第6話 1番Bメロ 2

 部屋に戻り、荷物を置いた。母は、私がベッドに横になるのを手伝ってから、冷蔵庫の中を確認している。


「何もないじゃないの」


 食材が何もないことに呆れながらも、久しぶりに親子の時間が持てることを喜んででもいるようで、母の話方は少しばかり弾んでいる。


「近くにスーパーがあったわよね。ちょっと行ってくるわ」


 普段からのんびりとしている性格なのだけれど、家事はテキパキこなす母なので、荷物をサッと片づけたあとは、財布片手に出かけて行った。


 母が玄関を出ていくと、部屋はしんとなり。首の痛みに動くのが億劫で、テレビのリモコンを取ってもらえばよかったなと、真っ暗な画面に視線を送った。


 そういえば、スマホはどうしただろう。幻覚騒動で、破損しているかどうかの確認すらするのを忘れていた。


 営業先に向かう際に持っていたバッグは、母がベッドのすぐ近くに置いていった。ズリズリというように体を動かし、何とか手を伸ばしてバッグを拾いあげる。中を探ると、スマホに触れた。取り出してみると、バッテリーが切れかけているけど画面は破損していない。枕元にあるコードを差すと正常に作動する。どうやら大丈夫のようだ。


 充電しながら、届いているメッセージを確認していく。会社から何度か電話があり、宮沢や後輩の真美ちゃんからも電話やメッセージが届いていた。それらは、連絡の取れなくなった私を心配するものが多く。病院に運ばれたとわかって以降は、お大事にというように、気遣うものが多かった。


「人望があるんだな」

「ひっ!」


 突然耳元で聞こえた声に、悲鳴が上がる。いつの間に現れたのか、気がつけば私のスマホ画面をのぞき込むようにしてカズフミがいた。


「いやっ。なにっ。なんでっ! イタッ」


 言葉にならない驚きと恐怖に体が動き首に激痛が走った。


「あ、わりぃ。わりぃ。また驚かせちまったな」


 カズフミは当たり前のようにしてここに存在し、話しかけてくる。


「なん……で……」


 幻覚じゃなかったの? 気のせいじゃないの? リアルな夢だって言ってよ。見たくない、聞きたくない。話しかけないでっ。


 すぐにでもここから逃げ出したいけれど、怪我のせいで体が動かない。恐怖にぎゅっと目を閉じて、効き目がないとわかっていても両手で耳を塞いだ。目の前の現実から目を逸らしたくてブツブツと念仏を唱える。


 私がこんな風に恐怖に駆られているというのに、再び突如として現れたカズフミは気にすることもなく話を続けた。


「つーか。随分といいところに住んでるんだな。ОLっつーのは、儲かるのか?」

「つーか、つーか煩いのよ。話しかけないでよ。傍に来ないでよっ」


 酷く怯える私に、カズフミがとても悲しげな表情をした。そんな顔をされてしまうと、幽霊相手だとはいえ罪悪感を覚えてしまう。


 もう、なんなのよ。泣きそうな顔しないでよ。怖くて泣きだしたいのは、こっちなんだから……。


「あっ、あんたこそ、今までどこに行ってたのよ。って、違うか。なんでまた現れたのよっ」


 恐怖を振り切り、悲しげな顔に向かって、できる限り生きている人間に接するのと同じように話しかける。


 だって、幽霊の怒りを買ってヘタに呪われたらシャレにならない。事故ではむち打ちだけで済んだのに、呪い殺されるなんてまっぴらごめんだ。


 ガクガクと震えそうになる身体を必死で抑え込み、平常心を保つ努力をする。


「なんでって訊かれても。あんたから離れらんなくなってるみたいで、俺にもどうしたらいいのかわっかんねぇ―んだよな」


 頬の辺りをポリポリとかく仕草は、幽体なのに生きている人間と何ら変わりがない。それに、本当に困ったような顔をして眉㞍を下げているのだ。


「なんでもいいけど。お母さんのいる前で現れたりしないでよ。これ以上心配かけたくないんだからね」


 怯えながら言い返す私に、カズフミは胸を張った。


「わかった。その辺は大丈夫だ」


 何を根拠にそう言っているのか解らないが、カズフミの顔は得意気だし。サムズアップまでしている。


 ここに来るまで姿を見なかったから、やっぱりあれは私の幻覚や夢なんだと思い込んでいたところだったのに、なんでまた現れるのよ……。これは後遺症なのかな。あー、いやだいやだ。幽霊が見えるようになっちゃうなんて、どっかの安っぽい映画かドラマみたいじゃないのよ。


