ってくれた温かなご飯を食べ、温かなお風呂に浸かり眠りについた。
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