車内は禁煙です

「車内でタバコはやめてもらえますか」


 飯田は電車内でタバコを吸っている爺さんに注意した。


「うるせえなぁ」


 爺さんは面倒くさそうにそう言うだけで、タバコを消すことはなかった。

 その爺さんは七十ぐらいだろう。特にこれといって反社会的な感じではないが、頑固そうではあった。

 飯田はこれ以上言っても無駄と思い、それ以上はなにも言わずにいた。

 中途半端な時間に、営業に行くために乗っているので、車内は特に混雑はしていない。

 周りの人は関わりたくないという感じで、遠巻きにしている。

 その車両内は白く煙っていた。


 電車が駅に着いた。

 ぞろぞろと乗客が降りた。その爺さんも降りた。

 飯田はホッとした。


「あの爺さんなんなの?」

「ホント、いい年して恥ずかしくないのかしら」


 若い女の子の話声が聞こえてきた。

 飯田もそれにまったく共感した。

 最近の若者はって話は昔からあるが、年寄りだってどうしようもない者はたくさんいるのだ。

 飯田は、現在二十三歳で会社員をしている。先輩の中には良い人もいれば、良くない人もいる。それには年齢は関係なかった。

 飯田は、ごく普通のサラリーマンだ。取り立ててなにか取り柄があるわけではないが、人並みの正義感はある。

 今回、爺さんに注意したのは、それの表れではあったが、結果はこういうことであった。


 翌日、飯田は同じ電車に乗った。

 するとまた同じ爺さんがいた。またタバコを吸っている。

 しかし、飯田はなにも言わず、車両を移動した。

 しばらくすると、なにやらもめているような声が聞こえた。そのタイミングで電車が駅に着いた。


「おい、ジジイ! 降りろ!」


 若い男の声だ。


「なんだ! うるさい。俺がどこでなにをしようが勝手だろうが!」


 この声は老人の声だ。

 飯田は外をのぞいた。すると、少しワルい感じのニイちゃんとあの爺さんが言い合いをしていた。

 どうやら、タバコのことでもめたようだ。


「ジジイ、いい年してそんなこともわからねえのか! 電車でタバコなんて吸うんじゃねえよ」


「やかましい! 若造が!」


 やんちゃをしてそうなニイちゃんではあるが、なかなか正義感はあるようだ。

 それに対して、爺さんの方も強気であった。

 そこに駅員が来て、二人を引き離して、その場は収まった。


 それから数日、飯田はその爺さんを見ることはなかった。あれはたまたま二日続けて会っただけなんだと思っていた。

 しかし今日、またその爺さんを見ることになった。

 今回は、車内ではなく駅のホームだった。

 飯田が電車に乗ろうとホームに上がると、その爺さんはいたのだ。

 ベンチに座り、すでにタバコを咥えていた。当然ホームは禁煙である。周りの人はやはり関わりたくないという感じで、遠巻きにしていた。

 そこに電車が入ってきた。

 すると、その爺さんは、火のついたタバコを咥えたまま電車に乗り込んだ。

 飯田は少し移動して、離れたドアから乗ることにした。


 電車が動き出してしばらくすると、


「すみません。小さい子供がいるんで、タバコはやめてもらえますか?」


 と赤ちゃんを抱いたお母さんが、その爺さんに向かって言った。

 すると爺さんは、


「うるさい。そんな小さい子を連れて電車に乗る方が悪いんだ」


 と言うのだった。

 そのお母さんは、まったく想定もしなかった返答に絶句していた。

 飯田は、さすがにムッとした。そして、その爺さんの前まで移動した。


「タバコはやめてください! 車内は禁煙ですよ」

 

 と強い口調で言った。


「なんだと! この若造が。禁煙禁煙ってうるせえな。そんなの知るか」


 とまったく改める気はなさそうだった。


「でも、ルールですよ。みんな迷惑しているんです」


「誰が、迷惑してるって言うんだよ。タバコぐらいでガタガタ言いやがって」


 爺さんの態度に、誰もが腹を立てているようだったが、飯田に誰も加勢してくれなかった。

 飯田は、爺さんの持っているタバコを奪った。そして、床に捨て踏んで消した。


「なにしやがる!」


 爺さんが怒って立ち上がった。

 その時だった。

 電車が急ブレーキをかけた。その急ブレーキは飯田がこれまで経験したことがないぐらい強いものだった。そして、それは余程のことが起きたのだと感じるのに十分だった。

 キキーッと激しい音を立てて、電車が急に減速した。そのせいで乗っていた人は進行方向に飛ばされそうになるぐらいだった。そして一部の人は車内に転んでいる人もいた。

 よほどのことがあったのだろうと、車内はざわざわした。


「あっ」


 さっきの赤ちゃんを抱いたお母さんが言った。

 飯田はなにがあったのかと、お母さんの視線の先を見ると、そこにはさっきの問題の爺さんが倒れていた。

 どうやら、さっき立ち上がったタイミングで急ブレーキがかかったので、そのまま転んだのだろう。

 しかし、爺さんはその転んだところで動かなくなっていた。

 飯田が近づいてよく見ると、爺さんの側頭部から血が出ていた。

 おそらく急ブレーキで転んだ拍子に、側頭部を金属の手すりに強くぶつけたのだ。


 その後、電車はわりにすぐに動いて次の駅まで行った。

 そして、飯田は駅員に爺さんのことを報告した。駅員はすぐに救急車を呼んだようだ。

 しかし、飯田は救急車を呼んでも無駄だろうと思った。


 それからしばらくして、飯田はあの急ブレーキの原因をネットニュースで知った。

 そのニュース記事によると、あの時の急ブレーキは、線路内に巨大なガマ蛙が現れたせいだということだ。しかし、運転手が急ブレーキをかけた瞬間、そのガマ蛙は白い煙を残して消えたというのだ。

 警察も鉄道会社もその運転手の話は信用していないが、なにか線路内に大型の動物が侵入したので、とっさに急ブレーキをかけたのだろう、という見解だった。

 そして、その時に乗車していた七十代の男性が、急ブレーキのはずみで転倒し、頭を強く打って亡くなったと書かれていた。

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