第五話 出来たお庭はご苦労さんです
学園に通うことが決まった時、食後にリビングでくつろぐ中、義母のリディアが提案してきたのは二つの選択肢だった。
「首都のタウンハウスから通えばいいわ。通学時間は20分程度。それか、平日は学園の寮に入って、週末や休暇は別邸で過ごすのも良い選択よ。別邸なら首都から馬車で1時間ほどだから、
どちらも普通の貴族ならありがたい提案だったが、俺は「無能」アピールの一環として、あえてもっと手間のかかる選択肢を取ることにした。
「別邸から馬車で毎日通学することにするよ。
その言葉に、リディアは一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに母親らしい柔らかな微笑を返した。
「そう……なら、別邸の内装や庭は自由に変更していいわ。ただし、建物自体には手を加えないようにお願いね」
彼女が微笑んでくれたのは嬉しいが、内心では「馬車で通学なんて無茶苦茶なわがままを言った」と思っていた。
普通、貴族の子弟はタウンハウスから学園に通ったり、寮に入るのが一般的で、馬車で片道1時間もかけて通うなど考えられない。
学園でのそれこそ「無能な貴族」の象徴みたいな選択肢だと自分では思っていたのだが……
「お兄様、馬車で毎日通学するなんて、本当に大丈夫?」フィオナが少し心配そうに尋ねてきた。
彼女の大きな瞳に心配の色が見えて、少しだけ心が痛む。だが、無能を演じるためには仕方ない。
「大丈夫だよ、フィオナ。自分で二輪馬車を操縦するのは慣れてるし、毎日少し運動がてら馬車に乗るのも悪くない。
それに、景色も楽しめるからな」と、少し強がりながら答えた。
「兄さん……でも、馬車を使って通学なんて、疲れませんか?
寮に入るほうが楽ですよ。侯爵家の子息として寮に入れば、当然専用の部屋が用意されるでしょうし、使用人も手配できます」
今度はカインが真剣な表情で言った。
彼は俺のことを本気で心配してくれている。無駄に兄として尊敬されている分、余計に辛い。
「いや、気にしないでくれ、カイン。それに、ほんとうに忙しい時は、タウンハウスを一時的に使わせてもらうよ」と、適当に言い訳をする。
リディア義母さんもカインやフィオナと同様に心配しているようだったが、彼女はそれを表に出さず、淡々と見守っていた。どうやら彼らは、俺が「わがままを言っている」とは思わず、むしろ遠慮していると誤解しているようだ。
義母さんは、タウンハウスを購入するために無駄な費用をかけさせたくないと思って遠慮しているのではないかと考えているのだろう。また、寮に入ることができても、侯爵家の子供が単なる個室に入るわけにはいかない。特別な部屋と使用人を手配する必要があるため、下手するとタウンハウスを購入する以上に費用と手間がかかる可能性がある。俺がその手間を避けようとしているのではないかと感じているようだった。
とはいえ、二輪とはいえ馬車で通学するためには、馬の世話も必要だし、それにかかる費用や手間も少なくはない。馬の世話なんて、思った以上に面倒だし、維持費もバカにならない。家族には言ってないが、正直、俺にはそんな手間をかけるつもりはなかった。だが、わがままに見えるような選択をした以上、もう後には引けない。
「そういえば、ゴーレム馬車の整備が必要ね。それにしてもよく覚えていたわね。数年前に買ったけど二輪馬車だからほとんど誰も使っていなかったのに」と、リディア義母さんがふと思いついたように言った。
「えっ、ゴ、ゴーレム馬?」
俺は一瞬驚き、慌てたが、すぐに冷静さを取り戻して知っている風を装った。
「あ、ああ、ゴーレム馬ね。
もちろん、整備が必要だよね。うん、永いこと使っていなかったんだから。
俺もそう思ってたところだよ」
リディアは優しく微笑んで、「まあ、整備はすぐに手配するわね」と言ってくれた。
内心焦りながらも、俺はなんとか話を合わせた。ゴーレム馬なんて高級な代物、最初は完全に忘れていたし、そもそもそんなの必要なのか?とすら思っていたが、さすが侯爵家、そういったところに抜かりはないらしい。
「まあ、ゴーレム馬まで使わせるなんて、これで俺のわがままぶりが完全に証明されるだろうな。なんて放蕩なんだと思ってくれるはずだ」
俺は心の中でほくそ笑んだ。
リディアはそのまま微笑んで去って行ったが、何かを見透かされているような気がして、少しだけ背中が冷たくなった。
さて、なんだかんだあって、別邸に移動することになった。
