クレームには注意
「なんだよ。こんなに細かい小銭をいっぱい渡しやがって。ちゃんと五十円は五十円玉で渡せよ」
ガラの悪い男は店先で怒鳴った。
「す、すみません」
梨々花は身体を震わせながら謝った。
「すみませんで済むかよ。客を舐めてんのか?」
「いえ、そんなことは……」
「じゃあ、なんでこんなことをするんだよ」
「いま、その、たまたま五十円玉がなくて……」
「そんなの用意しておくものだろうが!」
男は二人組で、梨々花が怖がっているのをわかって、わざと怒鳴っていた。
こうやって楽しんでいるのだ。
その状況を察して、奥から店長が出てきた。
「申し訳ありません」
店長はすぐに謝った。
「あん? お前、店長か?」
「はい、ホント、申し訳ありません。今後は気をつけますので、何卒」
店長はペコペコ謝っていた。
その姿があまりにも卑屈であったから、梨々花としてはどうしてそんなに謝らないといけないのかと思った。
「ふん、ま、今回は見逃してやるよ」
男二人はそれを言うと、注文した商品を持って店の奥へと消えた。
「たまにはあんなのもいるけど、気にしなくていいから」
店長は梨々花にそう言った。
梨々花は納得できない気持ちではあったが、次のお客もいたので気持ちを切り替えた。
***
「はあ、また今日もバイトか」
梨々花は憂鬱だった。好きで始めたバイトではあったが、そのバイトに行くのが楽しくない。
職場の人間関係は良好で友達もできた。店長もやさしいし、なんの問題もない。
ただ、ちょくちょくクレーマーが店に来るのだ。
「おはようございます」
「あれ、どうしたの、元気ないね」
梨々花がバイト先に出勤すると、店長の西田がそう言った。
三十過ぎの西田は明るくて元気な人だ。ハンバーガー屋の店長としては申し分ない。
「わかりますか? なんだか憂鬱で」
「憂鬱? どうかしたの?」
「実は、よくクレーマーが来るじゃないですか。あの人たちが来ると思うと、どうしても……」
「ああ、あいつらか。あんなの気にする必要ないよ。適当にあしらっておけばいいんだよ。もし相手するが無理だったら、すぐに俺を呼んでくれたらいいから」
西田は胸を叩いた。
「はあ、ありがとうございます」
梨々花はそう言われても、あまり気分は晴れなかった。
もともとお嬢様育ちの梨々花からすると、クレーマーのような人種に慣れていない。だから、初めてクレーマーに当たった時は、怖くて脚が震えたものだ。
梨々花はカウンターで接客をするのが仕事だから、いろいろな客がいるのは仕方がない。いや、むしろ梨々花はそれを求めてこのバイトを始めたのだ。
お嬢さん育ちなので、これまで周りがなにかと気を遣ってくれる生活だったから、高校卒業間際になって、社会勉強のつもりで始めたのだ。
そして、梨々花がカウンターで接客をしていると、この日もそのクレーマーが来た。なにかと文句を言うわりには、週に三日は来るのだ。
ガラの悪い二人組のニイチャンで、 ヒップホップ系の服装をしていて、目つきも悪い。
梨々花はその姿を見た瞬間緊張した。
「い、いらっしゃいませ」
梨々花はマニュアルどおりの対応をした。
男二人はハンバーガーのセットを注文した。
オーダーを通し、会計も終わり今回はなにもなく済みそうだった。
「ねえねえ、梨々花。またあの二人組来てるの?」
バイト先で知り合った友達、真美が小声で話しかけてくる。
ニイチャンは少し離れたところで、コソコソと二人で話しながら商品を待っていた。
「うん、また来たの」
「今回はなにも言わなかった?」
「いまのところは大丈夫」
「前はおつりの渡し方が気に入らないって文句言ったんでしょう?」
「うん、そうなんだ」
「男のくせに細かいわね。ホント嫌になっちゃうわ」
真美は眉をひそめた。
「でも、あれでもお客さんだから」
そんなやり取りをしていると、二人組の注文したものが出てきた。
