モブ宣告

 高校の入学から数えて二度目の四月の初週。

 

 つまり春だ。

 春が来た。


 昨年よりもはるかに辛く感じた冬の寒さがまだ記憶に新しいが、ようやく俺にも春が訪れようとしていた。

 

 どのニュース番組でも例年以上だの、何年に一度の寒波だのと、去年も一昨年も聞いたようなことをのたまうキャスター達を見て、これまた例年通りに多少の疑心暗鬼に落ちいっていた俺にようやく春が来たのだ。


 ついでにだが、約一月の休暇をあけて始業式当日も迎えてしまった。

 

 もうほとんど桜の花弁は残っていないし、入学式も卒業式も当事者では無かった俺が春に乗り遅れた感は否めないが、人生の春、つまりは物語でいう所のプロローグとか第一話とかそういうのに期待を抱きつつも僅かに勝る憂鬱さに思わず溜息をこぼす。

 その憂鬱さのうち軽く見積もっても三割は目の前にそびえるように続く長い登り坂に原因があったのだがそれについては今日の分はもうすぐ解消される。

 この上り坂には嫌な思い出がある。

 まだ大して時間も経っていないからか今でも鮮明に思い起こされる記憶。

 今思い出しても身もだえしたくなってくる俺の醜態。

 高校入試に臨むため会場である高校へ赴く道中にもこの道を通ったのだが、その日は厚着していても体がマヒしてくる感覚に襲われるような真冬日だった。僅かに溶け残った雪が氷のように固まっていて、そこで足を滑らせて転んでしまったのだ。

 周囲にいる目的を共にした学友、いや戦友とも言えよう彼ら彼女らからの外気よりも冷ややかな嘲笑が心に突き刺さった。

 幸いにもそいつらだけには負けるまいと鼻水を垂れ流しながらいつもの数倍の稼働率を見せた頭脳のおかげで入学できたわけだが、


 もうこの話はやめよう。

 朝からネガティブな気持ちになってしまうのは良くない。 

 辛い記憶を頭から無理矢理消し去り、せっせと足を動かす。

 

 背中にわずかに感じる汗の気配はこの暖かさのせいか、やけに長ったらしく眼前に続く登り坂のせいか。

 恐らく両方だと勝手に結論を出し、坂を進んでいく。


 理由はもちろん高校へ向かうためである。

 比較的緩やかな坂を通る別の通学路もあるにはあるのだが、今歩いているこの道よりも遠回りになるそちらを選択するならばもう十分、いや二十分は早起きをしなければならず、時間ギリギリに登校している現状から鑑みるにそんなことは到底不可能なわけで、つまるところやはり選択肢などこの坂を通る以外には存在していなかった。


 突如思い起こされた嫌な記憶に顔をしかめつつ、体に熱が籠るのを感じているとようやく頂上へと辿り着き、ジワリと浮かんだ額の汗を拭う。



 上がっていた息を強がるように無理矢理整え、僅かな酸欠に苦しんでいると渡ろうとしていた横断歩道上の信号がタイミング悪く赤に変わってしまった。

 信号を待つ時間は嫌いでは無い。一人で歩いていて街中で足を止めることなんて信号待ちか踏み切りが上がるのを待っている時くらいではないだろうか。都会やそれに準じる程度に人が多い街だと少し違うのかも知れないが、ここでは周りに人がいないから誰かの目を気にする必要ないのもいい。ただぼーっと信号を眺めたりしているだけで世間と隔絶されたような不思議な気持ちになってきて通学途中の憂鬱さも――――――。

 と、考えかけたところで遅刻ギリギリの時間であった事を思い出す。前言撤回。

 この信号待ちの時間は憂鬱さに拍車をかけていた。

 何秒待つかも分からない赤へ変わったばかりの信号を待つよりも動いて少しでも距離を稼ぐべきだと思い整えたばかりの息を再び切らして次の信号まで早足に歩く。だが、青の点滅を見て速度を上げたのも虚しく次の信号も俺が辿り着く直前で赤に変わってしまった。

 せっかくの俺のプロローグだというのに本当に今日はついていない。

 そんな祝うべき日に遅刻ぎりぎりで登校してしまう俺にも非はあるが、俺に降りかかり続ける小さな不条理や不幸はきっと世界が悪いのだと思う。


 規模感を大きく責任転嫁をして、信号を見上げる。

 