学園への入学こそまだ余裕があるが、別邸になれる必要があるだろうと言うことで事前に移ることになった。義弟や妹とは離れてしまうけど、週に一度は会いに行ったり会いに来たりするよう約束しているから大丈夫。
そもそもこの別邸は、首都に近い領地の端に位置している。うちの領地は、少々特殊な形状をしていて、中央に大きな山脈が走っているせいで、本宅から首都に直行するには遠回りを強いられる。首都へ行くには、本宅からは四時間以上かかる上、途中で領地外を通らなければならない。そこで、領地の一部が首都の近くに飛び地として存在しており、その飛び地に設けられた別邸が、いわば首都訪問時の中継地点として使われている。
そのため、別邸は首都に近いので午前中に約束がある場合は有用なのだが、昼以降に到着しても問題ない場合は本宅から日の出前に出発しそのまま首都へ直行することが多い。特に夜会がメインだと、昼前に出発する場合すらある。
結果として、別邸は昔ほど使われなくなっていた。
「最近では、あまり別邸を使わなくなったのも無理はないな」と思いつつも、俺は無能アピールの一環として「別邸から学園に通う」という、わざわざ手間のかかる選択をしてみせたのだ。
別邸そのものは手入れが行き届いており、住み心地は悪くない。だが、領地の端という場所柄、どこか借宿的な雰囲気があり、長居するには少々無味乾燥な感じがする。これまであまり使われていなかったのも、そういった背景があるからだろう。
別邸に移り住んでまず目をつけたのは庭だ。荒れているわけではないが、あくまで借宿的扱いの場所だったため、どこか無難で無機質。華やかさもなければ、個性もない。これではつまらない。
そこで、俺はふと思い立った。転生前に見たことがある「日本庭園」や「枯山水」を、この異世界に再現してみようじゃないか、と。
「誰もこんな変なものに価値を見出すはずがない。完璧に無能アピールだ!」
そう確信して、さっそく庭師たちに計画を打ち明けた。庭師たちは、最初は驚いたように目を丸くしていたが、すぐにいつもの職人らしい表情に戻り、俺の話を黙って聞いていた。
「まず、あの大きな池を中心に回廊式に庭を作ってくれ。池には石橋をかけて、周囲をぐるっと小川で囲む感じだ。池の形は自然な感じで頼むな」
「小川のところどころに石を配置して、ちょっとした渡り石を作ってほしい。歩けるけど、水の流れを少し感じられるくらいがいい。あ、川の流れは緩やかに頼むよ。流れが速すぎると落ち着かないから」
庭師たちは無言で耳をそばだて聞いている。一人文字が読み書き出来る人間がメモを取り始めた。
「次に、枯山水だ。砂と石を使って、波紋を表現するんだ。石は風化したような大きめの岩をいくつか配置して、それを中心にして波の形を描く感じで。苔むした岩があるといいな。庭全体に自然な緑の苔を敷いてくれ」
「石灯籠もいくつか置いてくれ。灯りは必要ないけど、雰囲気を出すための飾りとしてな。木は切りすぎず、自然に枝が伸びている風に仕上げてほしい。でもちゃんと刈り込みはして、風情を持たせてくれ」
庭師たちは黙って聞いていたが、次第に顔に戸惑いが浮かんできた。無理もない。彼らは見たこともない庭の形を、俺が一方的に説明しているのだから。だが俺は続けた。
「最後に、ちょっとした小屋も作ってくれ。茶室みたいなものだ。中は広くなくていい。簡素で、少し床を高くして、竹を使った素材で仕上げてほしい。床の間には適当に花でも飾っておいてくれ」
庭師たちの中の一人が、少し困惑した顔で質問してきた。
「申し訳ありませんが、竹という素材は聞いたことがないのですが……?」
「ああ、そうか……竹じゃなくて、うーん、そうだな……パピルスとか、似たような素材で良い。
要は、軽くてしなやかな植物の茎で作れるものなら何でもいいんだ」
俺は適当に訂正したが、転生前の知識とこの世界の差異を改めて感じた瞬間だった。
庭師たちはまた黙ってうなずき、作業に戻っていった。
回廊式の池と小川はまだしも、砂と石で構成された枯山水に、苔むした庭石、そして美しく刈り込まれた庭の木々。見た目だけでなく、この世界では見たこともないデザインだ。庭師たちは最後まで首を傾げながらも、俺の指示通りに庭を仕上げていった。
「これで、誰もが俺をバカにするはずだ!」と内心思いながら、完成を待つ俺。しかし、どこか胸の奥で、この「変わった」庭がどう評価されるのか、少し不安もあったのは事実だ。
完璧に無能アピールをして、誰もが俺を笑う……はずだよな?