二人はそれを持って店内へと入って行った。
「良かった。なにもなくて」
梨々花はホッとした。
いまは中途半端な時間帯なので、お客少ない。
梨々花のところに、店長の西田が寄ってきた。
「今日は大丈夫そうだね」
「はい、このままなにもなく帰ってもらえればいいんですけどね」
梨々花はあの二人組が帰るまで気持ちが落ち着かなかった。
「じゃあ、いま空いてるから、テーブルを拭いてくれる」
西田は梨々花に言った。
梨々花は布巾を持ってお客用のテーブルを順番に拭いていった。
すると、あのガラの悪い二人組の姿が目に入った。
梨々花は反射的に目を逸らした。
「おい、これピクルス入ってんじゃねえかよ!」
男の一人が梨々花に言った。
梨々花は思わず身体がビクッと反応した。
「え、あ、はい。なんでしょう?」
梨々花が恐る恐る言うと、
「ピクルスが入ってるって言ってんだよ」
と男はすごんだ。
そんなことを言われても、この店のハンバーガーはピクルスが入っているのが通常だった。
それなので、梨々花としてはクレームの意味がわからない。
「俺はピクルスが嫌いなんだよ! 食べてしまったじゃねえか」
男は食べかけのハンバーガーを床に投げつけた。
「キャア」
梨々花は思わず悲鳴を上げた。
客は少ないと言っても、多少はいるので、その客たちは何事かとこちらを見ていた。
そこに店長が走ってきた。
「なにか問題でもありましたか?」
「問題もなにも、ピクルスが入ってんじゃねえか!」
男が怒鳴った。
「はい、うちのハンバーガーはピクルスが入っています」
「俺はピクルスが嫌いなんだよ」
「それだったら、注文の時にそう言っていただいたら、はずすことはできますが、言っていただけましたか?」
「今回は言ってねえよ。でも、前に来た時に言ったんだから、覚えとけよ」
と男は無理難題を言った。ファーストフード店でそんなことができるわけもない。
それをわかって言っているのだ。
「梨々花ちゃんは、あっちで接客してて。ここは任せて」
店長の西田はそう言って、梨々花をその場からはずさせた。
梨々花は申し訳ない気持ちだったが、言われるままにカウンターに戻った。
「なんなの? あのクレーム」
真美が腹立たし気に言った。聞こえていたのだ。
「困ったわ。あんなのこと言われてもどうしようもできないし」
「あれはたぶん、ああやってクレームをつけて楽しんでるのよ。それか、ちょっとでもお金を払わせようって魂胆よ。絶対そうよ」
真美は怒りに震えていた。
真美はそう言うが、世間知らずの梨々花からしたら、そんな人がいるのかと不思議に思った。
しばらくして西田が戻ってきた。
「すみませんでした」
梨々花は頭を下げた。
「いや、いいんだよ。梨々花ちゃんが悪いんじゃないんだから」
「それで、大丈夫でしたか?」
「ああ、ま、その辺は、ね」
西田はあまり細かく内容を話したくないようだった。
そんな会話をしていると、例の男二人組は、店から出て行った。
「店長、もう限界ですよ。あのお客。警察に相談しましょうよ」
真美が言った。
「まあまあ、あれでもお客なんだしね」
「そうですけど、ずっとあの調子ですよ。今日で何回目かわからないぐらいです。クレームをつけるために来てるんですよ。絶対に」
「それは俺もわかってるんだけど、警察が動いてくれるようなことは、とりあえずしていないしねぇ」
「もう、店長は弱気なんだから」
真美はあきれ顔だ。
梨々花も、どうして店長がそんなに弱気なのかとは思ったが、そういう店長がやさしくて好きではあった。
数日後、またあの二人組が来た。
二人は今日もハンバーガーセットを注文した。
真美が注文を受けていたが、ここまでは問題ないようだ。
二人は注文した商品が出てくると、なにも言わずにトレーを持って客席へと移動した。
「なにもなかったね」
梨々花は言った。
「良かったわ」
