女のプライドを丸呑み
立花佳織は自分の服をまるで見せびらかすように、草加早紀の前を歩いた。
早紀は先輩である佳織のことをよく理解しているので、
「今日も素敵な服ですね」
と声をかけた。
「あら、わかる。これはシャネルなの。奮発して買っちゃったわ」
佳織は嬉しそうに話した。
佳織はいつも高級ブランドの服を着ている。かなりの美人でスタイルも良いから、似合ってはいるが、それを鼻にかけているふしがあった。
同僚の男性からもチヤホヤされているし、そうされるのも無理がない美人ではあるが、早紀としては、それが鬱陶しくてならなかった。
仕事自体は楽しくやれているのだが、佳織の自慢話を聞かされたり、佳織におべんちゃらを言うのが苦痛でならなかった。
かと言って、興味がなさそうな顔をしていると佳織は不機嫌になるので、それなりに気を遣っておく必要があった。
「それにしても、立花さんはそういう服が良く似合いますね。うらやましいです」
普通の会社員ではとても買えそうにないものを、立花佳織はいくつも持っていた。
早紀は、きっと金持ちのパパでもいるのだろうと思っていた。
「あら、ありがとう。やっぱり女として少しでもきれいでいたいじゃない。そうなるとどうしてもこういうブランドを着るしかないのよね」
「はあ」
「あなたももっといい服を着た方がいいわよ。おしゃれも人生の楽しみの一つなんだし、それに仕事をする上でも、相手に舐められないためにも重要なことよ。私たちのような営業職の場合は特にね」
「そ、そうですね」
「あなたもシャネルを買ったらいいわ。今度一緒に買いに行きましょうよ」
「あ、いえ、私は……。そんなにお金もないですし」
「あら、お金のことなんて言ってちゃダメよ。若いんだから投資のつもりで買えばいいのよ」
「は、はあ」
とてもじゃないが付き合いきれない。
早紀はこのやり取りだけで疲れ切った。まだ出社したばかりだというのにだ。
「早紀ちゃんって彼氏はいるの?」
佳織が唐突に話を変えた。
「え、いや、いませんけど」
「あら、そんなことじゃダメよ。恋愛は女にとって最も大切なことなのよ。恋愛をしないなんて人生の大損よ」
別に恋愛をしないなんて言ってないんですけど……。
早紀は確かにいまは彼氏はいないし、そんなにモテるということもないが、これまでに一応の恋愛経験もある。
どちらかというと地味で目立たないタイプだが、毎日それなりに充実もしているつもりだ。
早紀は入社して二年目だ。大学を卒業してこの会社に就職し、ほとんど不満はないが、唯一の不満はこの立花佳織だ。
佳織は入社して配属された課の先輩で、二十七歳だ。美人で明るい性格ではあるが、とにかく自慢と傲慢さがあふれ出ていた。
早紀のことを後輩としてかわいがってはくれるが、とにかく早紀としては、この先輩の相手が苦痛でならなかった。
パワハラと言えるようなことなら会社に相談もできるが、パワハラのようなことは一切ない。
むしろ佳織は仕事上は面倒見もよく、やさしい先輩である。
仕事もできるし、周りの人との関係も良好だ。
特に男性社員の間では、かなりウケも良く、多くの男性社員が佳織を狙っているという噂だ。
だが、とにかく事あるたびに自慢話をするし、褒めてもらいたがるものだから、早紀としてはいつも気を遣っていなければならないのだ。
早紀もブランド好きで興味があるのなら、それほど苦痛には感じないのかもしれないが、早紀はまったくそういうものに興味がなかった。
普段からスーツはどこにでも売っているようなビジネススーツだし、化粧品も国内メーカーのごく一般的なものだ。バッグだってビジネススーツを買った店で一緒に買ったものである。
その点、佳織はエルメスのバッグを持っていた。どこにそんなにお金があるのか不思議でならない。
とても会社員が買えるようなものではない。
余程実家が金持ちか、やはり羽振りの良いパパがいると考えるしかなかった。
ある週末、合コンがあると佳織が誘ってきた。
「合コン、ですか?」
早紀は社会人になって初めて合コンに誘われた。学生時代は何度かは経験はあるが、それほど良い思い出はない。
「そうなの。私の元カレがやろうって言うのよ」
「元カレが、ですか?」
「そう。私って、別れた男と仲良くできるタイプじゃない。だから、いまも別れた人と連絡って結構取ってるのよ。それで、その元カレが彼女が欲しいから合コンをしようって言うからさぁ」
