第2話 1番Aメロ 1
規則的な機械音がする。テレビドラマでよく聞く、ピッピッピっという心拍数モニターの音だ。ハートマークが明滅を繰り返し、患者の容態を知らせてくれる。
リズムを刻む機械音と、シンプルな寝具に横たわる体。視界はぼんやりとしているし、頭もぼんやりしている。手を動かそうとしたけれど、どうにも重くて動かない。首を巡らせようとしたらひどい痛みに襲われ、ぎゅっと瞼を強く閉じた。何がどうなっているのか、回転の鈍くなっている頭で考えた。
そうだ、タクシーで得意先へ向かう途中、若葉マークに突っ込まれたんだ。あっ、見積もりっ。
「痛い……」
大事なことを思い出し、もう一度体を動かそうとしたけれど、やはり痛みでうまくいかない。すると、掠れて漏れた声に反応するように誰かの気配がした。
「……大丈夫か?」
声はとても優しくて、私のことを心底心配してくれている。痛みに閉じていた目を開けゆっくりと視界を巡らせると、突然ニュッと覗きこまれビクリと反応したせいで再び首に痛みが走った。
「痛っ‼」
激痛に顔を顰めながらも覗きこんできた顔を窺い見るが覚えがない。見知らぬ相手は、とても心配そうに眉根を寄せている。
誰だろう? 運転手ではない。見た目の年齢が若いからだ。私と同じくらいか、もしくは二十代前半くらいだろうか。運転手のおじさんは、どう若く見積もっても五十歳は過ぎていた。
「脳に異常はないらしいぜ」
心配そうな表情のまま、見ず知らずの男性が私の容態を教えてくれた。その口調は若者特有の軽さはあるものの、心配しているというのは充分に伝わってくる親身なものだった。
「体がすごく痛い……」
誰かもわからない相手だけれど、この個室には他に訊ねられる人もいなくて、彼との会話を自然と受け入れる。動かすことのできない自分の体に顔を顰め、一番痛みを感じる首の辺りに手を持っていきたいのだけれど、それすらも叶わない。
「むち打ちは、しかたねーよ。あんないきなり車体に突っ込まれたら、首もおかしくなるって」
むち打ち? そうか、だから首を動かそうとすると痛みが……。あとは、打撲というところだろうか。まさか、手足がなくなったりしていないよね。
最悪な想像をしたら、気分が悪くなってきた。かと言って、私の手足、ちゃんとある? とこの男性に訊ねて言葉を濁されたら、あまりのショックに息の根が止まってしまいそうだ。
自分の手足を確認するように、痛みに顔を顰めながらも右手左手。右足左足と、僅かに動かしてみる。感覚は、ある。
存在するだろう自分の手足に安堵してから、未だ心配そうに見守る男性に視線を向けた。偏食が多いのか、ガリガリの痩せた体。頬骨は少し張っている。肉付きがいいとは言えない顔つきだけれど鼻筋は通っていて、薄めの唇が心配そうに歪んでいた。髪の毛は茶色くて、とても傷んでいる。何度繰り返し染めているのだろう。
「あんまり無理しねぇほうがいいぞ。大きな怪我は、むち打ちだけみてーだけど、あちこち打ってて痛いだろ」
男性の言葉を聞いて、本当に手足はちゃんとあるんだと安堵した。ほっとすると、今度はこの気さくに話す若者の正体が気になり始めた。
「あなたは?」
ちょっとスカした感じの彼は、こなれたスカジャンの中に、ヨレヨレのTシャツを着ていて、ダメージジーンズを履いていた。見えた太ももはあまりに細く、お尻は骨しかないのではないかというくらいに小さい。椅子に座るときに骨が邪魔をして痛くないのだろうか。よければ、私のお肉を分けてあげたいくらいだ。
痛んでいる茶髪といい、服装といい、ロックな匂いがプンプンする。やはりタクシー運転手ではない。こんな人がタクシー運転手なら、その存在だけで車内がやかましくなりそうだ。
「俺? 俺は、ミュージシャンだ」
男性は、自信満々な笑みで応えた。
誰かという問いに、ミュージシャンとは……。真美ちゃんと似た匂いがする。
話が通じるタイプだろうかと、少しの不安を覚えた。
「えーっと。どうしてミュージシャンのあなたがここに? あ、もしかして、偶々現場に居合わせて救急車を呼んでくれたの?」
「バカ言え、俺にそんなことができるはずねーだろ」
バカ言えって何よ。やっぱり話が通じないタイプなの?