完成後、リディア義母が庭を見にやってきた。俺の期待とは裏腹に、彼女の表情は険しいものではなかった。
「……アルヴィン、これは一体……?」
リディアは微笑みながらも、困惑した表情を浮かべていた。何かを言いかけたが、結局口を閉じた。
「どうですか?変わってるでしょう?」
俺は軽く笑いながら答えたが、リディアの視線は庭全体をじっと見つめたままだった。
「そうね……確かに見たことがないわ。けれど、どこか懐かしいような、異国の風を感じるわね」
と、彼女は優しく答えたが、その瞳には一瞬だけ、複雑な感情が浮かんだ。
俺はそれに気づいたが、深くは考えず「これで俺はさらに無能だと思われるだろう」と心の中でほくそ笑んでいた。
だが、リディアの反応は予想外だった。
「アルヴィン、この庭……あなたが本当に作りたかったものなのかしら?」
そう問いかける彼女の声には、何か含みがあるように感じた。
俺は内心焦りながらも、何食わぬ顔で答えた。
「まあ、ちょっと変わったものを作りたくなったんですよ」
彼女は一瞬だけため息をついたが、それ以上は何も言わず、庭を再びじっと見つめた。
その時、彼女が俺に問いかけようとした何かを、俺は知らない。
「アルヴィン……あなたの父も、こんな庭を見たらどう思うのかしらね」
そう呟くように言った彼女の言葉に、俺は一瞬、動揺したが、すぐに笑って誤魔化した。
「そうですかね?
でも、まあ、これも無能の証として見てくださいよ」
リディアは何かを感じ取ったようだったが、それ以上追及せず、「無理はしないでね、アルヴィン」と優しく微笑んだ。
「まあ、これでまた俺の無能が広まるだろう。なんて放蕩なことをしてるんだって、誰もが思うに違いない」と俺は心の中で結論づけたが、リディアの複雑な表情はどこか引っかかっていた。
それが何を意味するのかは、この時の俺にはまだ分かっていなかった。
数日後、別邸の庭に関する噂が広がり始め、ついにはローガン辺境伯の耳にも届いた。彼は義父のエリオットや義母リディアから話を聞きつけ、興味を抱いて実際に庭を見に訪れることとなった。
庭に足を踏み入れた辺境伯は、最初はその独特な美しさに戸惑っている様子だったが、しばらくすると目を見開き、感嘆の声を漏らした。
「……なんだ、この庭は。まさに自然の美が極限まで研ぎ澄まされている……!これはただの庭ではない、自然そのものを見事に表現しているではないか!」
そして俺に向かって話しかける。
「あの庭、今ではおまえの言葉を受け『印象派』と呼ばれる絵画そのものでは無いか。
しかも最後のあの『
辺境伯は驚嘆しながら庭を歩き回り、特に庭の持つ静けさに心を奪われていた。
彼はこの庭に強い感銘を受けたらしく、その足で親しい神官に話を持ちかけた。
「君もぜひ見に行くべきだ。あの庭には、神の真理が宿っているかもしれん」
数日後、噂を聞きつけたローガン辺境伯と、その友人である神官が別邸を訪れた。
今日来た神官は、キリスト教だと司祭では無く司教もしくは主教と呼ばれる管理職階級に該当するらしい。
彼らは並んで庭に足を踏み入れると、まずは回廊庭園の美しさに心を奪われた。
「なんと美しい庭だ……」と、神官は水面に映る木々や、日差しの具合に目を細めながら呟いた。
「これはまるで今はやりの印象派の絵画のようだな。
水の揺らぎ、光の反射……あの庭の木々も、まるで絵をそのまま移したかのような柔らかな雰囲気だ。
いや逆か。
流れる景色そのものが、時間と共に変わり続けている……」
神官の口調は感嘆そのものだった。彼は光と自然が織り成す一瞬一瞬の変化に見惚れているらしい。
俺は「印象派」と言う言葉に一瞬だけドキリとしたが、すぐに首をかしげた。
「印象派って、何のことですか?」と訊く前に、辺境伯が笑いながら彼の言葉を遮った。
「ふむ、確かにこの庭園も美しいが、アルヴィンの真価はそこではないぞ。
さあ、これから真の美を見せてやろう」
そう言って、彼は枯山水の方へと神官を促した。
「ほう……まだ何かあるのか?」と神官は期待に満ちた表情を浮かべながらついてきた。
そして、枯山水の前に立った瞬間、神官の目に驚きが広がった。
砂と石で構成された簡素な庭が広がり、何も装飾されていないはずなのに、そこには静謐な存在感があった。
「これは……」
神官はじっとその枯山水を見つめ、再び静かに目を閉じた。しばらく沈黙が続き、瞑想するように思索に沈んでいた。そして、ゆっくりと目を開け、感嘆の息を漏らした。
「……これはまさに神の摂理そのものだ。
偶像を排した抽象的な美がここにある。
この石と砂で構成された空間が、神の無限を象徴しているとは……!」
彼は感動に満ちた声で続けた。
「アルヴィン殿、これは……印象派を超越しています。
光や影を捉えるだけではなく、物質の存在自体を超えて、神の真理そのものを表現している。
まるで自然と共に、神がその手で描いた庭のようだ……!」
俺は突然の褒め言葉に圧倒されながら、なんとか反論しようと口を開いた。
「いやいや、そんな大したものじゃないんです!