「は、はあ」
早紀からしたら、元カレと一緒に合コンをするという発想が理解できなかったし、そもそも佳織が別れた男と仲良くできるタイプかどうかなんて知らない。
「それで、相手は三人らしいから、こっちも三人で行きたいのよ。だから早紀ちゃんと私と、久美子で行こうよ」
久美子というのは佳織の同期で、ハッキリ言って見た目はイマイチの人だ。どう考えても佳織の引き立て役として連れて行くのが見え見えである。
早紀は見た目はそれなりにかわいいが、地味なので佳織のライバルにはならないと思われているのだろう。
「前に恋愛しないのは大損だって言ったでしょう。だから、早紀ちゃんもこれを機会にいい相手を見つけてよ」
佳織は早紀が断わらないと思っているようだ。むしろ逆に恩着せがましささえ感じられた。
早紀が合コンには興味ないが、佳織の雰囲気は断れるものではなかった。
「その合コンっていつですか?」
「今晩よ」
今晩行われる合コンに、その日の昼間に誘ってくるなんて、やはり断らない前提だったのだろう。
結局、その日、仕事終わりに合コンに行くことになった。
「さあ、久美子はこっちに座って。早紀ちゃんはここね」
合コン会場に着くと、佳織が席を決めた。
男性側はまだ来ていない。
会場はワインが多く置いてあるバルだった。佳織の元カレが予約したらしい。六人掛けのテーブル席が用意されていた。
大久保久美子は、ぽっちゃりした身体を佳織の指定した席に置いた。久美子は佳織の同期ではあるが、ほとんど佳織の言いなりである。自己主張もないし、おっとりとした性格なので、佳織にいつもいいように使われていた。
早紀も言われたままに座った。
「早紀ちゃん、頑張ってね」
佳織はそんな風には言うが、一番やる気なのは当人である。
自分が女性陣の真ん中に座って、どう考えても主役のつもりだ。
しばらくすると男性側が来た。
「よう、佳織。お待たせ」
佳織の元カレが明るく入ってきた。後ろに同じ年ごろの二人の男を連れている。
男三人も席に着いた。
佳織の元カレはそれなりに見た目は良かった。爽やかで明るい性格は好感が持てたが、早紀からすると少し軽い印象であった。
他の二人も、それなりにカッコいい。だが、その二人も軽いノリで、早紀の好みではなかった。
だが、佳織は気に入ったのか、すぐに浮かれていた。
そして、久美子は案の定、誰にも見向きもされていなかった。
早紀は心苦しかったが、どうすることもできない。
「さあ、飲もうか」
佳織の元カレの一声で注文をし、乾杯をした。
そして、一時間もすると場はかなり温まった。
とは言っても、盛り上がっているのは佳織と男三人だけだ。
久美子はほとんど話しかけてもらえないし、早紀はそもそもこういう場が苦手だ。
「早紀ちゃんってかわいいね」
佳織の元カレが言う。
「あ、ありがとうございます」
早紀は対応に困った。
「ねえ、私のかわいい後輩の早紀ちゃんには手を出しちゃダメよ」
佳織がそんなことを言った。
だったらなんで合コンに連れてきたのよ。
早紀は別に手を出して欲しいと思っているわけではないが、納得できない気分だった。
「誰か久美子の彼氏になってあげてよ。この子、自分から中々積極的に行けないからさ」
佳織が言うのだが、男どもの反応は鈍い。
早紀は久美子の気持ちを考えるといたたまれなかった。
「立花さんってきれいですね」
一人の男が言った。
「そんなことないわよ。私なんて。オホホホ」
佳織はそんなことを言いながら満更ではない。
男側もそれはわかっているのだろうが、美人であるのは事実なので悪い気はしていないようだ。
結局、最後は男どもが佳織をほめたたえる形で合コンは終わった。
佳織は男二人と連絡先を交換していた。
早紀にも男は連絡先を訊いてきたので、一応交換はしたが、早紀はやり取りをする気はなかった。
そして、店を出た。
佳織はかなり酔っぱらっていた。
調子に乗って飲み過ぎたのだろう。足元がおぼつかない。
それを見て、男どもが我先にと送ろうかと言ってきたが、佳織はどういうわけか早紀に送って欲しいと言った。
状況的に早紀も断れなかった。ここで断ると男の誰かが送ることになるのだ。さすがにそれはまずいと思った。
早紀はタクシーを止めて、佳織と乗り込んだ。
