第十六話 家の東麓で災害です

休日の午後。別邸の庭にある四阿風の建物で、義弟カインと妹フィオナが、若い芸術家の卵とともに美術談義に花を咲かせていた。さらに、今日は修道士見習いの少年と少女も招かれており、普段とは少し違った雰囲気だった。


「この曲線は、自然の美しさを模倣したものなのですよ」

若い芸術家が陶器の器を手にしながら説明している。


「なるほど。自然の力強さと調和が感じられますね」

カインが穏やかに頷きながら答える。その洗練された口調に、修道士見習いの少年が目を輝かせた。


「やっぱり自然って偉大ですよね! 僕たちも修道院で自然を模したデザインをよく使います」

彼は嬉しそうに話す。隣の少女も小さく頷いて、少し控えめに口を開いた。

「自然の模倣だけじゃなくて、祈りの形もよく取り入れるんですよ。曲線に、神聖さを込めるとか……」


「なるほど、それも面白い発想だね」

カインがさらに興味深そうに話を広げる。


「でも、この色合い……兄様ならきっと『もっと派手にしたら?』とか言いそうですわね」

フィオナが俺に視線を向けてくる。その瞳にはからかいの色が混じっている。


「印象派を見いだして育てた兄さんだから、いかにも言いそうだよね」

カインまで同調してきた。


「俺をそんな風に言うなよ……」

俺は苦笑いしながら適当に相槌を打つ。

「個人的には、焼締めメインの備前焼みたいなシンプルなのが好きなんだよな」


すると、修道士見習いの少年が首をかしげる。

「それって何ですか? 蜂の巣みたいな模様がついてるんですか?」


「いやいや、『備前焼』だって。蜂紳Bee-Gentじゃないから」

俺は思わずツッコミを入れる。周りからくすくすと笑い声が上がった。

まあ、備前焼って言われてもわからないだろうけど。



平和な時間が流れる中、執事が足早にやってきた。その表情は珍しく険しく、場の空気を一変させる迫力があった。


「若様、大変です!」

低く抑えられた声に、ただ事ではないことを察する。


「カイン、呼んでるぞ」

「兄さんに決まってるよ」

「お兄様に決まってますわ」

カインとフィオナがほぼ同時に返事をする。その息の合ったやりとりに、修道士見習いの少女がくすっと笑った。


しかし執事は、それに構う暇もなく続ける。

「それどころではありません。旧街道で災害が発生しました!