 信号は赤のまま。

 一向に変わる気配はない。


 左右を見渡してみても通行する車はいない。

 いっそ渡ってしまおうかとも考えたが俺の良心がそれを許さない。それにもしもこのたった一回のルール違反のせいでいざ死んでしまった時に異世界転生できないなんてことになれば俺はきっと女神の前で泣いてしまう。

「遅刻するぞ!」

「まっ、待ってよ!」

 だけど、思考というのは人それぞれのようで、俺の背後から騒がしい声と共にやってきた中学生らしい男子生徒二人は、依然として赤のままの信号を掲げる横断歩道にとびだしていってしまった。

 止めようともしたが、俺の陰の属性の影響により声を出すことができなかった。

 異世界転生できなくても知らないぞ、と彼らの背中に内心で声を投げかけるだけにとどめて睨むような視線を向ける。


「え」

 直後彼らの背中を見ていた俺の視界の端に車が映り込む。

 数舜遅れて道路上で彼らも車に気が付き硬直してしまった。


 高速化する思考。

 

 果たしてどうするべきだろうか。

 主人公になるかもしれない選択か。

 モブとして生き延びる選択か。


 本当に最悪だ。

 こんな無茶な選択を俺に迫らないで欲しい。

 まだ、主人公にならざるを得ない状況が良かった。

 更に欲を言うなら初めから主人公で居たかった。てか、ヒロインどこだよ。


 だけどこんなの決まっている。


 心ではいくら悪態を着いてみても答えは決まりきっていた。

 助けるべきだ。迷う余地なんてどこにもない。

 

 普段妄想ばかりしているせいだろう。

 この時の俺の思考に、現実的に考えて無理だろうといった類のものは存在していなかった。


 

 神様という存在がもしも居たならそいつは人間の事を愛してはいない。少しでも寵愛というやつを向けてくれていたならこの世界ももう少し超常にまみれていただろう。超常やヒロインの不在には俺が主人公じゃないからという前提は勿論考慮していない。

 だから、異世界に行けたとしてもなんの特殊能力も仲間も貰えないのではないかと少しこの先のことを不安視しながらも全体重をかけて地面を蹴る───はずだった。

 実際頭ではそうしているつもりだった。

 だが左足が僅かに前に引きずられるだけで動くことが出来なかった。


 ああ、結局俺も口先だけの人間だったのか。原動力になる大層なものなんて無く、ただ妄言を垂れ流していた俺は一歩踏み出す勇気すら持てずにただ呆然と立ち尽くすしか無かった。

 自責の念と自己嫌悪と劣等感と、あらゆる自分へ向ける負の感情が次々と湧き上がっていく。

 今まで何もしてこなかったのに何でいざそういった状況になったら行動に移せると思いあがったのか。


「死んじゃだめよ」

 立ち尽くす俺が二人を助けるために飛び出すとでも思ったのか後ろから腕をつかまれる。

 声からして女性だろう。冷たい印象を抱く声とは違い俺の手首を掴んだ手からは高すぎるほどの体温が伝わってくる。

 

 ああ、彼女のせいだ。俺が異世界転生のチャンスを逃したのも、主人公になり損ねるのも、彼女が俺を引き留めたせいだ。

 誰かのせいにしなければ感情がぐちゃぐちゃになってしまいそうだった。

 

 どうせ元から動けやしないくせにそんな言い訳を語りだした自分の内心に吐き気がした。


 





 

 極限まで引き延ばされた時間感覚の中で、限界まで見開かれた俺の視界にもう一人の男性の背中が追加される。

 俺の隣を飛び出すように駆けていったのは俺と同じ制服に身を包んだ男子生徒。

 気が付いたら体が動いていたというやつか。実に主人公らしくて、羨ましい。

 俺なんかとは違う。きっとヒロインとかがその内お前を囲むんだろうな。

 


 

 俺の物語のプロローグ目前でまたこの世界が、別の主人公が邪魔をする。

 この世界から、お前はモブなのだと突きつけられているようで心臓が痛くなる。


 男子生徒が飛びつくようにして中学生二人を突き飛ばす。

 ハンドルを大きく切ったワンボックスカーがこちら側へ逸れてどうにか衝突はせずに済んだようだ。


 運転手が何やら怒鳴っている声が聞こえる。


 息を吸っても上手く酸素を取り込めないような、そんな不快感を感じて頭が真っ白になった。




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