ただ少し変わった庭を作ってみただけで……」
だが、神官の熱意と信仰に満ちた表情に言葉が続かない。彼は本気でこの庭に神の真理を見出しているらしい。
「アルヴィン殿……あなたは無意識のうちに、神の摂理に触れたのです。この無駄を排した空間に、神の意志が宿っている……」
神官の真剣な言葉に、俺は頭が混乱してきた。俺は「無能アピール」のつもりで庭を作っただけだ。それがなぜこんなに大げさなことに……?
すると、ローガン辺境伯が満足げに頷きながら俺の肩を軽く叩いた。
「やはりお前はレオハルトの息子だな。父親と同じように、知らず知らずのうちに周囲を感動させるとは……父親もよくこうして周囲を驚かせ、魅了していたものだ」
「違います、辺境伯!俺は無能で、ただ奇妙な庭を作っただけなんです……!」と心の中で叫びたかったが、二人の熱意にすっかり圧倒されてしまい、何も言い返せなくなった。
そのうち、町中でも「侯爵家の嫡男が新たな美を創出した」と評判が広まり、貴族たちまでもが「アルヴィン殿は美術的な先見の明がある」と褒めそやすようになった。
そして極めつけは、フィオナやカイン、義母リディアの反応だった。
「お兄様、本当にすごい……」とフィオナは感心し、
「兄上、やっぱりすごいです!」とカインまでもが尊敬のまなざしを向けてくる。
ふとリディア義母さんを見ると、彼女は柔らかな微笑を浮かべながらも、どこか複雑な感情を抱えているように見えた。その感情の意味を測りかねている俺の耳に、彼女の小さな呟きが届いた。
「……やっぱり、レオハルト様に似てきたわね」
そして、彼ら「印象派」と呼ばれる芸術家たちが、俺を「新たな美の理解者」として訪れるようになった。その者たちは庭園の回廊式デザインや光の移ろいに目を輝かせ、そこから自らの芸術のインスピレーションを得ている。彼らはこの庭園を「変わりゆく瞬間の美」を映し出す場として崇め、作品の一部にその光景を織り交ぜることを目指していた。
例えばフィオーレと名告った芸術家もそうだ。
彼女はその後も庭に通い「印象派」の芸術家たちだけでなく修道士や修道女を含む教会関係者とも議論を交わし、特に修道女で聖女候補とされるエリザとは神学と芸術について互いに笑顔で激論を交わしていた。
……なぜか、二人が激論を交わすときに俺まで呼ばれているんだが、この場違い感が激しすぎ。
それはさておき、芸術と神学という相反する視点を持つ者同士が、ここでは仲間として神のもたらした美と真理について意見をぶつけ合うのだ。
その一連の交流の場に、俺も次第に巻き込まれていった。
今では大神官にまで選出された神官の『研ぎ澄まされ芸術は神の真理を求めるに等しい』と言う言葉の元祖として……
だが彼女は、画商に当時はゴミ扱いだった印象派の絵を紛れ込ますくらい行動派な一面があるが、どちらかといえば理論的なアプローチを重んじる。それもあってか、最初に認められた印象派という肩書きと共に、学園に美術講師として就任が決まったという。
「今度は学園で会えるかも知れませんね」と笑いながら話す彼女に、それを聞いて仲間の芸術家だけで無く修道士・修道女達までもお祝いの言葉をかけていく。
特にエリザは、姉とも慕っていたフィオーレが講師に就任したのが、誇らしくもありながら寂しくもあると言った感じで、涙ぐんでいる。なんともかわいらしい仕草のエリザをそっと撫でてやり「学園なら、いつでも会えるよ」と馬車なら一時間程度で到着可能なのでむしろ今は祝福してあげようと言うと、ぱっと笑顔を浮かべてお祝いの言葉を伝えた。
こうして、別邸の庭は神学者や修道者が神の真理を語り、芸術家たちが新たな美を追い求める、少々異様ともいえる集まりの場となっていった。
これも全て、俺がただ「無能アピール」をしたかっただけなのに……。
それにしても、いつからこんな大事になってしまったのか、と俺は改めて頭を抱えるのだった。
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