本邸へ向かう道が使えなくなったのですぞ!」


その一言に、一瞬で和やかな空気が張り詰めたものへと変わる。俺は立ち上がり、冷静を装いながら執事に詳細を尋ねた。


「崖崩れと湖からの洪水で、街道の一部が損傷しました。

ただ、幸いにして、片側通行にすれば荷馬車の通行は可能です」

執事の声はいつもの通り冷静だが、その奥に緊張がにじんでいる。

「ですが、若様が整備された旧街道は商人の往来も多い。そのため本邸へ向かうと普段より時間が、倍までは言いませんが、かなりかかりますな」

執事の言葉に、皆肯いた。


「崖崩れの原因は?」

カインが間髪入れずに尋ねる。


「最近の豪雨で、山の地盤が緩んでいたようです。その上、先日の小規模な地震が引き金となった模様です」


「では、洪水の原因は?」

今度はフィオナが鋭い口調で問いかける。


「湖の上流で木が倒れ、天然の堰堤ダムのような状態ができていたようです。それが今回の崖崩れの影響で一気に崩壊し、水が流れ込んだものと思われます」


「主都への道じゃ無いとは言え、宿場にも影響が出そうだな」

俺の言葉にカインは深く眉をひそめ、真剣な表情で言葉を継いだ。

「すぐに復旧作業を開始しないと、別邸への物資輸送や住民の移動に支障が出ますね」


その冷静な分析は義弟らしいものだったが、声に隠し切れない焦りが混じっていた。そんな彼を見て、修道士見習いの少年がそっと口を開く。

「僕たちも修道院で街道を通ることがありますから、復旧が急がれるのはよくわかります」


その一言で、緊張感がさらに高まる。


「兄様、どうするのですか?」

フィオナが俺をじっと見つめてきた。その真剣な眼差しに、思わず息を呑む。だが、俺が答える間もなく、彼女は言葉を続けた。


「……すぐに対策を考える以外の選択肢はありませんよね。早速本宅に戻りましょう。

寧ろ、本宅に兄様はもっと頻繁に来るべきです!」


「いやいや、待てよ。誰もそんなこと言ってないだろう?」

どさくさに紛れて好き放題言ってくるフィオナの言葉を俺は慌てて否定するが、フィオナは微動だにしない。


「では、兄様はどうするおつもりですか?」

言葉を詰まらせる俺を見つめる視線が痛い。仕方なく目を逸らしながら答える。

「……ま、とりあえず現場を確認するしかないだろうな」


「それでこそ兄様ですわ」

フィオナは満足そうに微笑む。その姿に思わず肩をすくめた俺を見て、修道士見習いの少女が小さく拍手をしながら言う。

「領主様って、やっぱり大変なんですね。

でも、兄弟仲が良くて素敵だと思います」


「いや、領主じゃ無いし。

……まあ、仲が良いのは否定しないけどな」

俺は苦笑しながら答えた。


その瞬間、場に少しだけ和らいだ空気が戻る。それでも、解決すべき問題が目の前にある以上、立ち止まるわけにはいかなかった。



数日後、侯爵家の会議室に主要な関係者が集まった。義母リディアと義父エドモンド、カイン、フィオナ、それに執事や家令、領地の代官や配下の下級貴族、騎士たちも顔を揃えている。


「では、今回の街道復旧計画について、具体的な提案を頼む。

旧街道が使えない為、これまでの旧道を使わざるをえなくなっている為、そのうち不満が出だすだろう。

その前になんとかする必要がある」

義父エドモンドが重々しい声で会議を始めた。


代官の一人が手を挙げて発言する。

「現状、片側通行で荷馬車が通れるため、応急措置を進めつつ、完全復旧には数カ月かかる見込みです」


「数カ月……」

カインが軽く頭を抱えた。「物資の滞りを考えると、それは少し長いですね」


俺はそのやり取りを聞きながら、無能をアピールするチャンスだと感じ、軽い調子で提案した。


「いやー、不便だよな。

どうせなら、いっそ新しい道路を作ればいいんじゃないか?」


部屋中の視線が一斉に俺に集まる。その視線を受け流しながら、俺は肩をすくめて付け加えた。

「直線道路だよ。

山の裾野をぶち抜いて、湖を越えれば、もっと早く本邸と別邸を行き来できるようになるだろ?」


その瞬間、リディアがため息をつきながら口を開いた。

「アルヴィン、あなたはいつも突拍子もない提案をするわね。

確かに、それは素晴らしいアイデアよ。

でも、それがどれだけ現実的に難しいか……

この山の地質がどれほど複雑か、知っている?」


「もちろんさ。山も湖もあるし、大変だろうけどさ……便利にはなる。でしょ?

リン……義母さん」

俺は無邪気を装って答えた。

危ない危ない、思わずリンディさんって言いそうになった。


しかし、彼女の言葉に周囲の家臣たちも頷く。

これで「やっぱり無能」と判断される。リンディさん、グッジョブ!


……かと思いきや、カインが静かに口を開いた。


「しかし、兄さん、一理あります」


おいおい、何を真面目に検討してるんだよ……。

「そう、馬鹿げたようでいて、兄さんの言うことの利益は確かに大きい」

だが、予想に反してカインが静かに口を開いた。

「旧街道の修繕には時間と費用がかかりますし、直線道路を通すことで領地間の連携が強化される可能性もあります。

修繕だけでなく、新しい経路を考えるのは長期的な視点として重要かもしれません」

くそ、ガチで優秀なだけあって、俺なんかより頭の回転が数倍速い。あっという間に損得勘定メリット・デメリットはじき出してる。


リンディが少し驚いたようにカインを見た。

「カイン、あなたまで……」


すると、フィオナが乗り気で言い出した。

「お兄様の提案、面白いですわ!

山を切り開いて、湖を渡れば良いだけのことでしょう?」


「良いだけと言われても、それがどれだけ大変か……」

家令が困惑顔で言葉を続けるが、フィオナは意に介さない。


「それに、兄様が言った通り、便利になれば誰もが喜びますわ。

難しいと言って避けるだけでは、何も変わりません。

『叩けば砕け散る』あたって砕けろですわ!」


会議室内の空気が熱を帯びる中、義父エドモンドが軽く咳払いした。

「……では、一度具体的に検証を始めてみてはどうだ?

先ずは実現可能性を確かめるのも悪くない」


俺は内心で頭を抱えた。無能をアピールするつもりが、なぜか計画が進みそうな気配だ。

皆、もっと冷静になろうぜ?