 私がこんなにも動揺し、悩んでいることなどてんでお構いなしに、カズフミはふわふわと室内を観察するように浮遊している。その足元は膝下辺りから少しずつ透けていて、足元なんかはもう本当にスッケスケなのだ。


 そんなスケスケの足元をよく見ると、安っぽいスカジャンやよれているTシャツとは明らかに違う、存在感のあるブーツを履いていた。欧米じゃないんだから、靴を脱ぎなさいよっ。と言いそうになったけれど、幽霊なのだから脱ぐ必要もないのかと一人納得した。


 ふわふわゆらゆら室内を浮遊しているカズフミという幽霊は、その辺にいる人間と言うか、若者と変わりがなく。足元さえ透けていなければ、私と同じ生きている人間に見えた。特に何か嫌がらせのようなことをするわけでも、呪い殺そうしているわけでもなさそうで、今のところ危害をくわえられそうな気はしない。


 そんなわけで。開き直って、彼との会話を試みることにした。もしかしたら、何らかの情報を聞けて、私から離れてくれるかもしれないからだ。と言うか、お願いだから成仏して。


「ねぇ。それ海外の有名なブーツよね。良いの履いてるじゃないのよ」


 靴にそれなりの金額を出せる人は、懐に余裕がある証拠だ。貧乏なのかと思わせて、実はお金持ってるとか? と言っても幽霊なのだから、今更お金どうこうなんて関係ないのか。


「そのブーツ。イギリス製でしょ」

「おーよ。よく知ってんな」

「まーね。それにしても、知ってる? それ、今は製造中止になってるのよ」

「えっ! ほんとかよっ」

「踵が丸いタイプは、もう買えないの」

「夏奈、詳しいな」


 急に呼び捨て……。


 馴れ馴れしさに頬が引き攣った。


「平紐っていうのがいいのよね。私。靴が好きなのよ」


 クローゼットの方に視線を送ると、フワフワっとした動きのカズフミがドアの奥に体半分を突っ込んで中を確認している。当然、ドアを開けて覗いたわけではない。


「すげー数の靴だな。足が何本あっても足りねぇじゃねぇか」


 一度に履くわけじゃないでしょうよ。という突込みは、痛みのせいか、幽霊相手のせいか面倒でやめた。


 と言うかこの数分の間に、私この幽霊を自然と受け入れてるんだけど。体半分壁の向こうに突っ込んでいる姿を見ても、当然のように黙認してしまったわ。


 こんな状況だというのに、自分が以外にも順応性が高いと気づかされた。


「これはな、パンクバンドを組んでる先輩のイギリス土産だ。俺は、ロンドンパンクよりツェッペリンやジミヘンのが好きだけどな。まーでも、ロンドンパンクもかなりいかしてんだぜ。セックス・ピストルズって知ってんだろ?」

「ああ、名前くらいはね」


 名前は解るけれど、どんな音楽かも何人でやっているのかも、どんな人たちなのかも、私にはまったくわからない。


 暖簾に腕押し状態の返事をすると、カズフミは不満そうな顔をした。


「チッ。話になんねーな」


 舌打ちっ⁉


 遠慮の欠片もなく名前で呼ぶし、舌打ちするし。なんなのよ、この幽霊。


「カズフミの言うように、本当にロンドンのお土産なら本物ってことよね。価値的には、ものすっごいと思うよ。スケスケじゃなければね」


 欧米人並みに肩を竦めると、恨めしげな顔をされてしまった。


 その顔、シャレにならないからやめて……。

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