真美もホッとした様子だ。
しかし、そう思ったのも束の間だった。
客席の方から、あの男たちが注文カウンターの方へと戻ってきた。
「おい、これピクルス入ってねえじゃねえか!」
男の一人が怒鳴った。
「え、お客さんはピクルスが嫌いだって、前に言っておられたので抜いておきましたが」
真美が答えた。
「バカヤロー。今日はピクルスが喰いたかったんだよ」
と食って掛かってきた。
「そんな無茶な。いい加減にしなさいよ!」
気が強い真美はついにキレた。
そこにすぐに店長の西田が来た。
「まあまあ、さあ、奥に行ってて」
西田はキレている真美を厨房の方へと行かせた。
真美は納得できないという感じでプリプリしている。
梨々花はその様子を横で見ていた。
「なんだよ。さっきのあの店員の態度は?」
「申し訳ありません」
「そんな謝り方で済むか。土下座しろ」
「え」
さすがに西田もすぐに土下座をしようとはしなかった。
すると男の一人がスマホを取りだして、動画の撮影を始めた。
「早くしろよ。土下座」
スマホを向けた男が言う。
西田はただ頭を下げるだけで、土下座はさすがにしない。
それを横で梨々花は、怒りに震える西田の横顔を見た。
やっぱり店長も怒ってるんだ。
梨々花はどうすることもできずに、ただ立ちすくむだけだったが、そういう店長にさらに好意を持った。
「土下座しねえのかよ」
「早くしろよ」
男二人ははやし立てるように言いだした。
店の他の客も何事かと見ている。
そして、男二人は店の外に出て、歩道で
「この店は注文したものを出さないひどい店ですよ」
と大声で言い始めた。
道を歩いている人は、その様子を遠巻きに見て通り過ぎた。
「ああ、どうしたらいいの?」
梨々花が困っていると、突然、巨大なガマ蛙がクレーマー二人の前に現れた。軽自動車ぐらいのそのガマ蛙は、歩道を占拠するぐらいの大きさだ。
「おい、なんだこりゃ!!」
「なんだよこいつは!!!」
クレーマーの二人組は、なにが起こったのかという感じであたふたした。そして、あまりのことに腰が抜けたようで、地面に尻をつけていた。
そして、店長の西田と梨々花は、あまりのことに思考が追い付かず、呆然とそれを見ていた。
クレーマーの一人が、
「お、おい、早く車に乗れ!」
と言って立ち上がると、二人は路上に停めてあったセダンに慌てて乗り込んだ。そして、エンジンをかける。
すると、巨大ガマ蛙はピョンと跳ねて、そのセダンの屋根の上に飛び乗った。
ガシャーンと大きな音とともに、セダンの屋根は潰れ、窓ガラスは飛び散った。人の乗るスペースは完全にペシャンコになってしまった。
ガラの悪い二人組は、自分たちの車の中で、押しつぶされる形になった。
ガマ蛙はゲロッとひと鳴きした。すると、そのまま消えてしまい、後には白い煙だけが残った。
「な、なんだったんだ、あれ?」
西田がボソッと言った。
「そうですね。なんでしょう?」
梨々花もなにかわかるはずがない。
それから、しばらくしてサイレンとともにパトカーが来た。
警察官に西田と梨々花は事情を訊かれた。そして、二人はありのままを説明した。
話を聞いた警察官は、まったく信じてる様子ではない。むしろからかっているのかとムッとしている。だが、他の警察官が周りにいた通行人に訊いて回っても、二人と同じことを言うのだった。
警察官の二人は、対処に困っている様子である。
救急車が来て、潰されたクレーマー二人を車から出した。二人とも血だらけでぐったりとしている。どうやら息はないようだった。
その後、男の一人がスマホで撮影していた動画が確認された。しかし、巨大ガマ蛙は映っていなかった。二人が大慌てで車に乗り込むところは映っていて、ガシャーンという音とともに動画は終わっていた。
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