その後、ひとまず休息を取ったのち、領地の代官や騎士たちを交え、改めて詳細な話し合いが行われた。


「新しい道を作ると言っても、山間部の地質は非常に不安定です。この地域は地震も多く、大規模な工事は大きなリスクを伴います」

家令が慎重に意見を述べる。


「それに、湖を越える橋も問題です。湖には大型捕食魚が生息しており、工事中の安全確保が非常に困難です」

別の騎士が重ねて補足した。


「なるほど……」

俺は適当に相槌を打ちながら、どうにかしてこの計画を自然消滅させられないかと頭を巡らせていた。


しかし、ここでカインが発言する。

「ですが!」

義弟の端正な顔がどこか興奮に満ちている。

「兄さんの提案には多くの利点があります!

直線道路が完成すれば、本邸と別邸間の移動が劇的に改善しますし、湖に港を整備すれば物流効率も飛躍的に向上しますよ!」

最後に小声で「それに兄さんに会いに行くのも楽になりますし」と付け加えてくれたのは、うれしいんだけど……


「確かに、一理ありますな」

執事が静かに頷いた。

「物流の改善は、領地全体の経済に良い影響をもたらすでしょう」


「……えっと、それってつまり俺が正しいってことか?」

つい漏らした言葉に、フィオナが嬉しそうに微笑んで答えた。

「もちろんですわ、兄様! 兄様の提案はいつだって素晴らしいのですもの!」


俺は冷や汗をかきながらフィオナを見つめる。褒めてるのか、それとも煽ってるのか。


「まぁ、そうだな。山は……どければいいし、湖も……なんか、橋を架ければ?」

適当な提案を口にした途端、フィオナが勢いよく乗ってきた。


「その通りですわ!」

隣で満面の笑みを浮かべるフィオナが発言する。

「そもそも兄様の提案を無視するなんて、許せませんわ! 山も湖も、工夫すれば何とかなりますもの!」


家臣たちは微妙な顔をしているが、古参の騎士アリアが腕を組みながら口を開いた。

「ふむ、確かに防衛の観点から見ても直線道路は便利だ。しかし、山や湖をどう越えるつもりだ?

湖に橋を架けると行っても、なかなかな難工事だ。

特に湖の捕食魚は厄介だ。我ら騎士が相手にしても、湖の奥に逃げ込まれたら手も足も出ん」


「……そ、それは……敵の手でも借りればいいんじゃないか?」

つい適当に言った俺の言葉に、場が一瞬静まり返る。

家令が小さく首を傾げながら呟いた。

「敵……とおっしゃいますと、具体的には?」


「え? いや、例えば……夜盗とか?」

冗談めかして言ったつもりだったが、フィオナが目を輝かせて意外なことを言い出した。

「兄様、それは意外と面白い考えですわ! 夜盗たちを囮にして、湖の捕食魚と戦わせるとか?」


「は?」


「待ってください」

今度はカインが真剣な顔で考え込み始めた。

「夜盗の退治に捕食魚を利用する……確かに、湖の特定エリアに魚を誘導すれば工事への妨害も抑えられるかもしれません」


「そこで魔法を併用するのはどうでしょう?」

執事が提案する。「水属性の魔法で魚を制御しつつ、火属性の魔法で夜盗を追い込む形です。ただし、大量の魔力が必要になりますが……」


「つまり、魔法使いを総動員しろってこと?」

俺が聞き返すと、執事は頷いた。


「はい。領地内の全魔法使いを動員し、捕食魚と夜盗を利用しながら作業を進める形です。少々大胆ですが、不可能ではありません」


「無茶にもほどがあるだろ!」

俺が反射的に突っ込むと、フィオナが手を叩いて微笑む。

「でも、それってとてもドラマティックじゃありません? 領民たちも感謝しますわ!」


「いやいや、むしろ領民はドン引きだと思うけど……」


そんな俺の冗談混じりの一言を、リディアやカインたちは真剣に受け取ってしまう。しかも最近頻発している「夜盗もどき」の襲撃が、領地外の勢力の仕業であることが判明していたらしい。


「それに……」

カインがさらに考え込む。

「夜盗は魔法や火薬を使った破壊工作を行っています。それを逆手に取り、山を切り崩す手伝いをさせることはできないでしょうか?」


「爆薬で道を作る……?」

フィオナの目がさらに輝く。

「兄様、それはとても素晴らしい作戦ですわ! 道を作ると同時に夜盗を始末できますもの!」


俺の適当な一言が、またしても計画を予想以上に進展させる予感がしてきた――。



作戦はこうだ。敵である夜盗が再び山で襲撃を仕掛けてきた際、その攻撃を意図的に誘導し、山の一部を崩壊させて新しい道路の基盤を作る。そして、崩れた山肌を整備して直線道路を構築するという大胆な計画だ。俺はなぜかその計画の中心に据えられ、エルネスト先生やリリスの助言を受ける羽目になっている。



