6 さようなら、先生。こんにちは、結佑。
「つばき高速バス LT12」
「出発地 大阪・京都」
「目的地 バスタ新宿経由、東京ディズニーランド」
結佑は目的の夜行バスを発見した。バスの前にいた運転手と思われる男にこのバスに乗ることを告げる。
「お名前聞いて宜しいですか?」
「あ、伊東です」
「下の名前も聞いて宜しいですか?」
「結佑です、伊東結佑。」
「伊東結佑さま…ええっと…ちょっと待ってくださいね…。」
「あっ、ついさっき予約したばかりなんですが…。」
「そうですか…。あ、あった。はい。確認が取れました。伊東結佑さま、座席は3Dとなります。」
「3Dですね。はい、わかりました。」
登山用リュックの中に、上着を二着、下着を四着、タオルを五枚、財布、スマホと電源コードを敷き詰めて結佑は夜行バスに乗り込む。
そのバスはいつか乗ったことのありそうなバスであった。
土曜の夜行バスにいるのは、まだ大阪だというのにもうねずみの耳飾りをつけている大学生集団、ビニール袋に柿の種とカップ酒を入れているおじさん、スーツの上にジャンパーを羽織った会社員、おそらく高校生ぐらいの男の子と、結佑だ。座席にはまだ余裕があり、結佑の隣も空いていた。横になれるという安心感の反面、人が少しばかり恋しく感じる。それが女である必要はない。ただ肩が少し触れ合っている。それだけの温もりを。
どうやら大阪で乗るすべての人の確認が取れたらしく、運転手らしき人がバスに乗り込む。バックミラーで時刻を確認しているのが見える。そして鏡の中で皺だらけの手が横からマニュアルを取り出す。
「んんっ。えー、それではつばき高速バス LT12出発いたします。
途中、十一時三十分頃に京都で乗車いたしますお客様をお乗せします。その後十一時四十五分になりましたらバスは消灯いたします。
消灯後のスマートフォンのご使用は、周りのお客様の睡眠を妨げることとなりますのでご使用をお控えください。
えー、お手洗いは座席後方部にございます。常時使用できますが、消灯後は足元にLEDライトはございますが、大変暗くなっておりますので足元に十分お気をつけてご使用くださいませ。
また途中、五回ほどサービスエリアで休憩を挟みます。フロントドアに出発予定時刻を掲示しますので、それまでにはお座席にお戻りになりますようお願いいたします。
んんっ。最後に、本日はつばき高速バスをご利用くださいましてありがとうございます。短い時間ではございますが、どうぞごゆっくり快適なバス旅をお楽しみくださいませ。」
長々とした運転手の演説が終わり、結佑は危うく拍手しそうになった。周りの人間は運転手の演説に耳を傾けることなく、消灯前の今しかないと、スマホとにらめっこを決め込んでいる。
結佑は閉じ切っていたカーテンを開けて、外の景色を見る。
窓からは三日月が見える。それと、大通りに面した公園と、ショッピングモールの入り口。置きっぱなしの自転車とビールの空き缶。窓の内側から見る外の景色はなんだか趣深かった。どこにでもありそうな景色に、関西での二年もしていない教師生活と四年間の大学生活を重ねる。
京都で学校の先生になる夢をもらってからここまで一直線に教師をやってきた。助けられたことばかりで教わることばかりだが、未熟な結佑であっても助けれたこと、教えれたことはいくつかある。「授業で何言っているのかりかいできました!」と言ってもらったことから春樹に学校での生活を取り戻してあげたことなど。
初めて連れ添った林間学校そして修学旅行なんてのは、結佑にとっても新鮮なもので、この仕事に対して強いやりがいを感じた出来事だった。
ゆなに恵美、春樹、聡、陸、遥翔、圭、美優、…、湊、怜央、そして志保。そんな思いをかけた子たちに最後まで見てやれないのは、自分で過失を犯しておきながらだが残念に思う。もう二度とこのやりがいを感じることができた仕事に戻れないのもそうだ。
結佑は思う。
これがここでの最後の景色になるだろう。教員としても、住民としても。もう一度来ることなどできるだろうか…。引っ越すときには来るだろうが…、いや、捕まっているか。
いつも、僕の門出は誰もいない。そんなのは僕の門出がいつもまともではないからだということはわかっている。
「これだから僕は僕であり、いつまでたっても僕は僕のままなのだ。」
いつかは覚えていないが、同僚が僕に隠れて半笑いで言っていたことを結佑は鮮明に覚えている。
「あいつ、絶対に童貞だろ。」
「なんでいつまでたったって僕のことをわかりはしないのに、そんなことばっかわかるんだよ。まともなところに脳ミソ働かせろや、ボケ。」
そして結佑はいつか帰った道のりを今度は目的地にして壊走を始めた。
「もう誰も、僕を探さないでくれ。」
そのために結佑は遠く、遠くへ逃げる。多分違うが、あの夢が正夢にならないように。
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