荻野美晴

文武両道を掲げた進学校。運動部の殆どが全国大会出場経験をもち、芸術分野でさえ国内外様々な賞を得るような生徒がいる。

天才鬼才秀才たちがダース単位で存在している高校にも勿論全てにおいて中途半端な俺みたいな生徒は大勢いる。


 自分の才能のなさを嫌でも実感させられてしまうような高校に入学してはや一年。

 高校二年に進級した初日、よく分からないまま訪れた部室棟三階の文芸部室で風見晴人は背徳感と共感性羞恥なのか何なのか分からない感情を抱くその光景を前に呆然としていた。

 ただ一つ理解したのはそこには、萌え、があったということ。

 先生が言っていた猫ってこれのことかよ。

 

 部室の真ん中に猫が一人と一つ。


 かれこれ一分以上は無言で見つめあっている。


 視線をさらに奥、対面の壁の方へ向けるが何故かそこに窓は見当たらない。

 ここが学校である事を鑑みるに入り口対面の壁に窓があるのだろうことは容易に想像出来たが、本来窓があるだろうはずの一面には背の高本棚が立ち並んでいる。

 棚に並ぶのは濃青色やピンクやオレンジや緑の背表紙。いわゆるライトノベルと呼ばれるもので、様々な様相の背表紙が数百、もしくは数千と不揃いに並べられていた。

 一目だけで数えようが無いが、ライトノベルの壁と形容するに相応しいなんとも言えぬ迫力を感じる。



「にゃー」


 

 無音の空間に耐え兼ねたように鳴いたのは一人の猫。

 猫要素は猫耳しか無いのだが、彼女がにゃーと鳴いたのだから立派な猫であろう。

 足をルの字に曲げて座る彼女の左足首には厚くテーピングがまかれている。

 今朝遅刻してきたのはあの足が原因だろうか。

 もしかしたら俺があの時に捻ったのだろうか。


 彼女の手に抱かれた一つの猫。

 どこか不細工な三毛猫のぬいぐるみが彼女の肩口からこちらに視線を覗かせる。

「にゃー」

 彼女は再度鳴く。

 おそらく俺には気づいていない。

 こちらに背を向けたままぬいぐるみを掲げたり抱いたり揉んだりしている。

 頭上に掲げられた三毛猫と再び目が合う。

「にゃーにゃーにゃー」

 今度は三度続けざまに彼女ねこは鳴いた。

 本物の猫の声に近づけようとしているのか声音が甘えるような高く優しいものに変わる。


 何見てんだよ。


 彼女の手に抱かれた不細工な三毛猫に睨まれた気がして睨み返してみるが、鋭い目つきに気圧されてしまう。

 ぬいぐるみに負けそうになったことに驚きつつも、思わず一歩後ずさってしまう。

 だが、三毛猫なんかよりも俺の方が圧倒的にサイズがでかい。

 格闘技で階級の下のものが上のものに勝つのが難しいように、もしも奴がとびかかってきても負けはしないだろう。

 もちろん引っ掻きも噛むのも反則である。

 これで俺の勝利は揺るぎないものになった。

 大人気ないと思うかもしれないが勝てばいいのだ、勝てば。

 猫のぬいぐるみに俺が負けるわけない。

 俺にひれ伏せ猫。

 そう内心で毒を吐き再び三毛猫を睨んだ。

 それにいざとなれば靴ひもを抜きお前を赤子のようにじゃれさせてやることだって可能なんだ。


「にゃー・・・にゃ」

 彼女が背中から床に倒れ仰向けになった。

 だから必然的に俺の姿を捉える事になる。

「にゃーっっ!!」

 逆さに映った俺を見て彼女がまたもや鳴く。

 威嚇するような、そんな鳴き声に髪も逆立ってみえる。

「よ、よう。荻野。今朝ぶりだな」

 慌てて起き上がった荻野美晴はぬいぐるみを背中に隠すように持ち、片手でスカートを払いながら俺を睨んだ。

 今朝助けてくれた彼女の前から一方的に逃走してしまったから気まずさがある。

 どう接するべきかがわからない。

 そもそも会話するのすら恐らく初めてだ。

「なにかようかしら。あなたと違って私は暇では無いのだけれど」

 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか彼女は普通に話し出す。

「取り繕おうとする心意気は認めるが、猫耳付けたままだぞ」

「・・・忘れなさい」

 頬を羞恥に染めて猫耳を取る。

 乱れた髪を整えようともせずに猫耳のカチューシャも背中に隠して荻野美晴は俺を睨んだ。

「俺は萌えって大事だと思うぞ」

「この部屋には鍵が閉めてあったはずだけれど」

「あ、いやそれは」

 普通に会話を始めた彼女に驚きつつ、事情を説明しようとした所で話を遮られる。

人気ひとけの無いこの場所で貴方よりは人望がある私が貴方に襲われたと言っても疑う人はいないでしょうね」

「お前が猫耳つけてにゃーにゃー鳴いてたこと広めるぞ」

「なっ!貴方はやはり今朝死ぬべきだったわ」

「お前が助けてくれたんだろ」

「そうよ。そうよね。私は命の恩人なのだから私の言葉は貴方にとって絶対よね。なら記憶を消して今すぐここで息を引き取りなさい」

「記憶も消せないし、死ぬこともできないけど誰にも言わない」

 例え俺が、荻野美晴は猫耳をつけてにゃーと鳴く、なんて吹聴して回った所で誰が信じようか。

「で、何か用なの?」

 俺の回答に取り敢えず納得したのか荻野は話題を変える。

「禿時先生に本棚の整理をしてくれって」

「そう。それなら必要ないわ。だって貴方はもう」

 

 

 

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いつか世界に君のモノ語りを。 サトー缶珈琲 @takanashi1101

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