第二話 妹のわがままでニコニコです

「新鮮な魚が食べたい!」

ある日、妹のフィオナが唐突にそんなことを言い出した。俺の可愛い妹が、何を言い出すかと思えば……。

「フィオナ、そんな無茶を言ってはなりません。お兄様に迷惑をかけてはいけないわ」

隣にいた彼女――リディア母さんが、フィオナのわがままをたしなめたが、その表情にはどこか微笑ましい様子がうかがえた。俺には決して浮かべてくれない表情。


だが、これを聞いて俺は内心大いに動揺した。

転生前、俺は日本人だったわけで、「新鮮な魚」と言われれば、真っ先に刺身や膾が頭に浮かぶ。新鮮な魚を手に入れることがどれほど大変か、そしてその価値がどれほど高いかをよく知っている。鮮度が命だ。干物じゃ物足りない!


普通なら「そんなの無理だ」と突っぱねるところだが、俺は考えた。領地に新鮮な魚を運び込むなんて簡単にはいかないが、あえて挑戦してみて、どうなろうと結果が出れば、それで良いのだ。失敗すれば、妹の無茶な願いを無理に叶えようとした「愚かな兄」という評判が立つだろう。それは、俺にとって悪名を広める絶好のチャンスだ。成功したところで、妹のわがままをたしなめるどころかさらに悪化させた馬鹿な兄としての悪名が高まれば、家督をカインに譲る方向にもつながる。


「よし、フィオナの望みを叶えてやろう……だが、その代償は大きいぞ」

俺は笑みを浮かべて言った。

「あ、兄さん? 私、ただ干物じゃなくて普通の魚が食べてみたかっただけなんだけど……」

「分かってる! フィオナ。兄に任せろ。ただ、どうせやるなら本格的にやらないとな。新鮮な魚を食べるには、流通の仕組みを整えなきゃ話にならないだろ!」


俺はニヤリと笑い、さっそく作戦を練り始めた。どうせ妹のわがままが発端だ。多少無理をして、領民たちが「俺が妹のわがままに振り回されて領地を破滅に導いた」と噂するようになれば、俺の悪名も高まるだろう。領民には一時的な混乱を強いるかもしれないが、一時的なもの。それもすべて俺の計画の一環だ。最終的には、義弟のカインや従兄弟に家督を譲るための準備をしているのだから、領民にしても結果オーライと言うもの。



妹の要望に応えるため、俺はかつて統一帝国時代に使われていた古い街道を整備することを提案した。内陸部と海を繋ぐための流通網を再構築し、新鮮な魚だけでなく、他の物資の輸送も可能にするという計画だ。しかし、この街道は長年放置され、荒れ果てている。整備には莫大な資金と労力が必要で、失敗すれば「無駄な投資をした愚かな領主」として悪名が立つことは間違いない。だが、人夫を雇うことで最低限の経済循環は生まれるだろう。もし失敗しても、義弟カインが後に善政を敷くための「先行投資」だと思って許してもらえればいいさ。


周囲の反応? もちろん、みんな最初は「何をバカなことを」と冷たい目で俺を見ていた。だが、俺はあえてその批判を無視して計画を推し進めることにした。妹フィオナのために無駄な事業を始め、領地を苦しめる悪役領主として名を高める絶好の機会だ。わがままを言った妹には申し訳ないが、これも家のためだ。俺が悪名を背負えば、彼女もカインも安全だろう。


そんな俺の計画に、義弟カインが不思議そうな顔をして話しかけてきた。

「兄さん、本当にフィオナのわがままをそのまま叶えるつもりなんですか? 新鮮な魚のために街道を整備するなんて……無理があるのでは?」

もっともな疑問だ。カインの言葉には理性がある。しかし、俺はあえて自信満々に返答する。口には出さないが、これで俺の「無能」が証明されるだろう。カイン、お前もこれで楽になるはずだぞ?


「確かに、妹のわがままで街道を整備するなんて、馬鹿げてる話だな……だがな、カイン。この領地の未来を考えると、妹の願いを叶えることが、最終的には領民のためになるかもしれない、な?」

俺は不敵な笑みを浮かべながらそう言い返した。カインは首を傾げたが、それ以上は何も言わなかった。彼が黙ったのは、きっと俺に不安を感じたからだろう。これで俺の「悪役領主」としての評判は少しずつ広がるはずだ。


そのやり取りを、リディア義母は遠くから静かに見守っていた。彼女の目には、どこか温かさすら感じられたが、俺はその真意を知る由もなかった。


フィオナの「新鮮な魚が食べたい」という単純な願いから始まったこの壮大な計画。周囲は呆れ顔だが、ここまできたらもう後には引けない。工事は順調に進み、途中で侯爵家の配下ではない領主たちとも折衝を重ね、なんとか漁村と内陸部を繋ぐ新たな道が完成した。