久美子も誘ったが、一人で帰りたいと歩いて行ってしまった。
タクシーが動き出すと、佳織は急にシャキッとした。
「ああ、楽しかった」
「あれ、立花さん、大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ。あれぐらい飲んだぐらいで、そんなに酔わないわ」
「でも、さっきは?」
「ああ、あれは男を試したのよ。誰が私を送ろうとするかなって」
「は、はあ」
「でも、初めから早紀ちゃんに送ってもらうつもりだったの。こうやって逃げるのが一番なの。あのまま男に送ってもらってたら、軽い女って思われるでしょう」
「なるほど」
つまり早紀は佳織に利用されたということだ。
早紀は面白くない気分だったが、これまでの佳織との付き合いで、どういう性格かわかっている。いまさら驚くこともない。
佳織の家に着くと、お茶でも飲んで行ってと部屋に誘われた。
さすがに申し訳なく思ったのだろう。
早紀は佳織の部屋にお邪魔した。
そんなに広い部屋ではないが、予想どおりブランド物がいろいろ置かれている。
「すごいいっぱい持ってるんですね」
「そうなのよ。男に買ってもらったものが多いけど、自分でも結構無理して買ってるの」
「そうなんですね」
「あーあ、もう嫌になって来たわ。虚勢張って生きるのも疲れるわ」
早紀は佳織の意外な言葉に驚いた。
「私って、美人美人って子供の頃から言われててさ、そういう周りの期待に添うようにしないとなって思って、頑張ってるのよね。自分でもバカバカしいって思いながらさ」
「そうだったんですね」
「会社員でこんな高い買い物してたらお金はいっつもカツカツよ」
「でも、男性に買ってもらったりもあるんですよね?」
「ええ、もちろんあるわよ。でも私はホステスじゃないし、こんな高いものを買ってもらって、ありがとうの一言で済ますようなことはできないわ」
「はあ、大変だったんですね」
「あ、ごめんなさい。こんな愚痴言っちゃって。でも、早紀ちゃんにこんなこと言ってしまうなんて、私も限界なのかもね」
佳織は自嘲気味に笑った。
「それなら、やめたらいいんじゃないんですか?」
「そうなんだけど、こんな高級なものを処分するのももったいないって自分もいるのよ。それにこれまで頑張ってきた自分を否定するみたいだし」
「それもそうですね」
早紀がそう言った瞬間だった。
部屋に突然、巨大なガマ蛙が部屋の真ん中に現れた。
「えっ、えええええええ!!!」
二人はあまりのことに腰を抜かして動けなかった。
「な、なに? なんなの、これ?」
佳織があたふたとする。
「立花さんのペットですか?」
と早紀はあり得ないことを言った。
現れたガマ蛙は軽自動車ぐらいの大きさである。軽自動車は道路で見たらそんなに大きくないが、部屋の中ではあまりに巨大であった。二人は部屋の端に追いやられている。
二人があまりの出来事になにもできずにいると、ガマ蛙は口を開けて長く太い舌を伸ばした。そして、その舌で部屋に置かれているブランドのバッグや服を、どんどん口の中へと放り込んでいった。
二人は呆気に取られて見ているしかなかった。
バクバクとブランド物を食べたガマ蛙は、ゲボっと重低音でひと鳴きしたかと思うと、そのままスーッと消えてしまった。その後には白い煙がフワッと立った。あまりに一瞬の出来事だった。
「な、なんだったの。いまのは?」
「なんだったんでしょう?」
二人は顔面蒼白になっていた。
少しして気持ちが落ち着いてくると、佳織は部屋をゴソゴソと見回した。
「私のブランド物が全部あの蛙に食べられたわ」
「食べてましたね。確かに」
巨大な蛙にブランド物を食べられたなんて警察に通報して、相手にしてくれるのだろうか。
佳織と早紀は少し相談して、それは無理だろうと結論した。
週明け、早紀が会社に行くと、佳織はすでに来ていた。
スーツはブランド物ではない。蛙に全部食べられたのだから当然だった。
「おはよう、早紀ちゃん」
「おはようございます」
「私、目が覚めたわ。もうブランド物なんていらないし、虚勢張って生きるのやめるわ。あの蛙に食べられたおかげで、なんか気持ちが冷めちゃった」
佳織にはこれまであった傲慢な雰囲気はなくなっていた。
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