作戦準備が進む中、意気込む家臣たちの様子を横目に、俺は深いため息をついた。すべてが順調……というわけではないが、少なくとも計画通りに進んでいると思っていた。そう、このときまでは。


「やっほー! 久々に来たら、面白そうなことしてるじゃない!」

突如、元気な声が響き渡る。振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべたアリシアが立っていた。


「おいおい、なんでお前がここに?」

俺は目を見開きながら問いかけた。


「だって、あの後全然誘ってくれないんだもの!」

アリシアは少し頬を膨らませ、不満げに文句を言う。その表情には、妙にあどけなさがあって、なんだか悔しい。


「いや、誘うも何も……そもそも連絡先、聞いてないんですけど?」

俺が困惑気味に言い訳すると、彼女はジト目で俺を見つめた。


「え? リンディさんに渡しておいたはずだけど?」


その言葉に、一瞬言葉を失う。

「……あ、リンディさんか」

俺は思わず視線を逸らした。リンディめ、何やってるんだ?

いや、そもそも本当に預かってたのか?

記憶の片隅を探ると、ぼんやりと何かが浮かんでくる。確か、お見合いの日の後に、リンディが何か渡してきたような……封筒? いや、小さな紙束……?


「……いや、待てよ」

ごにょごにょと独り言のように呟きながら頭を抱える。

「そういえば……何かもらったような……気がしなくもない……かも」


「ほら、やっぱりそうじゃない!」

アリシアが呆れたように肩をすくめる。


「いやいや、それでも、どこにしまったかなんて覚えてないって!」

慌てて言い訳する俺に、彼女はさらにジト目を強めた。


「まあいいわ、それはあとで確認してもらうとして……さあ、夜盗退治に行きましょう!」

アリシアは話題を切り替えるように、にこやかに言い放つ。


「いやいやいや!

危ないって! 危ないって!

これはかなりリスクのある作戦なんだぞ!」

必死に止めようと手を振りながら、邪神召喚じみた言葉を吐き出すが、彼女は微塵も動じない。


「こう見えても、剣も魔法も大したものよ!」

彼女は眼鏡をくいっと持ち上げ、自信満々に微笑む。その仕草、そして笑顔。くそ、どうしてこんなにリンディさんそっくりなんだよ……俺の好み、ど真ん中だ。


「でも、やっぱり――」

なんとか断ろうとした瞬間、彼女が一歩近づいて俺を見上げた。


「いいから。こういうの、私の得意分野なんだから!」

彼女の笑顔には妙な説得力があり、俺は何も言い返せなくなった。


俺が押し切られる形でアリシアの同行を許可したあと、作戦を再確認していると、カインがぽつりと呟いた。

「……フィオナも誘えば、楽しかったかもな……いや、でも危険すぎるか」


「じゃあアリシアもダメだろ!」

俺は即座に突っ込むが、カインは苦笑いを浮かべるだけだった。


「それを言うなら、今からアリシアさんを説得して帰らせられますか?

アリシアさんに、母さんそっくりの顔と迫力で迫られたら、俺なら絶対無理です」


「……くそ、それは確かに無理だ」

俺は頭を抱える。リンディさん以上に押しの強い相手を説得する難しさを思い知った。


「なら、仕方ありませんね」

カインが静かに結論を下すと、俺は再び深いため息をついた。


結局、アリシアを説得するどころか、彼女の熱意に押される形で同行を許可してしまった。不安は募るばかりだが、祈るほかに手はない。


「それじゃあ、準備してくるわね!」

アリシアは意気揚々と駆けていく。


「……おい、これで本当に大丈夫なのか?」

俺が呟くと、隣にいたカインが苦笑いしながら答えた。

「兄さん、こうなった以上、彼女をうまく使うしかありませんね」


「使うって……お前、他人事みたいに言うなよ」


「でも、アリシアさんの剣術はわかりませんが、魔法は確かに一級品です。彼女がいれば戦力は確実に上がります」

カインは真剣な表情で続ける。


「そうかもしれないけど……問題は彼女の予測不能な行動だよ……」


俺が深いため息をつく横で、カインがぼそりと呟く。

「まあ、実際のところ他人事なんですけどね」


「……お前、それ言うのやめろ!」


俺の叫びが、アリシアの元気な声にかき消される。この作戦、どう転ぶか全く予想がつかない。


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