特に配下でない領主との交渉では難航した。旧街道は田畑として使えない荒れ地だったが、それを整備することに対して多くの領主が懐疑的だった。費用の分担を巡って一悶着あり、結局、俺が直接交渉の場に赴くことになった。


領主たちとの交渉は、彼らの冷ややかな視線から始まった。俺がこの場にわざわざ出向いた理由を、彼らは理解できなかったのだろう。彼らにとって、侯爵家の嫡男が直接出てくること自体、想定外の事態だった。


「侯爵家が一体何のために、この荒れ地を整備しようとしているんだ? まさか本気で魚のためだとは思わんが……」

一人の領主が皮肉っぽく言い放った。彼らの態度には明らかに俺を侮る意図が感じられた。その辺は、言葉遣いにも本来なら敬語で話すべきが同格の言葉遣いなところからもうかがえる。

俺は冷静に微笑み、答えた。

「ええ、魚のためです。新鮮な魚を領地に届けるには、この街道を整備する必要があるんです。確かにおかしな話に聞こえるでしょうが、最終的には皆さんの利益にも繋がることをお約束します。」

「利益だと? この荒れ地に?

しかも、我々の田畑まで圧迫されるような道にして……」

別の領主が不満を漏らした。

俺はその言葉を受け、冷静に提案した。

「その田畑に相当する土地は、侯爵家がきっちり買い取らせてもらいます。それに加えて、この街道を通る他領の使用者からは通行料を一切取りません。どうですか、これなら納得していただけるのでは?」

だが、領主たちの反応は依然として冷たかった。

「荒れ地が田畑の値段で売れるだと? そんなうまい話、信じられるわけがないだろう。」

一人が疑念を含んだ声で言った。

俺はその言葉にも動じず、淡々と続けた。

「荒れ地ですから、今のままでは何の価値もないでしょう。それを、田畑相当の値段で買い取ると言っているんですから、皆さんにとって悪い話ではないはずです。むしろ得策だと思いませんか?」

「……本当にそんな条件で買い取るつもりか?」

再び疑いの目を向けてくるが、俺は静かに頷いてみせた。

この提案が、領主たちの心を動かす第一歩になるはずだ。


内容を検討すると新しい道が整備される過程で、俺は我が家と同格と言ってよい辺境伯との折衝を行うため、ある日、彼の屋敷を訪れた。重い空気の中、交渉が始まった。彼は長い間放置されていた旧街道の整備について、懐疑的な意見を持っていた。

「君の提案は魅力的だが、費用の面でどうするつもりだ?」

俺は緊張しながらも、冷静に返答した。

「この旧街道は、農地としては不適合です。無駄にしているなら、我々が整備することで新たな流通を生み出せます。内陸の農作物と、海の新鮮な魚をつなげることで、双方に利益をもたらすのです」

領主は腕を組んで考え込む。

「だが、整備の費用は誰が出す?」

「その点はご心配無用です。通行料は一切取らず、土地は侯爵家が田畑相当の価格で購入します。これで双方にとって損はないはずです」

俺の提案に、彼は驚いた表情を浮かべた。

「その代償を甘く見てはいけないぞ。もし失敗すれば、お前の評判は地に落ちる」

俺は覚悟を決めて言った。

「それでも、妹のためにこの道を整備する価値があります。失敗を恐れていては何も始まりません」

その言葉に彼は一瞬驚いた様子だったが、少しずつ笑みを浮かべ始めた。

「面白い。お前が本気で言っているなら、俺もお前の提案を受け入れよう。

そして、配下にもそう伝えておく」

言葉遣いが変わったことから、かなり好意的に受け止めてもらえたらしい。

彼の同意により、交渉は長引いたが、領主達も渋々うなずき、街道全域で同意を得て、最終的にはこの条件で妥結した。領主たちは耕作に適さない荒地を、田畑相当の値段で売ることができたことに満足し、俺は無事に街道の整備を進める許可を得ることができた。


こうして、旧街道の整備は始まり、フィオナの「新鮮な魚が食べたい」という願いが実現へと向かっていった。


確かにこちらは少し損をしたかもしれないが、大打撃は避けられたし、悪評にうまく繋げることも出来た。結果的には、誰も大きな損をしない形で取引が成立したのだから、これでよしとしよう。俺が多少の損をしても、義弟カインが後で善政を敷けば問題ない。ここは割り切って進むべきだ。