「怪我人を目の前にしてるんだから、できるできないの問題じゃないでしょ」
相手がどんな人物なのかまだ分かっていないというのに、あまりのお惚けぶりについ強い口調で言い返してしまった。おかげでむち打ちの首に響く。イタタタタ。
痛みに顔を顰めていると、巡回中の看護師が病室にやって来た。
「澤木さん。目が覚めましたか」
看護師は、窓側に立つミュージシャンとは反対側の位置にくると、私の腕を取って脈拍を確認した。看護師にされるがまま看てもらい、ついさっきまで話していた自称ミュージシャンのいた方に視線を向けたのだけれど、気がつけば彼の姿が見当たらない。
「あれ?」
「え? どうしました?」
疑問を口にする私に看護師が反応してくれたのだけれど、ミュージシャンの姿が見えなくなったことをうまく話すことができなかった。
さっきまでそこに居た……よね? 看護師と入れ違いに部屋を出ていった?
不自然な状況に困惑する。
見間違いなんてことはないよね? 言葉だって交わしたし……。
もしかしたら、事故の影響で脳に異常が出て、幻覚でも見たのではないかと思うと不安になった。目や耳にも異常をきたしているのかもしれない。
「誰か……居ませんでした?」
急激な不安に襲われて躊躇いながら訊ねると、看護師は一瞬何か考えたようだけれど、すぐに首を傾げて否定した。それから、母親が来てくれていることを教えてくれた。事故に遭ったことで、唯一の身内である田舎に住む母へ連絡がいったようだ。
お母さん、来てくれてるんだ。
遠くからわざわざ来させてしまったことに罪悪感を覚えても、家族がそばにいると思うだけで安心感に包まれた。
さっきまで自称ミュージシャンと名乗る男性がいた窓辺に視線だけを向けてみる。けれど、やはりそこには誰の姿もない。
事故のせいでぼんやりしてしまい、夢でも見ていたのだろうか。脳に障害が出ている、なんてことがなければいいのだけれど。
再び事故の後遺症に見舞われているのではないかと不安を覚えているところに、脈を取り終えた看護師が話しかけてきた。
「ちょっと待っていてくださいね。先生を呼んできますから」
看護師が一旦病室の外に出て、今度は医師がやって来た。そのあとすぐに母も看護師と一緒に病室にやって来ると、とても心配そうな表情をしながら後ろで控えるように医師の病状確認を見ていた。医師は聴診器を当てたあと、私の瞳を確認して頷く。
「澤木さん。検査の結果、脳や骨に異常はありませんでしたよ。丈夫な体に産んでくれたお母さんに感謝ですね」
さっきまでいたはずのミュージシャンの存在は気になるものの、脳に異常がないと言われたことにほっとする。しかし、脳に異常がないということは、さっき話した相手は夢や幻ではなく、存在していたということになる。私が気づかなかっただけで、やはり看護師と入れ違いに病室を出たということだろうか。身動きのとれない首のおかげで、自称ミュージシャンと名乗る彼の動きを視覚で追えなかっただけなのかもしれない。
その後は、看護師の話す入院中の注意事項や、心配する母の言葉に気を取られそれどころではなくなった。
「むち打ちは、しばらく安静にしていれば治りますからね。明日には退院できますが、お仕事は一週間ほど様子を見てからがいいかな」
医師の話を聞きながら、ベッドの傍に立つ母がほっとした顔をした。
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