数ヶ月後、ついに荒れ果てた帝国時代の古道、通称旧街道(命名は俺)が整備され、海からの物資が内陸に運ばれるようになった。妹の望んだ新鮮な魚も無事に領地に届き、フィオナは満足げにそれを食べていた。


「まさか、本当に魚が食べられるようになるなんて……感激です!」

フィオナは素直に驚き、嬉しそうに新鮮な魚のバターソテーを口に運んでいる。いや、妹よ、実は俺が刺身を食べたかっただけかもしれないんだ。


「お兄様、ありがとう! こんなに新鮮な魚が食べられるなんて、夢みたいです!でも、この生の魚、本当に大丈夫ですか?」

「ああ。膾(マリネ)の一種で、美味しいよ。大丈夫さ、ほら」

「待ちなさい。先に私が食べて、大丈夫か確認し……」


義母がさすがに躊躇する中、俺がぱくついたのを見たカインたちが、一斉に手を伸ばし、食べ始めた。


「あ、兄さん、本当に美味しい!」

「さすがお兄様、とっても新鮮で美味しいです!」


思った以上にうまくいき、なんだかんだで魚がとれた翌日には侯爵領の領主邸(我が家)に届いたのだからたいしたものだ。さすがに魚醤はあったが、醤油が無く、またわさびも無かったことから、刺身は断念。江戸時代前半までは辛子酢で食べていたようだが、なんかしっくりこないので、酢に漬けた〆鯖や塩に漬け込んだ新巻鮭の要領で食べたら、思った以上に好評だった。味噌があればヌタにできたけど、さすがにそれは無いものねだり。


だが、それだけでは終わらなかった。俺の計画が進むにつれ、予想外の事態が起き始めた。整備された街道を使って、魚だけでなく様々な物資が流れ込むようになり、商業が活性化し始めたのだ。漁師たちは魚を売り、内陸の商人たちはそれを高値で買い取る。そして、新たに宿場町ができ、交易も盛んになっていった。


整備された旧街道は、単なる海と内陸を繋ぐ道としての役割を超え、流通の拠点として急速に重要性を増していった。理由は明白だった。道路は侯爵領に属しており、使用料を一切取らないと宣言しているため、領地間での関税が発生せず、商人たちにとって格好の通商ルートになったのだ。他の領地間では、物資を運ぶたびに関税が課され、商取引におけるコストがかさんでいた。だが、俺の領地を通ることで、その負担が一気に軽減されることに気付いた商人たちは、侯爵領を物流のハブとして活用し始めた。


さらに、侯爵領は海と内陸の交易を結ぶだけでなく、東西を繋ぐ中継地点としても機能していた。沿岸部からの新鮮な魚や海産物だけでなく、内陸の農産物、さらには遠方からの布や金属製品など、あらゆる物資がこの旧街道を通じて行き交うようになった。これにより、領地内に新しい宿場町や市場が次々と生まれ、物資が集積されることで自然と商人たちの拠点として定着していったのだ。


「これは……まさか、成功したのか?」

俺は驚きを隠せなかった。まさか、領地がこんな形で発展するとは思っていなかった。悪名を高めるために始めた計画が、結果として領民たちの生活を豊かにしてしまったのだ。しかも、他の領地ではあるが、俺が作った〆鯖(マリネ)を漁師町に近い街の旅館が郷土料理として売り出し、大好評を博していた。これまでは干物にしていた魚を、生に近いプリプリした食感の料理に仕立てたことで、沿岸部の名物料理となりつつあった。


「兄さん……本当にすごいです。最初は、妹のわがままを叶えるためだけだと思っていましたが、まさかここまでの結果を出すとは」

義弟のカインが目を輝かせて俺を見つめてくる。その瞳には単なる尊敬を超えた感情があった。彼は、かつて俺に対して疑念を抱いていた。しかし、今では、まるで自分の理想を実現してくれる英雄を見るかのようなまなざしで俺を見ている。そして、同時に、彼の表情には兄としての俺に対する信頼と親しみが溢れていた。

「いや、違うんだカイン。俺はただ……セリアのわがままを聞いただけで」

「でも、その結果が領地全体の発展に繋がったんですよ! 領民たちも大喜びです。兄さんはやっぱり、すごいんです!」

「そうです! カインもすごいけど、お兄様はもっとすごいです!」

フィオナも俺に駆け寄り、目を輝かせている。彼女はもともと俺を慕っていたが、今回の一件でますます俺に対する尊敬が強くなったようだ。

「お兄様、ありがとう! あなたのおかげで、領地も、私も、こんなに幸せです!」

フィオナは俺の腕にしがみついて、無邪気に笑顔を見せた。その表情には、単なる感謝を超えた親しみと、俺に対する絶対的な信頼があった。

俺は内心焦っていた。これでは、俺が領地を繁栄に導いた立派な領主だと思われてしまう。俺は悪名を高めたかったのに、どうしてこうなった?



ある日、俺が旧街道沿いの新しい宿場町を視察していた際、かつての折衝で手間をかけた辺境伯が訪れてきた。彼は、かつて旧街道の整備に関して難色を示した張本人だったが、今ではその表情が一変していた。

侯爵子息殿オナラブル、まさかここまで計画が進むとは……さすがだ」

その言葉に、俺は驚いた。かつて交渉の場で見せた彼の強固な態度はどこへやら、今では感嘆した様子で俺を見つめていた。俺は戸惑いながら、何もかも計画通りであったかのように頷いて返事をする。

「いや、大したことではない。道を整備すれば、物流が少しは活発になるだろうとは思っていたが……」

「それだけではない。この街道を通じて物資が行き交い、我々の領地にも利益が出始めている。旧街道を使えば、関税もかからず、コストも抑えられることに気付いた商人たちが我が領にも溢れてきているのだよ」

彼はにっこりと笑いながら続けた。その表情には、かつての懐疑心は微塵も残っていなかった。

「なるほど、これが狙いだったのか……実に巧妙だ。

私もこの道を整備することに一時は反対したが、今では君に感謝している。これほどの成果が出るとは思わなかったよ」

「狙い……?」

俺は思わず聞き返した。俺はただ、妹フィオナのわがままを叶えようとしただけであって、こんなに壮大な計画になるとは思っていなかった。だが、彼の言葉には深い敬意と感嘆が込められているように感じた。

「最初は、ただの道だと思っていた。

しかし、通商ルートとしてこれほどの影響を及ぼすとは……君は、初めからこれを見越していたのだろう?

結果的に我が領地にも利益をもたらしているのだから、反対した私が愚かだったというわけだ」

「……いや、そこまでのことは考えていなかったが……」と俺が口ごもると、彼は「謙遜は不要だ」と言わんばかりに手を振って笑った。

「侯爵殿が安泰だと安心するのもさもありなん。

ただ領地を豊かにすることではない。もっと大きなことを考えていたに違いない。

私たちのような隣接する領主たちも巻き込み、全体で発展するという大構想だったのだろう?」

「いえ、俺以上に義弟が優秀なので、父はそれを言っているのですよ」

そう精一杯な言い訳に笑って去って行った彼の言葉に、俺は内心慌てていた。そんな大層な計画は一切なかったし、そもそも俺はただ妹のわがままを叶えたかっただけなのに……。

しかし、彼を含む他領の領主たちは勝手に俺の計画を高く評価し、尊敬の念を抱き始めていた。どうやら、俺の意図しない成功が次々と波及しているようだった。


「兄さん……本当にすごいです。最初は、妹のわがままを叶えるためだけだと思っていましたが、まさかここまでの結果を出すとは」

義弟のカインが目を輝かせて俺を見つめてくる。その瞳には単なる尊敬を超えた感情があった。

フィオナも、俺の横でニコニコと笑いながら「お兄様がいてくれて、本当に良かったです!」と嬉しそうに囁く。

「……やっちゃったか?」

「……あなたは本当に、予想を裏切るわね。やはり、レオハルト様の血を引いているわ」

義母のリディアは小さく呟いた。彼女の表情には冷笑じみた微笑が浮かんでいるが、その奥には、複雑な感情が垣間見えた。

俺が「母さん、何か言った?」と尋ねると、リディアは軽く首を振り、「いいえ」とだけ言ってその場を立ち去った。しかし、その背中には、何か言いたいことを飲み込んだような、微妙な気配が残っていた。彼女の心の中には、俺に対する期待と、それを口にできない思いが交錯しているのだろうか?

……俺の妄想が本当なら、うれしいんだけどなぁ。



結局、妹のわがままを利用して悪名を高めようとした俺の計画は、領地発展に繋がってしまった。さらに漁村では新鮮な魚が名物料理として定着し、街道沿いの村々も宿場町として活気を取り戻した。そして、義弟カインからの尊敬の眼差しまで得てしまい、結果として大成功を収めることとなった。


「兄さん、本当にあなたはすごいです……僕は、これからもあなたを見習っていきたい」

カインは心から感心している様子で、俺の手を軽く握ってきた。


「どうやら、またしても悪名を高めることに失敗したようだな……」

俺は内心焦っていた。これでは、俺が領地を繁栄に導いた立派な領主だと思われてしまう。俺は悪名を高めたかったのに、どうして



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